市易法(しえきほう)は、北宋の神宗期に宰相王安石が推し進めた新法の一つで、国家が都市の商取引に直接関与し、低利の運転資金を商人に供給したり、相場に応じて公的に売買を行ったりして、物価の安定と財政収入の増強、商業独占の抑制を狙った政策です。青苗法が農村の春貸付を主対象としたのに対し、市易法は都市市場と商人資本をターゲットにして、過度な中間利潤や投機を抑え、供給の平準化を図ろうとしました。国家主導の価格安定策と公的信用供給という二本柱に特徴があり、当時の慢性的な財政赤字と軍事費膨張、物流・調達の非効率を是正するためのテコとして設計されたのが核心です。
背景――北宋財政の逼迫と「市場の歪み」への処方箋
北宋は文治主義と大軍の維持を両立させるため、膨大な官僚機構と常備軍に財政が圧迫されていました。契丹(遼)・西夏との緊張、辺塞防衛の費用、首都・開封を中心とする都市経済の膨張、進納(貢納)や輸送の非効率が重なり、歳入の安定化が最重要課題になっていました。市場では、問屋・同業の強い連結や情報の非対称性が、卸売段階での高いマージンや価格の乱高下を生み、生活必需品の価格が都市庶民の生活を不安定にする要因ともなっていました。
王安石の新法は、この状況を「民富なくして国富なし」という視点から捉え、信用・税制・軍役・治安の全体を組み替えるものでした。方田均税法(地籍再編)、募役法(徭役の貨幣化)、保甲・保馬(治安・軍馬制度)、青苗法(農村信用)などと並び、市易法は都市市場の節点を握ることで、価格と流通のボトルネックを緩め、同時に国家の財源にもつなげるという狙いを持って導入されました。
制度の仕組み――市易務・低利資金・公的売買の三本立て
市易法の運用の中核は、主要都市に設けた「市易務」(または市易司)でした。ここは国庫資金を原資として、登録した商人に対し短期の運転資金を低利で貸し付け、一定の期限内に元利金を返済させる仕組みです。貸付は商品担保や保証人を伴い、対象は布帛・塩以外の各種生活物資や工業品に及びました。貸付金利は市中相場より低く設定され、商人の高利依存を減らすことで、結果的に小売価格の安定を促すと期待されました。
第二に、市易務は相場が過度に上昇した際には在庫を放出し、逆に暴落時には買い上げることで、いわば「官のバッファー」として価格の振幅を抑える役を担いました。これは唐代の常平倉・平準の思想を都市市場に適用したものと理解できます。ただし、穀倉中心の常平とは異なり、布や紙、金属、日用品まで対象が広く、都市の多品目市場に合わせた柔軟な運用が志向されました。
第三に、登録・許可制によって、一定規模以上の商人の流通実態が行政の視野に入るよう設計されました。これにより、商人ギルド的な閉鎖性や談合的価格形成の是正、公課徴収の効率化を狙う側面もありました。国家は信用供給と引き換えに、流通情報の把握と軽度の規制(利率・返済期・販売ルートの指導)を行い、財政的にも貸付利や差益収入を得ようとしたのです。
関連制度との関係――青苗法・均輸法との住み分け
市易法はしばしば青苗法と混同されますが、対象と現場が異なります。青苗法は農村での春季資金不足を埋めるため、農民に種籾・現金を低利で貸し付け、秋の収穫時に返済させる制度でした。市易法は都市の商取引と卸売段階を主な対象に、流通資金と価格安定を図るものです。両者は「公的信用の供給」という共通原理で結ばれつつ、供給先(農民か商人か)と対象品目(農作物中心か多品目か)で役割分担していました。
また、均輸法(北宋版)は、州県ごとの貢納品の買い付け・輸送コストの偏在を是正し、需要地・供給地の価格差を活かして合理的に調達・販売する制度で、国家の仕入れ・販売の最適化を意識した政策でした。均輸法が主に官需(政府の需要)に関わるのに対し、市易法は民需(庶民消費)に向き合う場面が多く、両者は補完関係にあったと言えます。
運用の実際――低利融資と在庫調整の現場、そして副作用
市易務は、開封・杭州・成都などの大都市や商業集積地で活動しました。貸付は、繫忙期前に仕入資金を供与して在庫を厚くし、価格の急騰を未然に防ぐことを狙ったほか、不況局面には資金繰りの悪化を防ぐ緩衝機能も果たしました。帳簿管理・在庫監査・市況報告が求められ、監督官は価格動向に応じて売買のタイミングを判断しました。理屈の上では、これにより季節性の強い品目や供給ショックの大きい品目の価格が平準化され、庶民の負担が軽減されるはずでした。
しかし、現場運用には課題も多く、最も批判されたのが「過度のノルマ化」です。歳入を増やしたい財政側の圧力が強まると、市易務は貸付利と差益を過剰に追求し、商人に対して半ば強制的な借入や販売ルートの指定を行う例が出ました。審査の甘さは不良債権化を招き、逆に審査を厳しくしすぎると、必要な資金繰りが滞りました。役人の汚職・関与者の癒着も批判の的となり、制度意図と実態の乖離が問題化しました。
また、価格安定のための放出・買い上げは、市場の期待に影響を与えるため、タイミングを誤れば逆効果となります。買い上げが遅れて暴落が長引いたり、放出が早すぎて在庫が尽きた後に急騰したりするケースもありました。多品目にわたる行政裁量が広がるほど、現場の情報と意思決定能力がボトルネックになるという構造的問題が露呈したのです。
論争と更迭――新法党と旧法党、元祐の更化・徽宗期の再拡張
市易法は、新法の他のメニューと同じく、政治的な大論争を引き起こしました。司馬光ら旧法党は、国家が商業に過度に介入すれば、民間の自発的な取引と価格形成を歪め、かえって市場の活力を損なうと批判しました。国家が貸す低利資金は、一見庶民の益に見えても、競争者の選別や官の裁量を拡大し、汚職の温床になるという指摘もありました。王安石は、独占や情報の偏りという「市場の失敗」を是正するための必要な調整だと反論し、公共性と効率の両立を説きました。
神宗没後、哲宗の初期(元祐年間)に旧法党が政権を握ると、多くの新法が縮小・停止され、市易法も厳しく制限されました。やがて哲宗親政で新法が復活し、徽宗期には財政再建の名目でむしろ拡張されますが、拡張はしばしば「収奪的運用」を伴い、現場の負担感が増す結果にもなりました。すなわち、理念としての価格安定・公的信用供給は有効であっても、政争と財政事情によって運用の質が大きく左右されたのです。
評価――先駆的なマクロ安定化策か、介入過多の官業か
歴史的評価は大きく二つに分かれます。肯定的評価は、市易法を「政府系のマーケット・メイカー」と見なし、常平・均輸の伝統を都市市場に拡張した先駆的政策だと捉えます。公的信用の供給は、情報と担保に乏しい商人にとって高利貸からの離脱を助け、担保価値の低い商品でも回転を高める効果を持ち得ました。価格安定は、貧困層への逆進的打撃を和らげ、物価の乱高下が政治的不安を呼びやすい都市社会で、治安・民心の安定に寄与したという読みです。
批判的評価は、国家の裁量が広すぎると、情報の遅延と誤判が不可避で、民間の分散的知識を活かす市場の長所を殺すと論じます。特に徽宗期に見られた収益至上の運用は、短期の財源確保のために「安定化」という建前が形骸化し、実質的な官営商売へと変質したとされます。さらに、貸付選別の政治化、汚職の誘因、事務コストの大きさなど、制度摩擦の指摘も根強いです。
影響と位置づけ――宋代の市場国家と後世への射程
市易法は、北宋が「税・信用・情報」を国家のツールとして組み合わせ、市場社会に適合する統治を模索した一断面でした。宋代は貨幣経済・都市文化・商業交通が飛躍的に発達し、国家もまた紙幣(交子)や塩・茶の専売、度量衡の標準化、契約文書の整備など、市場秩序の制度化に深く関わりました。そのなかで、市易法は「信用と在庫」の側面から市場の不安定を和らげる装置として登場し、均輸・常平と並ぶ価格調整メカニズムの系譜に位置づけられます。
後世への直接的継承は限定的ですが、東アジアの官による価格安定・備蓄・放出の政策(清代の義倉・社倉、近代日本の重要物資の統制など)を考える上で、国家が流通の節点に介入する論理の早期例として参照されます。現代的に言えば、中央銀行の市場操作や戦略備蓄の放出、政府系金融の危機対応に、抽象レベルで通じる発想が見て取れると指摘されることがあります。ただし、宋代の市易法は情報・統計・通信の制約が大きい中での運用であり、現代のマクロ政策と単純に同一視することはできません。
用語整理と比較――キーワードで押さえる市易法
・市易務(市易司):市易法を運用する役所・機構です。貸付・買上げ・放出・監督を担いました。
・低利貸付:商人の運転資金を市中より低利で供給し、仕入・在庫形成を支援しました。
・価格安定(放出・買上げ):相場の過度な変動時に政府が売買して振幅を抑える機能です。
・登録制・情報掌握:商人の登録を通じて流通情報を把握し、税・規制と接続しました。
・青苗法:農村の春貸付。対象と現場が異なりますが、公的信用供給という原理は共通です。
・均輸法:官需の調達・販売の最適化。民需を意識する市易法と補完関係にありました。
総じて、市易法は、北宋が直面した財政と市場の難題に対し、国家が「信用」と「在庫」を政策的に活用して安定化を図る試みでした。理論的には価格の暴騰・暴落を和らげ、商人の高利依存を減らす効果が期待され、一定の成果を挙げた面もありますが、政争・財政圧力・行政裁量の広がりが、理念の劣化と副作用を招いたのも事実です。青苗法や均輸法との組み合わせ、常平倉からの制度史的連続、都市市場という新しい舞台――これらを押さえると、市易法が宋代の「市場国家」像の中で占める位置が見えてきます。

