「アラブ帝国」とは、7世紀にアラビア半島から興ったイスラーム共同体(ウンマ)が、正統カリフ期とウマイヤ朝のもとで西アジア・北アフリカ・中央アジア・イベリアへと急速に拡大し、アラブ系の軍事・行政エリートが覇権を担った時代と領域を指す便宜的な呼称です。厳密には宗教的・法的正統を体現する「カリフ制国家」であり、単なる民族帝国ではありませんが、行政言語のアラビア語化、アラブ部族の軍事植民都市(アムスァール)を核とする支配構造、貨幣・税制・通信の再編が並行した点で、史学上「アラブ帝国」と総称されることがあります。一般に、用語が最も適合するのは正統カリフ期(632–661年)とウマイヤ朝(661–750年)までであり、アッバース朝成立後は多民族・多中心化が進むため、「イスラーム帝国」「イスラーム世界」と呼ぶ方が実情に近いとされます。
本稿では、成立と拡大、統治の仕組み、社会・宗教と文化変容、アッバース革命による転換点という順に、重要概念と具体例を整理し、世界史上の意義をわかりやすく提示します。数年号や主要地名は学習上のアンカーとして明記し、用語の混同を避けるための注意点も添えます。
成立と拡大:正統カリフ期からウマイヤ朝へ
イスラーム共同体は、預言者ムハンマドの没後(632年)にアブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの順で選出された正統カリフによって指導されました。アブー・バクルの時代には半島内の離反(リッダ)鎮圧が最優先課題でしたが、ウマル(在位634–644年)期に外征が本格化し、636年のヤルムークの戦いで東ローマ帝国(ビザンツ)に大勝、同年頃のカーディシーヤの戦いと642年のニハーヴァンドでサーサーン朝に決定的勝利を収めました。こうしてシリア、イラク、エジプト、イラン高原の中核が次々にイスラーム勢力の支配に入ります。
ウスマーン(在位644–656年)の時代には、コーラン編纂の標準化が進む一方、統治人事や戦利分配をめぐる不満が蓄積し、内紛が激化しました。続くアリー(在位656–661年)の治世は第一次内乱(フィトナ)に彩られ、ムアーウィヤの台頭によりカリフ位はウマイヤ家に継承されます。ムアーウィヤ1世が661年にダマスカスを都として創始したウマイヤ朝は、行政の定住化と帝国的装置の整備を推し進め、領土は最盛期に西はイベリア(アル=アンダルス、711年の進出)から東はシンド・トランスオクシアナ(715年前後)にまで達しました。地中海ではキプロス・ロードス攻略、674–678年・717–718年のコンスタンティノープル包囲など、海軍行動も展開されます。
この急膨張を支えたのが、アラブ部族から編成された常備的な軍団(ジュンド)と、征服地の周縁に設けられた軍営都市(アムスァール)です。クーファとバスラ(イラク)、フスタート(エジプト)、カイラワーン(イフリキーア)などは、軍人・官僚・ウラマーが集住する政治宗教中枢として機能し、交易・学術の結節点となりました。軍事的成功は、戦利品・征服税の分配、土地課税の体系化と密接に結びついていました。
統治の仕組み:行政・軍事・財政・通信・都市
ウマイヤ朝の統治は、カリフを頂点に、州総督(ワーリー)、財務官(サーヒブ・アル=ハラーシュ/ディーワーン)、軍司令(サーヒブ・アル=ジュンド)を配し、主要都市に裁判官(カーーディー)を置くという枠組みで運用されました。初期にはギリシア語・ペルシア語の官文書が併用されましたが、アブドゥルマリク(在位685–705年)の改革で行政のアラビア語化が進み、同時に独自の貨幣(ディナール金貨・ディルハム銀貨)の鋳造が標準化されました。貨幣意匠から皇帝像や十字の図像が除かれ、コーラン語句が刻まれた新貨幣は、宗教的普遍性と政治的主権を同時に可視化する装置でした。
財政面では、地租(ハラージュ)と人頭税(ジズヤ)の区分が重要でした。原則として、征服地の非ムスリム住民(ズィンミー)はジズヤと土地税を負担し、ムスリムは地租を負担しつつもジズヤは免除されました。のちには改宗者(マワーリー)の税負担の扱いが争点となり、アラブ系先住軍人と新改宗者の間の不均衡が社会緊張を生みました。こうした問題は、アッバース革命の社会的背景の一つとなります。
通信・統治の要に据えられたのが、官営駅逓網(バリード)です。各地の駅馬と情報伝達は、広大な領域における命令の浸透、税の集計、治安の掌握を可能にしました。道路網と宿駅は、巡礼路(ヒジャーズ街道)や地中海沿岸・メソポタミアの交通と連動し、商業の活性化を促しました。軍事面では、地中海艦隊の整備と沿岸要塞の構築、北東辺境ではホラーサーンの駐屯軍再編が進み、外征と国境防衛の両立が図られました。
都市政策の側面では、モスク(集会モスク)・市場(スーク)・行政府(ダール・アル=イマラ)・軍営地・裁判所が都市機能の核をなし、金曜礼拝と説教(フットバ)はカリフ名の読み上げを通じて主権の象徴となりました。ダマスカスのウマイヤ・モスクやエルサレムの岩のドームは、統治理念と美学の結晶として後世に影響を与えます。学術・法学の芽も都市に根づき、ハディース収集や法学派の分化へとつながりました。
社会構造と宗教・文化:アラブ化とイスラーム化の相互作用
「アラブ帝国」を理解する鍵は、「アラブ化(言語・行政・エリート文化のアラビア語化)」と「イスラーム化(宗教帰属の拡大)」が同時並行でありながら、同じ速度では進まなかったという点です。行政のアラビア語化は7世紀末~8世紀初めに急速でしたが、住民の改宗は地域差が大きく、エジプトのコプト語、シリアのアラム語、イランのペルシア語、北アフリカのベルベル語は長く共存しました。結果として、アラビア語が共通語化しつつも、多言語・多宗教のモザイク社会が広範に続きました。
宗教的身分秩序では、イスラームに服する者は法的共同体に属し、非ムスリムの「聖典の民(アフル・アル=キターブ)」はズィンミーとして契約的保護を受ける代わりにジズヤ等の負担を負いました。この枠組みは、信仰の自由と区別課税を組み合わせる制度であり、都市の経済と職能分業の多様性を維持する一方、改宗インセンティブや社会移動のパターンを左右しました。マワーリー(アラブ部族の庇護下に入った非アラブの改宗者)は学知と行政で次第に存在感を増し、後期ウマイヤ朝からアッバース朝にかけて文化の担い手として中心化します。
内政上の重要な緊張は、カリフ位の正統性と共同体の意思決定をめぐって顕在化しました。シーア派(アリー家の継承を重視)とスンナ派(共同体合意と慣行を重視)の分岐、さらにハワーリジュ派(敬虔と共同体純化を徹底)の運動は、神学・法学・政治理念を深く形成しました。これらは単に宗派対立ではなく、課税や軍役、地方自治、倫理と権力の関係をめぐる持続的な討議でした。
文化面では、アラビア語の文法整備(ナフウ)、語彙学(サルフ)、ハディース学、歴史叙述、そして詩(カスィーダ)と散文の発展が進みました。征服に伴う農業技術と作物の移転(サトウキビ、柑橘、綿、茄子、ホウレンソウ等)、灌漑知識の共有は、経済史的にも大きな意味を持ちます。地中海・インド洋の交易路において、ムスリム商人・ユダヤ商人・キリスト教徒商人が協働・競合する多信仰商圏が形成され、貨幣と度量衡の整備が長距離商業を支えました。
アッバース革命と用語の転換、意義と遺産
750年のアッバース革命は、ホラーサーンの軍団と非アラブ系改宗者層の力を背景にウマイヤ朝を倒し、カリフ権威を再編しました。新都バグダード(8世紀後半)やサーマッラーは、帝国の重心をシリアからイラクへ移し、行政・学術・経済の多中心化と国際化を推し進めます。翻訳運動を通じてギリシア語・シリア語・ペルシア語の学知がアラビア語に取り込まれ、〈イスラーム文明〉の厚みが増すにつれ、単線的な「アラブ帝国」という規定は実態にそぐわなくなりました。以後はトルコ系軍人やペルシア系官僚、地方王朝(アグラブ朝、ターヒル朝、サーマーン朝、トゥールーン朝など)が併存し、カリフの宗教的正統と地域権力の現実政治が交錯する秩序へと展開します。
用語上の注意として、世界史教科書や受験参考書では、ウマイヤ朝を中心とする時期を便宜的に「アラブ帝国」と呼び、アッバース朝以降を「イスラーム帝国」「イスラーム世界」と言い換えることがあります。設問で「アラブ帝国」とあれば、①正統カリフ~ウマイヤ朝、②アラビア語の行政化と貨幣改革、③アムスァールとジュンド、④税制(ハラージュ/ジズヤ)とマワーリー問題、⑤バリードと都城・モスク建設、⑥版図の西東拡大(アル=アンダルス~シンド)を軸に叙述すると安全です。
歴史的意義として、「アラブ帝国」は、帝国崩壊後の空白を埋めつつ古代末期の地中海・西アジア世界を再編し、共通語(アラビア語)と共通法(イスラーム法)を媒介に、学術・交易・都市文化の長期的基盤を築いたことが挙げられます。貨幣と税、通信と巡礼、都市と法学という四つの回路を統合したことにより、後続のイスラーム王朝と欧州・アフロ・ユーラシア世界の相互連関を可能にしました。今日に至るまで、アラビア語の広域性、メッカ巡礼の国際性、イスラーム法学の制度力、コスモポリタンな商業文化は、この時期に形成された枠組みの延長線上にあります。
総括すると、「アラブ帝国」はアラブ系エリートの主導とアラビア語の制度化に特徴づけられる初期イスラームの帝国段階を指す呼称です。軍営都市と官僚制、独自貨幣と税制、通信と巡礼、宗教と法の連動が、拡大する領域を統合し、異文化交流を促進しました。アッバース革命以後、この枠組みは多民族・多中心の〈イスラーム文明〉へと拡張し、世界史の長い時間にわたって知・人・物の流れを牽引する原動力となりました。学習の際は、用語の射程と制度の中身を丁寧に区別しながら、地図・年代・制度名称を紐づけて理解を深めることが重要です。

