軍政(ぐんせい)とは、軍隊が政治権力の中枢を直接掌握し、あるいは軍司令部が一定の地域・住民を統治する体制や行政のことを指します。戦時下の占領地域における臨時行政(軍政府・軍政監部)から、クーデターなどを経て国家レベルで軍が統治主体となる「軍事独裁(軍事政権)」まで、用法の幅があります。共通するのは、文民による代表制や通常の官僚機構を軍の指揮命令系統の下に組み込み、命令・布告・戒厳令・軍律・軍法会議など軍事的手段で公共政策・治安・司法を運用する点です。他方で、軍政は常に「一時的措置」と「恒久化」のあいだで揺れ、治安の即時回復という効用と、自由・権利・法の支配の制約という負の帰結を併せ持つ体制でもあります。本稿では、(1)用語と分類、(2)制度上の仕組みと政策領域、(3)国際法と占領地軍政、(4)近現代の軍事政権の比較、(5)移行と終焉のパターン、(6)歴史学習上の留意点、の観点から整理します。
用語と分類:占領地軍政と国家レベルの軍事政権
軍政には大別して二つの文脈があります。第一は占領地軍政です。戦争や内戦で領域を掌握した軍が、現地の治安・税収・裁判・公共サービスを維持するために設置する臨時政府(軍政府、軍政監部、軍政庁など)を意味します。この場合、軍政は国際人道法上の「占領統治」の枠に入り、占領軍は現地住民の生命・財産・既存の法秩序の尊重を義務づけられると同時に、安全のため必要な規制を行う権限をもちます。
第二は国家レベルの軍事政権です。クーデターや非常事態宣言により、軍が行政府・立法府・司法への直接統制を確立し、参謀本部や革命評議会、国家再建評議会、治安維持評議会などの名で最高権力機関を構成する類型です。政党活動の停止、憲法の停止・改定、軍出身者の州知事・閣僚への任命、メディア統制、反体制取締りなどが伴いやすく、経済政策では統制・国有化、あるいは逆に新自由主義的改革が採用される場合もあります。
東アジアの日本語・中国語圏では、軍政という語がさらに(a)軍が行政を掌握した時期(例:台湾・朝鮮・フィリピンなどにおける「軍政期」)、(b)軍の内部行政(軍政・軍令・軍需という三分法のうちの「軍政」=人事・補給・教育・衛生などの管理部門)を指す場合もあります。文脈の確認が重要です。
制度の仕組みと政策領域:命令統治・治安・司法・経済
軍政の制度は、通常の文民統治に比べて命令統治の比重が高くなります。最高機関が布告・命令(オーダー、ディクリ—、布達)を発し、地方では軍政官・地区司令官が警察・憲兵・法務官を束ねます。行政各部(財務・内務・教育・交通・衛生)は軍政部局に統合され、必要に応じて民間専門家が招聘されます。立法に相当する機能は軍政命令で代替され、司法は軍法会議や特別裁判所の設置で迅速化されますが、被告の権利保障・弁護・上訴の機会は制約されがちです。
治安・公共秩序は軍政の中核です。夜間外出禁止、武器登録、検問、通信・集会の制限、検閲などが導入されます。テロ・暴動・盗賊行為の抑止に効果を持つ一方、過度の弾圧は住民の反感と地下活動を誘発します。情報・心理戦(宣撫と威嚇の併用)、行政と諜報の一体化は、軍政下で典型的にみられる運用です。
経済・財政では、軍の補給を最優先に、食糧・燃料・輸送の割当、価格統制、配給制、徴発、軍票の発行、関税・専売の再編が行われます。占領地では現地通貨・税制の継続が原則ながら、治安や軍需の必要から例外が設けられます。インフラ(道路・港湾・通信)の保全と復旧、疫病対策・衛生管理も、軍政の重要任務です。
教育・メディアでは、検閲と広報が併行します。学校のカリキュラム・教科書の差替え、ラジオ・新聞の統制、政党・団体の登録制度が導入され、統治の正当化が試みられます。宗教・民族問題については、対立を緩和するための懐柔策(宗教指導者との協議、自治の付与)と、反乱抑止のための分割統治策が併用されます。
国際法と占領地軍政:義務と限界
占領地の軍政は、国際人道法の枠に拘束されます。要点は三つです。第一に、既存の法秩序の尊重です。安全保障の必要がない限り、民法・刑法・行政法・裁判制度・所有権は可能な限り維持されるべきものとされます。第二に、住民保護です。生命・身体の安全、家屋・財産の保護、医療・衛生の確保、文化財の保全が義務づけられ、集団処罰や略奪、強制移送は禁じられます。第三に、必要性・比例性です。検問・検閲・集会制限などの措置は、軍事上の必要に即し、過度であってはならないとされます。
現実には、占領軍は治安維持と反抗抑止のために厳格な統制を行いがちで、住民の自由権・手続保障は圧縮されます。軍政の「臨時性」と「長期化」の緊張はつねに存在し、復興・自治移譲・選挙などの出口戦略が明示されない場合、統治の正当性は急速に低下します。逆に、秩序の早期回復・インフラ復旧・行政の継続性を確保できれば、戦後の民政移管を円滑にする効果があります。
近現代の軍事政権:比較の視点と典型
20世紀以降、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ・中東では、軍が国家統治を担う事例が繰り返されました。比較上の論点は、(1)成立経路(クーデター、革命、国家崩壊後の治安空白)、(2)正当化の言説(腐敗駆逐、国家近代化、治安回復、反共・反帝、宗教・民族統合)、(3)統治技術(戒厳と軍法、官僚と軍の融合、人事掌握、国営企業・財閥との結託)、(4)経済モデル(統制・輸入代替/市場開放・緊縮)、(5)人権状況(拷問・失踪・検閲・虐殺の有無)、(6)出口(選挙による移管、軍人の文民化、軍の特権温存、再クーデター)です。
たとえば、ミャンマーでは1962年以降、軍が社会主義路線を標榜して国家を掌握し、1988年の抗議運動弾圧後は軍評議会(SLORC→SPDC)が長期支配を続け、2011年に民政移管、2021年に再び軍が実権を握りました。タイは1932年以降、多数のクーデターを経験し、軍・王室・官僚・財界の折衝で統治均衡を図る「半軍政」的な循環が続いています。パキスタンは1958年以降、軍政と文民政が交替し、治安と外交(対印・対米)を理由に軍の影響が恒常化しました。エジプトは1952年の自由将校団革命以来、軍出身の大統領が続き、2013年以降は再び軍の影響が強まりました。チリ(1973–90)のように新自由主義改革と強権統治を結びつけたケース、ナイジェリアのように資源と軍政が結びついたケース、ギリシャ(1967–74)やスペイン(フランコ体制)のような南欧の軍政も比較対象です。
軍政は、短期的には秩序回復と政策実行の迅速さで評価される局面がありますが、長期化すれば、市民的自由の抑圧、汚職と縁故主義の温床化、経済停滞、国際的孤立を招きやすいという傾向が見られます。軍の組織文化(ヒエラルキー、命令服従、秘密主義)は、説明責任・公開性・合意形成と相性が悪く、政策の失敗が修正されにくい構造的欠陥を抱えます。
移行と終焉:民政移管・和解・軍の位置づけ
軍政からの移行は、(1)国内圧力(市民運動、労働争議、宗教勢力、地方反乱)、(2)経済危機(インフレ・失業・債務危機)、(3)国際環境(援助停止、制裁、冷戦構図の変化)、(4)軍内部の分裂・疲弊、などの要因が重なって生じます。移行の形は、国民投票・総選挙・新憲法制定・真相究明委員会(TRC)・恩赦・軍の経済特権保証など、多様です。重要なのは、文民統制(シビリアン・コントロール)の制度化です。国防相の文民化、議会の監督権限、国防予算の公開、軍人の政治的中立、国軍と治安機関の権限分界、軍事裁判所の範囲限定などが、再軍政化を防ぐ鍵となります。
占領地軍政からの移行では、自治体の復活、官僚の再登用・浄化、司法の独立回復、住民登録・土地台帳の整理、選挙管理・政党法・報道の自由の整備が段階的に進みます。教育・文化の再建、戦争被害者の救済、インフラ復旧と雇用創出は、治安と並ぶ優先課題です。軍政期に積み上げた統計・地図・台帳といった「行政の骨格」は、民政移管後も活用されますが、監視・検閲・密告網など抑圧的装置は廃止されなければなりません。
学習上の留意:語の射程、史料批判、価値判断
軍政という語は幅が広く、否定的ニュアンスを含むことが多い一方、戦後復興や避難民保護のための臨時統治という現実的局面も存在します。したがって、具体例ごとに、(1)期間と目的、(2)法的根拠(憲法・戒厳令・占領法規)、(3)住民の権利保障の程度、(4)経済・社会政策の実績、(5)出口戦略、を確認することが重要です。史料は、占領軍・軍政当局の報告、現地官僚の記録、住民の回想、新聞・宣伝物、国際機関のレポートなど多元的に比較し、プロパガンダと事実を見分ける姿勢が欠かせません。
また、軍政と似た概念—戒厳(非常時に軍が治安権限を暫定的に掌握)、軍事独裁(軍が恒久権力を持つ体制)、軍政期(占領直後の行政段階)、文民統制(軍を民主的に統制)、安全保障国家(軍・情報機関中心の国家運営)—との関係を整理しておくと、用語理解が立体的になります。
まとめ:非常の統治と常態の政治の境界
軍政は、非常時にしばしば登場し、治安と統治の空白を素早く埋める効用を持ちます。しかし、それが常態化すると、社会の多元性・市民の自由・法の支配を浸食し、国家と軍の境界を曖昧にしてしまいます。歴史の教訓は明確です。すなわち、軍政を必要悪としても、出口を設計し続けること、権限行使を透明化し責任と救済の制度を整えること、そして何より、平時の民主的統治と文民統制の堅固な基盤を築くことです。軍政という概念を学ぶことは、「非常」と「日常」を往復する政治の力学を理解することであり、国家と社会の持続可能性を考えるうえで不可欠です。

