「核実験(アメリカ)」は、1945年の〈トリニティ〉に始まり、1963年の部分的核実験停止条約(PTBT)で大気圏内実験が止むまでの可視的な時代と、1992年の核実験モラトリアム以後に続く「臨界に達しない」サブクリティカル実験・計算機シミュレーションの時代という二つの相を持ちます。アメリカの核実験は、兵器そのものの性能確認だけでなく、軍事戦略、外交交渉、科学技術、環境と公衆衛生、先住民・周辺住民の権利、補償制度といった広範な問題領域を巻き込みました。マーシャル諸島やネバダ砂漠の風景に刻まれた痕跡は、技術の進歩と引き換えに生じた外部性の大きさを物語ります。本稿では、成立と展開、技術と目的、環境・社会への影響、国際条約とモラトリアム、現在の管理・検証体制という観点から、アメリカの核実験を分かりやすく整理します。
歴史的展開:トリニティからネバダ、太平洋、そしてモラトリアムへ
起点は1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード近郊で実施された〈トリニティ〉実験です。プルトニウム型インプロージョン装置の起爆は、広島・長崎投下へ直結し、核時代の幕を開きました。戦後すぐの1946年には、ビキニ環礁で〈クロスロード作戦〉(Able/Baker)が行われ、艦隊に対する爆風・放射線・水しぶきによる汚染効果が検証されます。水中爆発の「ベーカー」は大量の放射性沈着を引き起こし、除染の困難さを世界に印象づけました。
大規模な常設試験場としては、1951年にネバダ核実験場(のちネバダ国家安全保障サイト)が開設され、ラスベガス北西部の砂漠で繰り返しの大気圏内試験が行われます。〈タンブラー=スナッパー〉〈アップショット=ノットホール〉など1950年代前半の連続作戦では、タワー起爆、気球、砲弾(原子砲〈グラニー・アニー〉)といった多様な方式が試され、都市模型や車両、家屋を並べた効果試験が注目を集めました。夜空を照らす閃光は観光資源化されるほどでしたが、風下住民(ダウンウィンダー)への被曝リスクを高める結果ともなりました。
同時期に太平洋でも、エニウェトク環礁・ビキニ環礁・ジョンストン島などで高出力の実験が進みます。1952年の〈アイビー・マイク〉は世界初の実用規模熱核(いわゆる水爆)実験で、液体重水素を用いた巨大装置が島の一部を消し飛ばしました。1954年の〈キャッスル・ブラボー〉は、固体燃料化に成功した熱核段階の実験で、予想外の核反応により想定を大きく超える超高出力に達し、広範な放射性降下物を発生させました。近隣海域の漁船や島民が被曝し、マーシャル諸島社会の健康・生計と米国の補償問題を長期の課題として残します。
1958年には米ソ英の間で自発的な核実験モラトリアムが始まりますが、1961年にソ連が大気圏内実験を再開すると、米国も〈ドミニック作戦〉で高高度爆発(例:スター・フィッシュ・プライム)を含む多数の試験を太平洋で実施しました。人工帯電による通信障害・衛星損傷など宇宙環境への影響が確認され、核爆発が地球システム全体に及ぼす影響への理解が進みました。
1963年の部分的核実験停止条約(PTBT)により、大気圏内・宇宙空間・水中での核実験は禁止され、以後は地下実験が主流となります。ネバダでは縦坑(シャフト)やトンネルを用いた地下爆発が続行され、〈ベーンベリー〉(1970年)のように地下破砕の予測を誤り放射性ガスが噴出する事故も発生しました。1960年代〜70年代には「平和的核爆発(PNE)」の研究として〈プラウシェア計画〉が進められ、ネバダの〈セダン〉(巨大クレーターを形成)や天然ガス増産を狙ったニューメキシコの〈ガスバギー〉〈ルリソン〉〈リオ・ブランコ〉などが実施されましたが、放射能汚染・経済性の問題で商用展開は断念されます。
米ソは1974年の閾値核実験制限条約(TTBT)で地下実験の出力上限(150キロトン)に合意し、相互の計測方式や坑道アクセスに関する信頼醸成措置を整えます。冷戦終結後の1992年、米国は実爆を伴う核実験のモラトリアムに入り、最後のフルスケール試験(〈ディバイダー〉)をもって幕を閉じました。1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)には署名したものの、上院の批准は未了のままです。以後は核兵器の信頼性を維持するために、臨界に達しないサブクリティカル実験、超高性能計算、非核高エネルギー密度実験へと軸足が移りました。
技術・目的・運用:設計確認、効果測定、維持管理—試験の中身
アメリカの核実験の目的は大きく三つに分けられます。第一に〈設計試験〉です。新型核弾頭の起爆系、一次段(フィッション)から二次段(フュージョン)へのエネルギー移送、爆縮対称性、放射輸送などの物理過程を実機で検証し、量産前の信頼性と安全余裕を確認しました。第二に〈効果試験〉です。爆風・熱線・初期放射線・電磁パルス(EMP)が、艦船・航空機・ミサイル・通信網・都市構造物に与える影響を実地に測り、遮蔽・硬化・運用手順を最適化しました。第三に〈安全・取扱い〉関連の試験で、異常起爆や落下・火災時の核出力を抑え、プルトニウム散逸やトリチウム漏えいの管理を検討しました。
試験の設計には、ロスアラモス(LANL)、ローレンス・リバモア(LLNL)、サンディア(SNL)の国立研究所が中核となり、ネバダ実験場での実施、太平洋試験場との連接が図られました。高速度撮影、フラッシュX線、放射線検出器、地震観測網、気象観測などの計測技術は、この過程で大きく発展します。地下実験では、坑道の封じ込め(コンテインメント)計算、岩盤の破砕モデル、地震波逆解析の技法が磨かれ、CTBT以後の核探知学(核爆発を地震等から識別する手法)へもつながりました。
1992年以降の〈ストックパイル・ステワードシップ計画〉は、実爆に頼らず既存の核弾頭の安全性・信頼性・有効性を維持する国家計画です。サブクリティカル実験(臨界未満の量の核物質と高爆薬を用いる)に加え、慣性核融合実験(LLNLのナショナル点火施設:NIF)、サンディアのZマシン(強力パルス電磁圧縮)、超並列計算による多物理場シミュレーション(ASC計画)が三位一体で弾頭挙動の理解を更新します。非破壊検査、老朽材料の加速劣化試験、異常環境での応答評価も体系化され、〈延命改修(LEP)〉として既存弾頭の寿命延長を行います。
国際検証の側面では、包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)の国際監視制度—地震計、放射性核種、微気圧、ハイドロアコースティック—の拡充と、米国内の核探知・帰属能力の強化が連動しています。過去の地下試験で培われた地震学的知見は、外国の未申告実験の識別能力向上に資する一方、国内でも過去試験の環境影響評価・封じ込め性能再評価に用いられています。
環境・社会・補償:ダウンウィンダー、先住民、マーシャル、鉱山労働者
核実験は、科学と安全保障の名の下に行われましたが、環境・健康・社会のコストは甚大でした。ネバダ核実験場の風下地域では、甲状腺がんなど特定疾患の増加が指摘され、1990年に〈放射線被曝補償法(RECA)〉が制定されます。これは大気圏内実験の風下住民、ウラン鉱山・製錬労働者、核実験場労働者などに一時金を給付する制度で、対象地域や期間、疾病が法定されています(延長・改正を繰り返しつつも十分性をめぐる議論が続いています)。
先住民コミュニティも直接の影響を受けました。試験場に近いユト、ショショーニなどの土地利用、狩猟・採取文化、聖地の扱いは、核実験・軍事利用と衝突しました。環境影響(地下水汚染、土壌残留、希少生物の生息地破壊)への配慮は、冷戦後になって本格化しますが、完全な回復は容易ではありません。核実験場の土木構造物や放射性残渣の管理は長期課題です。
太平洋のマーシャル諸島では、ビキニ・エニウェトクでの連続実験が居住地の移転・生活基盤の喪失・長期の健康影響をもたらしました。米国は自由連合盟約と関連法に基づき補償・医療・環境復旧を行い、〈核賠償委員会〉を通じた賠償枠組みを設けましたが、基金の不足や長期健康調査の継続性、帰還の条件整備をめぐって課題が残ります。日本の漁船乗組員被曝(遠洋の漁業経済と地域社会への影響)も、国際的な補償・外交問題となりました。
また、核開発のサプライチェーンにはウラン採掘・製錬が含まれます。ニューメキシコなどでのウラン鉱山は、ナバホなど先住民を中心とする労働者の健康被害・環境汚染を引き起こし、RECAの補償対象に組み込まれました。廃鉱や尾鉱の処理、地下水の浄化、地域経済の再建は、今日まで続く課題です。
条約・規範・現在:PTBT、TTBT、CTBT、そして「実験なき維持」
国際規範の面で、アメリカの核実験は、条約の形成と内政のせめぎ合いの焦点でした。1963年のPTBTは大気圏内・水中・宇宙での実験を禁じ、可視的なキノコ雲の時代に終止符を打ちました。1974年のTTBTと1976年の平和的核爆発条約(PNET)は、地下実験の上限出力と検証措置を定め、米ソの相互信頼を高めました。1996年のCTBTは包括禁止を掲げ、米国は署名こそしたものの、未批准であるため条約発効を妨げる要因の一つとなっています。それでも、1992年以降の大統領令・議会方針によるモラトリアムは維持され、〈実験なき維持〉の国家戦略が長期化しています。
この戦略の実務を担うのが、国家核安全保障局(NNSA)と三研究所の連合体です。材料科学、爆轟物理、放射輸送、計算科学、システム工学、品質保証が有機的に結びつき、核弾頭の改修・更新・退役(解体)・保管が統合的に管理されています。非核試験設備—NIF、Z、DARHT(デュアルアクシス放射線水平方向トモグラフィ)、各種ガンレンジ—は、起爆器・爆縮の挙動をミクロからマクロまで跨いで観察するための〈疑似実験〉の基盤です。
検証技術の高度化も進みました。全地球規模の地震学ネットワーク、希ガス観測(クリプトン・キセノン同位体)、高分解能衛星画像、オープンソース情報分析が組み合わされ、未申告核実験の兆候を検出する能力は冷戦期に比べて飛躍的に向上しています。これにより、〈実験に頼らず抑止と安全を維持する〉という選択に現実性が与えられています。
もっとも、時間の経過は材料の経年劣化や人材継承の問題を深刻化させます。プルトニウムの自己発熱・ヘリウム生成、爆薬の老化、電子部品の陳腐化などは、実機を爆発させないまま確度高く評価することを難しくします。若手世代が実爆を経験しないまま設計・評価を担うという〈知の継承〉の課題もあります。ゆえに、サブクリティカル実験や統合効果試験の設計、仮想試験の検証性担保など、〈実験なき時代の科学方法論〉が問われ続けています。
総じて、アメリカの核実験は、技術・戦略・社会の交差点に立つ現象でした。大気圏時代の華やかさと影、地下時代の精緻な工学、モラトリアム時代の計算・光学・材料科学。これらは断絶ではなく連続の上にあり、被害とリスクの記憶、補償と透明性、検証と抑止のバランスという課題を今に引き渡しています。核の歴史を学ぶことは、科学の力と限界、国家安全保障の論理と倫理、地域社会の声を一体で捉える作法を身につけることに他なりません。アメリカの核実験は、その難しさと必要性を最も濃密に体現したケーススタディなのです。

