シチリア島 – 世界史用語集

シチリア島(イタリア語:Sicilia)は、地中海最大の島であり、ヨーロッパ・アフリカ・中東をつなぐ十字路として古代から現在に至るまで特別な位置を占めてきた地域です。エトナ火山に象徴される活発な火山地帯、豊かな日照と乾いた風が育む柑橘やオリーブ、ギリシア・ローマ・アラブ・ノルマン・スペインの文化が折り重なった街並みと料理——こうした要素が密度高く共存しているのがシチリア島です。古代ギリシア植民都市の劇場遺跡、ローマ時代のモザイク、アラブ=ノルマン様式の聖堂、バロック都市群、第二次大戦の戦場跡、そして現代の自治州体制に至るまで、歴史の層が地図の上にそのまま読める稀有な土地なのです。本稿では、地理と自然、古代から中世の歩み、近世・近現代の変容、そして今日の社会・文化・経済の特徴を、学習に役立つ視点で整理します。

スポンサーリンク

地理と自然――火山の島、三つの海と多様な景観

シチリア島はイタリア半島先端のメッシーナ海峡を隔てて位置し、面積は約2.5万平方キロメートルで日本の四国の約3倍弱にあたります。北はティレニア海、西はシチリア海峡、南はアフリカに続くペラージェ諸島、東はイオニア海に面し、周辺にはエオリア(リーパリ)諸島、エガディ諸島、ウスティカ、パンテッレリア、ペラージェ(ランペドゥーサなど)といった衛星島が点在します。これらの島々は古代の航路と風待ち港のネットワークを形成し、今日も観光と漁業の拠点として重要です。

島の最高峰は東部のエトナ火山(標高約3,300m前後、活動により変動)で、今も噴煙を上げる活火山です。北東沖のストロンボリ島、ヴルカーノ島も活発で、「地中海の火の見張り」と称されます。火山活動と石灰岩台地が織りなす地形は急峻で、平野はカターニア平野(島最大)、マツァーラ周辺の沿岸低地などに限られます。主要河川はシメート(エトナ西麓を南流)、サルソ、プラターニなどで、夏季の涸れ川化が顕著です。気候は典型的な地中海性で、夏は高温乾燥、冬は温和で、降雨は主に秋冬に集中します。乾燥に適応したマキ(地中海低木)、オリーブ、ブドウ、アーモンド、ピスタチオ(ブロンテが名高い)、レモン・オレンジ・ブラッドオレンジなどの柑橘類が栽培され、塩田(トラーパニ)やマグロの定置網(トンナーラ)も伝統景観を形作ります。

自然保護区はエトナ公園、ネブロディ・マドニエの山地保護区、ジンガロ自然保護区、エガディやプレゴラ岬の海洋保護区などが著名です。エトナ火山、アラブ=ノルマン様式の建築群(パレルモ/モンレアーレ/チェファル)、ヴァル・ディ・ノートの後期バロック都市群、アグリジェントの「神殿の谷」、シラクサとパンタリカの岩窟墓地、ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(豪華な床モザイク)など、世界遺産が密集します。地震(特に1693年南東部壊滅級の震災)や火山災害、干ばつ・熱波のリスクは歴史的にも現代的にも島の暮らしを規定してきました。

古代から中世へ――植民・征服・共存が重なる舞台

先史時代の洞窟遺跡から新石器・青銅器時代の文化層が確認され、フェニキア人は西岸に交易拠点(モティア、パネルモ=パレルモ、ソルント)を設けました。紀元前8世紀以降、ギリシア人はナクソス(前734)、シラクサ(前733)、アクラガス=アグリジェント(前6世紀初頭)、セリヌス(セリヌンテ)などに植民し、島は「大ギリシア(マグナ・グラエキア)」の核となります。シラクサはディオニュシオス1世の専制の下で強勢を誇り、カルタゴとの対立が長期にわたって続きました。前5世紀のヒメラ会戦、前4世紀のティモレオンの改革期など、ギリシア系とカルタゴ系のせめぎ合いは島の政治・都市計画・防御施設を形成します。

第一次ポエニ戦争(前264–241)でローマがカルタゴを破ると、シチリアはローマ初の属州となり、穀物供給基地として重要化しました。ラティフンディアの拡大は奴隷労働に依存し、前2世紀には「シチリア奴隷戦争」(第一・第二)が発生します。ローマ化は法と都市インフラ(道路・水道・劇場)の整備を通じて進み、パノルムス(パレルモ)、カタナ(カターニア)、メッサナ(メッシーナ)などが域内拠点となりました。西ローマの動揺後は、東ローマ(ビザンツ)の再征服(ユスティニアヌス期、6世紀)を経て、行政・教会組織が再編されます。

827年以降、アラブ(正確にはイフリキヤのアグラブ朝、のちファーティマ朝)の上陸が始まり、902年までに島の大半がイスラーム政権下に入りました。パレルモは首都として繁栄し、灌漑・水車・柑橘・サトウキビ栽培などの技術が導入され、地名・言語・食文化に深い痕跡を残します。1091年までのノルマン人の征服により、ラテンの騎士権力が成立しますが、彼らはアラブ語・ギリシア語・ラテン語の三言語行政を採用して多文化共存を実務化し、1130年にルッジェーロ2世がシチリア王国を創建しました。王権は財政・法・海軍を早期に整備し、パレルモのカペラ・パラティーナ、モンレアーレ・チェファルの黄金モザイクに象徴される「アラブ=ノルマン=ビザンツ」様式を育てます。

12〜13世紀にはホーエンシュタウフェン家が継承し、フリードリヒ2世は『メルフィ法典』(1231)で王国を成文法で統治し、ナポリ大学(1224)を設けて官僚・法学者を養成しました。彼の死後、アンジュー家が南イタリアを制し、1282年の「シチリアの晩祷」で島民が蜂起、島はアラゴン系の支配へ、半島本土はアンジュー=ナポリへと分かれていきます。以後、島はアラゴン連合王国、さらにはスペイン・ハプスブルクの副王領として地中海帝国の一角を担い、海上防衛と穀物輸出、課税の拠点として組み込まれました。1693年の大地震は南東部都市を壊滅させ、後期バロック様式の都市再建(ノート、ラグーザ、モディカ、カターニアの新街区など)をもたらします。

近世から近現代――大国政治、統一、戦争と自治

18世紀、スペイン継承戦争・ポーランド継承戦争の講和を通じて、島はサヴォイア家・オーストリア家の手を経て、1735年にスペイン・ブルボン家のカルロ(のちカルロス3世)のもとに戻り、ナポリと連合します。ナポレオン期には本土がフランス系支配(ミュラ)に置かれ、島ではイギリスの後援下で1812年憲法が制定されるなど立憲政治の実験が行われました。1816年にナポリと島は形式上統合され「両シチリア王国」となりますが、地域的な不満は解消せず、1848年にはパレルモを中心に革命が勃発します。

1860年、ガリバルディがマルサラに上陸し(「千人隊」)、農村反乱と都市の民兵が合流してシチリア・ナポリを制圧、翌年イタリア王国に併合されました。統一後、租税と徴兵の負担、土地所有の偏在、中央集権的行政と警察力の不足が複合し、山野の強盗団(バンディティ)や私的保護組織が力を持ち、のちの「マフィア」と総称される現象の社会的土壌となりました。19〜20世紀前半には海外移民(米州・北欧へ)が大量に発生し、人口と労働市場の構造が変化します。

第二次世界大戦では、1943年の連合軍上陸(ハスキー作戦)と島の占領がイタリア政局の転覆を誘発し、休戦・降伏へと連鎖しました。戦後の1946年、シチリアはイタリア共和国の「特別自治州(Regione Siciliana)」となり、固有の自治法規(憲章)に基づく立法・財政権限が認められました。これは地理的遠隔性、社会経済の特殊性、戦時の政治的妥結の複合的産物です。20世紀後半、硫黄鉱業の衰退、石油化学コンビナート(ジェーラ、アウグスタ=プリオーロ)の興亡、観光とサービス業の成長、EU統合と農業補助金の影響、インフラ(高速道路A19・A20、港湾、カターニア・パレルモ空港)の整備が島の経済空間を塗り替えました。

政治社会面では、自治権の運用と汚職・暴力犯罪の抑制、開発と環境保全の両立、雇用の創出が長期課題となりました。1980〜90年代には反マフィア運動が高揚し、ファルコーネ、ボルセッリーノ両判事の殉職を機に市民と国家の取組みが強化されます。メッシーナ海峡横断橋の是非をめぐる議論(環境影響・地震リスク・費用対効果)は、現在まで繰り返し浮上してきました。地中海中央の位置づけから、近年は北アフリカ・中東からの移動の玄関口となり、沿岸自治体・NGO・EUが救助・受入れ・統合の制度を巡って調整を続けています。

社会・文化・経済の現在――多層のアイデンティティと暮らしの実相

シチリア文化は、多言語・多宗教の歴史を背景に、強い地域アイデンティティを育んできました。料理では、カポナータ(揚げ野菜の甘酢煮)、アランチーニ(ライスボール)、パスタ・アッラ・ノルマ、イワシのパスタ(ブカティーニ・コン・レ・サルデ)、ピスタチオやカラスミを使ったソース、カンノーロ、カッサータ、グラニータなどが象徴的です。アラブ由来の香辛料・ナッツ・ドライフルーツ、スペイン由来の砂糖菓子の技法、ギリシア・ローマ由来のオリーブとワイン文化が一皿に同居します。ワインはネロ・ダーヴォラ、フラッパート、エトナの土着品種やビオ栽培が注目され、塩・柑橘・オリーブオイル・ツナ・イワシ加工品などの食品産業が地域ブランドを形成しています。

芸術面では、「オペラ・デイ・プーピ(操り人形芝居)」や色鮮やかなシチリア馬車(カレット)の装飾が民俗芸術の代表です。文学ではヴェルガのヴェリズモ、ピランデッロの劇作、トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫(イル・ガットーパルド)』が世界的評価を得ました。映画ではヴィスコンティ『山猫』、ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』が島の歴史的風景と郷愁を視覚化しました。宗教祭礼として、パレルモの聖ロザリア祭、カターニアの聖アガタ祭は市民生活の中心にあります。建築は、アラブ=ノルマンからバロック、自由主義時代のリベルティー(アール・ヌーヴォー)まで多彩で、旧市街の路地、マルカート(市場)、港、劇場(タオルミーナやシラクサの古代劇場)など、都市空間そのものが「野外博物館」の趣を持ちます。

経済は、観光・農業・食品加工・物流・公的部門の雇用が中心で、近年は再生可能エネルギー(風力・太陽光)やITアウトソーシング、文化遺産を活用した起業が芽生えています。一方で、若年失業、域外流出、インフォーマル経済、公共投資の偏在、インフラの脆弱性(鉄道の単線区間、上下水・廃棄物処理の課題)、暑熱・渇水の気候リスクが足を引っ張ります。EUの地域政策・復興基金の活用と、景観・生物多様性の保全を両立させる開発設計が問われています。都市ごとに特色が強く、パレルモは行政・文化の中心、カターニアは産業・大学・空港の結節、メッシーナは海峡交通の要、トラーパニとマルサラは塩田とワイン、ラグーザはチョコレートのモディカやバロック都市群、アグリジェントは神殿の谷とアーモンド、エンナは内陸の穀倉地帯の顔を持ちます。

現代の自治運営では、州議会と州政府(パレルモ所在)が特別自治の枠内で立法・財政を担い、県(広域自治体)とコムーネ(基礎自治体)が公共サービスを運営します。文化財の保護・活用は州の強みであり、考古学公園の整備、フェスティバルの開催、国際観光の回復・分散化(過度観光の回避)などが実務課題です。持続可能性の観点からは、海洋ごみ・沿岸侵食、地下水の塩水化、森林火災対策、再エネの系統接続と景観調和など、地中海全体が直面する課題に島として取り組む必要があります。

こうして眺めると、シチリア島は単なる観光地ではなく、地理・歴史・文化・政治経済の交差点として読み解くほどに面白さが増す地域です。古代植民都市の石、イスラームの水利、ノルマン王の法と宮廷、スペイン副王の砦、近代の鉄道と移民の記憶、戦争と占領の傷跡、そして自治州としての現在——これらが連続して重なり、今この瞬間の暮らしや政策選択に影響を与え続けています。シチリア島を学ぶことは、地中海という巨大な歴史空間の縮図を手のひらに載せることに他なりません。