映画 – 世界史用語集

映画の歴史は、光の記録と機械の連続投射を組み合わせた「動く写真」が、娯楽、芸術、産業、そして社会の鏡として発展してきた物語です。19世紀末の科学玩具と写真術の統合から始まり、サイレント映画の表現発見、トーキー化とスタジオ・システムの確立、戦後の多様化と国際的な「新しい波」、デジタル革命と配信時代へと、技術と語り口の革新が折り重なって進みました。映画は単に物語を見せる装置ではなく、編集・照明・音楽・美術・俳優の演技が協働する総合芸術であり、同時に大衆の時間と空間の感覚を更新してきた社会的テクノロジーでもあります。以下では、映画誕生から現代までを大づかみにたどり、各時代の技術・産業・スタイルの要点をわかりやすく整理します。

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誕生とサイレント時代:動く写真から映画言語へ

映画の起点は、連続写真と投影技術の結びつきにあります。19世紀半ば、ムイブリッジやマレが連続撮影で運動を分解し、レンズ・シャッター・感光材料の改良が進みました。1895年前後、エジソンのキネトスコープ(覗き見式)や、リュミエール兄弟のシネマトグラフ(撮影・現像・投影を兼ねる装置)が実演され、列車の到着や工場の出口といった日常の光景が「動く写真」として公開されます。初期映画は記録的性格が強い「実写(アクチュアリテ)」と、奇術や舞台の延長である「見世物」が交錯し、上映は移動興行やカフェの一角で行われました。

まもなく映画は、単なる記録から「作られた物語」と「視覚トリック」へと領域を広げます。フランスのジョルジュ・メリエスは多重露光や停止トリックでファンタジーを切り開き、アメリカのエドウィン・S・ポーターは『大列車強盗』などでショット連結の効果を示しました。編集(モンタージュ)による時間・空間の操作、クローズアップ・アイライン・マッチ・オン・アクションといった文法が、実験と失敗のなかで獲得されていきます。映画館(ニッケルオデオン、のちの豪華映画宮)が都市文化の中心に現れ、制作・配給・興行を垂直統合するビジネスモデルが芽生えました。

1910〜20年代、映画は国際的に成熟します。ドイツ表現主義は歪んだセットと強烈な光影で内面を可視化し、ソ連のアイズェンシュテインやプドフキンは、ショットの衝突から意味を生むモンタージュ理論を提案しました。アメリカではチャップリン、キートン、ロイドらが身体のギャグと人間味で世界的な人気を獲得し、長編劇映画が標準化してスター・システムが整います。日本でも吉沢商店や日活が勃興し、活動写真弁士の語りとサイレント映像が独特の鑑賞体験を作りました。無声映画は「音がない」のではなく、楽士や弁士、効果音の実演が組み合わさった総合ライブで、映画言語の基礎はこの時代にほぼ出そろいます。

トーキーの衝撃と黄金期:スタジオ・ジャンル・世界戦争

1927年の『ジャズ・シンガー』を象徴に、同期音声を伴うトーキーが急速に普及すると、俳優の発声・台詞、音楽の連続性、効果音のディテールが物語の密度を高めました。マイクやカメラの防音箱が動きを一時的に制限したものの、技術はすぐに改良され、音楽映画、ミュージカル、ギャング映画、スクリューボール・コメディ、フィルム・ノワール、西部劇など、音を前提にしたジャンルが洗練されます。ハリウッドのメジャー・スタジオ(MGM、ワーナー、パラマウント、20世紀フォックス、RKOなど)は撮影所制度と専属契約で製作を大量化し、配給網と一体化した興行で市場を支配しました。

同時期、ドイツからの亡命者や欧州の技巧がハリウッドに流入し、撮影・美術・音楽の高度化に寄与しました。検閲コード(プロダクション・コード)は性的表現や暴力を規制しましたが、それを逆手に取る暗示や寓意が生まれ、フィルム・ノワールの影と心理の語法につながります。カラー撮影(テクニカラー)やワイドスクリーン、深焦点撮影などの技法が、画面の奥行きと装飾性を拡大しました。

他方、戦争とファシズムの時代、映画はプロパガンダと抵抗の両面で動員されます。イタリアでは戦後、非職業俳優や実景撮影を重んじるイタリア・ネオレアリズモが、貧困や失業、家族の再建を素朴な語りで映し取りました。フランスでは1950〜60年代に若手監督が既成の文法を破るヌーヴェルヴァーグを起こし、軽量カメラ、ロケ撮影、跳躍編集、即興的演技で都市の時間を切り取ります。日本でも戦前の時代劇・新派、戦後の黒澤明、溝口健二、小津安二郎らが国際的評価を受け、東宝の特撮や日活のアクション、独立プロの社会派作品が広がりました。アニメーションではディズニー長編が確立し、日本でも東映動画を経てテレビアニメの時代が始まります。

1960〜80年代:新しい波と世界の映画、多様化する表現

1960年代後半、アメリカでは製作コードが事実上崩れ、ベトナム戦争や公民権運動の時代精神のもと、ニュー・シネマが登場します。反英雄、即興、ロケ撮影、曖昧な結末は、若い観客の感覚にフィットし、プロデューサー主導の大作と作家主義的な中規模作品が共存する新しい地形が生まれました。70年代には『ジョーズ』『スター・ウォーズ』が夏の興行大作(サマーブロックバスター)の先例となり、マーケティングとキャラクター・フランチャイズの戦略が確立します。特殊効果は光学合成からコンピュータ制御のモーション・コントロールへと進み、音響もドルビーによって劇場体験が更新されました。

この時期、欧州では東欧のニューウェーブ(ポーランド、チェコ、ユーゴなど)が詩的かつ政治的な映画を生み、イランでは検閲下で寓意に富む作家主義が芽吹きます。インドの並行映画(パラレル・シネマ)は商業映画の歌と踊りの枠外で社会問題を扱い、香港はクンフー映画とノワール的都市映画を輸出しました。アフリカやラテンアメリカでは、植民地支配の記憶と革命の現実を背景に「第三映画」が台頭し、観客参加型の政治映画や独立プロダクションが形成されます。映画祭(カンヌ、ヴェネチア、ベルリン)は、国境を越える作品流通と評価の装置となり、コプロダクション(国際共同製作)が一般化します。

アニメーションは、セル作画の熟達とともに、ストップモーションや実験映像の領域を広げ、80〜90年代には日本のアニメーションが世界市場で確固たる存在となります。テレビは映画の家庭視聴を日常化し、ビデオ・VHSの普及が再鑑賞とカルト的人気を支えました。著作権・流通・検閲の枠組みも、家庭視聴の拡大に合わせて再編されます。

デジタル革命と今日:VFX、配信、越境する映画文化

1990年代後半から2000年代にかけ、デジタル撮影とCGIが映画制作の全工程を刷新しました。編集はノンリニアへ、合成はデジタルへ、色調整はデジタル・グレーディングへ移行し、撮影現場とポストプロダクションの境界が溶けます。モーションキャプチャ、デジタル群衆、仮想カメラ、プリビズ(事前可視化)が標準化し、物語世界の構築は拡張現実的な緻密さを得ました。3D上映や高解像度・高フレームレートの試みは、劇場体験の差別化を試行錯誤し、IMAXやプレミアムシートなどハードとサービスの両面で映画館の魅力を再設計しています。

同時に、ブロードバンドとスマートデバイスの普及で、配信プラットフォームが世界規模の公開窓口になりました。配信オリジナル作品は、劇場公開とは別の予算・長さ・シリーズ展開の自由度を持ち、国境や言語の壁を越える発見を生みます。アルゴリズムに基づくレコメンドは視聴動線を個別化し、映画祭や批評と並ぶ新しいキュレーションの力になりました。制作側では、撮影現場でLEDボリューム(バーチャルプロダクション)を用いて背景をリアルタイム生成するなど、ゲーム・映像・VFXの技術融合が進み、インディペンデントとスタジオの技術格差は相対的に縮小しています。

グローバルな視点では、韓国、インド、ナイジェリア(ノリウッド)、中華圏、イラン、ラテンアメリカの作品が国際的に評価され、ジャンル横断の活力が高まっています。ドキュメンタリーは軽量機材と配信環境の追い風で多様な語り方を獲得し、アニメーションは手描き・CG・ストップモーションが併存して新しい表現を開拓しています。多様性と包摂性の課題は、キャスティング、制作現場、物語の視点に広がり、制度的な是正や批評のアップデートが進行中です。

未来に向けては、AIによる制作支援、バーチャルプロダクションの一般化、地域映画の国際循環、映画館と配信の役割分担、アーカイブと修復のデジタル化が重要なトピックです。映画史を学ぶときは、技術の節目(サイレント→トーキー→カラー→デジタル)、産業構造(制作・配給・興行・配信)、美学(編集・撮影・音響・演技)、そして社会との相互作用(検閲・戦争・文化運動)を並行して見ると、一本の作品がどの歴史の上に立っているかが見えてきます。映画は常に変わり続けますが、光と影で時間を彫刻するという核は変わらず、私たちの想像力と現実認識を更新し続けるはずです。