「オバマ核兵器廃絶演説」は、2009年4月に当時のアメリカ大統領バラク・オバマがチェコのプラハで語った「核兵器のない世界」をめざすビジョンと、その後の政策・国際交渉・象徴的行為(2016年の広島スピーチ)を含む一連の取り組みを指す言い方です。演説は、核軍縮・不拡散・核テロ対策を「現実的な段階論」で積み上げる道筋を示し、アメリカ自身が核の役割を引き下げ、削減交渉を主導する「道義的責任」を公言した点で画期的でした。そこから新戦略兵器削減条約(新START)、核セキュリティ・サミットの創設、イラン核合意(JCPOA)などが動き出しますが、議会と国際情勢の壁、同盟国の抑止不安、核戦力の近代化という逆風も強く、理念と現実の間で揺れ続けました。広島での言葉は、被爆の記憶を人類の課題として語り直し、象徴の力で議論を押し広げました。本稿は、プラハ演説の中身、その後の実行と限界、広島演説の意味合いを順に解説します。
プラハ演説(2009)の骨子――「核なき世界」を段階で進める
2009年4月5日、オバマはプラハ城前で演説を行い、「核兵器のない世界(a world without nuclear weapons)」をアメリカの目的と明言しました。ただし、それは「今日や明日に達成できる目標ではない」と現実的制約を前置きし、段階的な工程表を示しました。第一に、アメリカが核の役割を縮小し、核兵器のない国際秩序における安全保障の在り方を模索すること。第二に、米露の戦略核を中心に核弾頭と運搬手段の上限を引き下げる二国間交渉を直ちに開始すること。第三に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准推進、核兵器用核分裂性物質の生産禁止(カットオフ)交渉の開始など、国際的な規範枠組みを強化すること。第四に、核テロの脅威に備えて、脆弱な核物質を世界中から4年以内に確保する行動計画を進めること。さらに核不拡散条約(NPT)体制の均衡(不拡散・平和利用・軍縮の三本柱)を立て直し、違反には実効的な制裁と検証を伴わせるべきだと訴えました。
オバマはまた、アメリカが戦時に原爆を使用した唯一の国家であることに言及し、その歴史的重荷を引き受けながら、核の役割を減らす先頭に立つ「道義的責任(moral responsibility)」を口にしました。抑止の必要や既存の同盟約束に触れつつも、核への依存を減らす将来像を提示したことが、演説の核心でした。聴衆に向けた言葉は平易で、核の専門議論を市民の言葉に移し替え、恐怖ではなく希望の物語として軍縮を語る工夫が随所に見られました。
同時に、技術と検証の現実にも踏み込みました。核弾頭・運搬手段の数値管理、査察の仕組み、低濃縮ウランの国際バンク構想、原子力の平和利用のガバナンス――どれも抽象論ではなく、制度と装置の話です。つまりプラハ演説は、理念の宣言であると同時に、制度設計を伴う政策の総合メニューでもありました。
実行された政策と国際プロセス――新START、核セキュリティ、NPR、イラン合意
プラハ演説の直後から、米露の新たな削減交渉が進み、2010年に新戦略兵器削減条約(新START)が署名・発効しました。これは配備戦略弾頭と運搬手段(ICBM・SLBM・戦略爆撃機)に上限を設け、相互の査察・通報を精緻化したものです。冷戦期から続く「数の管理」に現代的な検証を組み合わせ、戦略的安定を数値で再定義しました。アメリカの2010年「核体制の見直し(NPR)」は、核の唯一の目的を「米国と同盟国に対する核攻撃の抑止」に近づける表現を採り、非核兵器国に対しては、NPT順守を前提に核使用の可能性をさらに狭める政策を示しました。
核テロ対策では、2010年のワシントンを皮切りに核セキュリティ・サミット(2012ソウル、2014ハーグ、2016ワシントン)が創設され、各国が高濃縮ウラン(HEU)の削減・撤去、研究炉の改造、輸送と保管の強化、IAEA支援の拡充を約束しました。これは、国別の「小さな前進」を積み上げる方式で、短期に見える成果を重ね、軍縮の勢いを社会に可視化する効果を持ちました。
規範面では、CTBTの米国批准は実現せず、核分裂性物質生産禁止(FMCT)交渉も挫折を繰り返しましたが、核不拡散条約(NPT)運用検討の場で、査察強化(追加議定書)や輸出管理の枠組みが前進しました。地域案件では、イラン核問題の外交解決をめざす交渉が進み、2015年に包括的共同行動計画(JCPOA)が成立します。これは、核兵器転用のリスクを持つ濃縮活動とプルトニウム路線の双方に厳格な上限と検証を課す仕組みで、軍縮そのものではないにせよ、拡散防止を外交で達成する力を示しました。
一方で、北朝鮮は核・ミサイル開発を継続し、核実験と発射を繰り返しました。東アジアの安全保障環境は悪化し、日韓など同盟国の抑止不安に対応して、アメリカは拡大抑止(核の傘)のコミットメントを再確認せざるを得ませんでした。欧州でも、米露関係の緊張が再燃し、軍備管理の土台は徐々に揺らぎます。プラハで描いた直線的ロードマップは、現実の地政学の凸凹に沿って曲がりくねっていきました。
壁と逆風――議会政治、近代化、抑止の現実
プラハ演説の理想に対して、最初の大きな壁はアメリカの議会でした。CTBT批准には上院の3分の2が必要ですが、政党対立は強まり、共和・民主を跨ぐ安定多数を作ることが困難でした。科学技術の進歩で実験なしの維持管理(サイエンス・ベースト・ストックパイル・ステュワードシップ)が可能になったとはいえ、「検証の完全性」や「信頼性の長期維持」への懸念は根強く、批准の気運は熟しませんでした。
第二の壁は、老朽化した核抑止力の「近代化」でした。核弾頭の延命改修、ミサイル・潜水艦・爆撃機の更新は、巨額の予算と産業基盤を必要とします。これを削れば軍縮の象徴となりますが、抑止の信頼性に傷がついたと見做されれば、逆に同盟国の不安と対抗的な軍拡を招きかねません。実際には、条約で数を削減しつつ、残す戦力は信頼性を高める――という二面作戦が選ばれ、外見上は「削減」と「近代化」が同時進行する、わかりにくい風景が生まれました。
第三の壁は、国際秩序の動揺でした。米露の信頼は、条約で数を合わせる「古典的な軍備管理」の基礎ですが、相互の不信や地域危機の激化は、検証・通報・現地査察のルーティンを政治化しやすくします。オバマ政権後半には、INF条約の遵守をめぐる疑念が表面化し、軍備管理全体が後退局面に入ります。同時に、核兵器の非人道性を正面から問う市民社会と国連の流れが強まり、核兵器禁止条約(TPNW)策定へ向かう運動が勢いを得ましたが、核抑止に依存する国々は関与に慎重でした。プラハ演説の「段階論」は、禁止条約の「一気通貫論」と、抑止現実論の「据え置き論」に挟まれる形となり、政治の説得に高度な調整力が求められました。
さらに、オバマ政権末に検討された「先制不使用(NFU)」の採用は、同盟国の不安や議会の反発もあり実現しませんでした。核の役割縮小を掲げつつ、拡大抑止の信頼を維持するという二律背反が、最後まで政策を難しくしました。理念と現実の隙間は、容易には埋まりませんでした。
広島演説(2016)の位置――記憶と言葉の再編
2016年5月、オバマは現職のアメリカ大統領として初めて広島平和記念公園を訪れ、追悼と和解の言葉を述べました。演説は謝罪という形式を採らず、被爆の惨禍と人間の尊厳を普遍化する語りでした。彼は、核の発明がもたらした倫理的ジレンマ、人間が恐怖を乗り越え協力できる可能性、そして核兵器の削減と最終的廃絶をめざす決意を、静かな口調で繰り返しました。被爆者(ヒバクシャ)に会い、肩に手を置く場面は、記憶の継承を政治の言葉に結び直す象徴的瞬間として広く伝えられました。
広島での言葉は、プラハ演説の理念を「場所の力」で補強しました。抽象的な政策目標が、具体の歴史と向き合うことで、倫理的な重みを帯びます。一方で、米国内外では評価が分かれました。日本では「核抑止の傘」の現実と、被爆の記憶のあいだの緊張が露わになり、アメリカでは「謝罪外交」批判や、抑止力の信頼性にかかわる議論が起きました。とはいえ、あの日の映像と言葉は、核の議論を道徳と人間の物語に引き戻す効用を持ち、被爆地の証言を世界の公共空間に押し広げました。
翌年、国連で核兵器禁止条約(TPNW)が採択され、ヒューマニタリアンな視座は条約という形を得ました。アメリカは同条約に参加していませんが、広島の経験とプラハの理念は、軍縮・不拡散の議論で避けて通れない参照点となり続けています。数を減らす交渉と、非人道性の自覚を深める取り組みは、本来対立するものではなく、補完関係に置き直す必要がある――そのヒントが、両演説の間には込められていました。

