アイルランド征服 – 世界史用語集

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アイルランド征服の歴史的背景

「アイルランド征服」とは、主として中世以降のイングランド、のちにはグレートブリテン王国によるアイルランドへの軍事的・政治的支配過程を指す言葉です。アイルランドは古代以来ケルト系ゲール人が独自の文化と社会を維持していましたが、12世紀以降、外部勢力による介入が始まり、長期にわたる征服と植民の歴史が展開されました。

この過程の発端は、1171年にイングランド王ヘンリー2世がアイルランド遠征を行ったことにさかのぼります。当時、アイルランドは多数の小王国に分裂しており、強力な中央集権的国家を形成していませんでした。そのため、ノルマン系諸侯やイングランド王権が介入する余地が生じたのです。これにより、アイルランドの一部は「ロード・オブ・アイルランド」としてイングランド王の支配下に組み込まれました。

その後、イングランドの影響力は断続的に強弱を繰り返しましたが、16世紀のテューダー朝期に至ると、本格的なアイルランド征服が進められるようになります。特にヘンリー8世の宗教改革以降、アイルランドはカトリック信仰を保持し続けたため、イングランドのプロテスタント支配者にとって「異質で危険な存在」と見なされるようになりました。以降、アイルランドは単なる周辺地域ではなく、王国の統一と宗教政策に直結する重要な対象となっていきます。

テューダー朝によるアイルランド征服

16世紀、イングランド王ヘンリー8世はローマ教皇との対立から国教会を設立し、カトリック教会と決別しました。これに対し、アイルランドの大部分は依然としてカトリック信仰を保持していたため、イングランドにとって支配強化の必要性が高まりました。1541年、ヘンリー8世は自らを「アイルランド王」と宣言し、形式的にはアイルランドをイングランド王国に併合しました。これが「テューダー朝によるアイルランド征服」の出発点となります。

この時期に特徴的なのは「プランテーション政策」と呼ばれる植民策です。これは、反乱を起こしたアイルランド諸侯の土地を没収し、そこにイングランド人やスコットランド人のプロテスタント入植者を移住させるというものでした。特にアルスター地方では大規模なプランテーションが行われ、アイルランド先住民と移住者との対立が深まる原因となりました。

また、16世紀後半には「九年戦争」(1594~1603年)が勃発しました。これはアイルランドの大諸侯ヒュー・オニールらがイングランド支配に抵抗した戦争であり、スペインのカトリック勢力とも結びつきました。しかし最終的にイングランド軍の勝利に終わり、アイルランドはイングランドによる実質的な征服下に置かれました。これによりアイルランドの伝統的支配層は没落し、植民政策が一層強化されることとなりました。

クロムウェルとアイルランド征服の徹底

17世紀半ば、清教徒革命の結果、イングランドに権力を握ったオリバー・クロムウェルは、1649年から1653年にかけてアイルランド遠征を行いました。これは「クロムウェルのアイルランド征服」と呼ばれ、アイルランド史上最も苛烈な征服戦争の一つに数えられます。

背景には、1641年に起こったアイルランドのカトリック反乱がありました。これはプロテスタント入植者への反発から発生したもので、多数のプロテスタントが虐殺されました。この事件はイングランドのプロテスタント世論を強く刺激し、クロムウェルはアイルランド征討を「神の使命」と位置づけました。

クロムウェル軍はドロヘダやウェックスフォードなどで徹底的な虐殺を行い、アイルランド住民に恐怖を与えました。戦争の結果、多くのカトリック地主は土地を没収され、西部コノート地方に追放されました。彼らに代わってイングランド人・スコットランド人のプロテスタントが土地を与えられ、アイルランド社会の構造は大きく変化しました。この過程は「アイルランドの土地問題」としてその後も長期にわたり火種を残すことになりました。

アイルランド征服の歴史的意義と影響

アイルランド征服は単なる軍事行動ではなく、植民・宗教・社会制度の全面的変革を伴う長期的な過程でした。その結果、アイルランド社会は以下のような特徴を帯びることになりました。

第一に、土地所有の構造が根本的に変わりました。カトリックの先住民地主は没落し、代わってプロテスタント系の新興地主層が支配的地位を占めるようになりました。これによりアイルランドは「プロテスタント地主による支配とカトリック農民の従属」という不平等構造が固定化しました。

第二に、宗教的対立が深まりました。イングランドの国教会やスコットランドの長老派教会に属する移住者が支配層を形成したのに対し、人口多数を占めるアイルランド人はカトリック信仰を守り続けました。この宗教的分断は、単なる信仰上の相違を超えて、政治的・社会的差別の基盤となりました。

第三に、アイルランドの政治的従属が確立しました。17世紀以降、アイルランド議会は存在したものの、実質的にはイングランド議会の監督下に置かれ、独自の政策決定権を持つことはできませんでした。アイルランドは形式上「併合された王国」とされつつも、植民地に近い性格を持つ地域と化しました。

こうしたアイルランド征服の帰結は、19世紀に至るまで「アイルランド問題」としてイギリス政治を悩ませ続けました。土地問題、宗教対立、民族的自決要求は、アイルランド独立戦争(1919~1921年)に至るまで連続性を持って存在し続けたのです。

結論として、アイルランド征服は単発的な出来事ではなく、12世紀から17世紀にかけて数世紀にわたり展開した植民と支配の過程でした。その影響は現代の北アイルランド紛争にまでつながっており、アイルランド史を理解するうえで避けて通れない重要なテーマであるといえるでしょう。