核実験(核保有)(インド) – 世界史用語集

インドの核実験と核保有とは、独立後の安全保障上の不安と大国化への志向のなかで、核兵器を国家戦略の一部として選び取っていった過程を指します。1960年代の中印関係の緊張や中国の核保有、そしてパキスタンとの対立は、インドにとって核抑止の必要性を現実の課題として突きつけました。1974年のポカランでの「平和目的の核爆発」を皮切りに、1998年の連続実験で核兵器国としての地位を既成事実化し、その後は実験の停止を宣言しながら、「信頼できる最小限抑止(Credible Minimum Deterrence)」を掲げて戦力を整えました。核保有は軍事だけでなく、外交・経済・科学技術、さらには世論や倫理の問題にまで波及し、インドの国家像を形づくってきました。本稿では、なぜインドが核に踏み切り、どのように実験を行い、どのような体制を築いてきたのかを、歴史の流れに沿ってわかりやすく説明します。

インドの核政策は、核不拡散条約(NPT)に参加しないという選択や、包括的核実験禁止条約(CTBT)への未署名といった独自色も持ちます。他方で、2000年代に入ると米印原子力協力を機に国際的な原子力取引の枠組みに復帰し、民生用原子力と軍事プログラムを分離する形で国際社会との折り合いをつけてきました。核兵器の運用は、空軍・陸軍・海軍の三軍にまたがる統合的な指揮管理(NCA=核司令権)と、事故防止・発射手続の厳格化を柱にしています。こうした動きの全体像を追うことで、インドの核保有が単なる力の誇示ではなく、地域安全保障と国際政治の力学の中で形成された現実的な選択であったことが見えてきます。

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独立後の安全保障環境と核保有の決断

インドの核研究は独立直後から進められ、初期には民生用原子力の開発が中心でした。中心的役割を果たしたのはホミ・J・バーバーで、ボンベイ(現ムンバイ)にバーバー原子力研究センター(BARC)の前身となる機関を設立し、原子炉の建設や核燃料サイクルの確立を推進しました。1950年代にはカナダやアメリカの協力を受けて重水炉(CIRUS)を導入し、プルトニウムの入手経路を確保しました。当初は「原子力の平和利用」を前面に出していましたが、核兵器の潜在的製造能力は着々と蓄積されていきます。

転機となったのは1962年の中印国境紛争と、1964年の中国の核実験成功でした。これにより、インド国内では核抑止の必要性を求める声が強まりました。議会や政権内でも意見は割れましたが、核兵器を完全に否定する立場は影響力を失い、最低限の抑止力を確保する現実路線が徐々に優勢になります。さらに、パキスタンとの関係悪化、とくに1965年や1971年の印パ戦争は、地域における軍事バランスの不確実性を増幅させ、核の「最後の担保」としての意義が重く受け止められるようになりました。

インドは道義的に核軍縮を支持すると同時に、「核不拡散条約(NPT)は既存の核保有国の特権を固定化する不平等条約である」という批判を展開しました。そのためNPTへの不参加を貫きつつ、自国の選択肢を狭めない姿勢を維持します。こうした戦略思想のもと、核兵器化への準備は民生研究の陰で続けられ、1970年代には実験に踏み切るだけの技術基盤が整えられていきました。

1974年ポカランと「平和目的」実験:成功と代償

1974年5月、インドはラージャスターン州の砂漠地帯ポカランで地下核実験を実施し、「微笑むブッダ(Smiling Buddha)」のコードネームで公表しました。政府は「平和目的の核爆発(PNE)」と説明し、兵器化を直ちに宣言することは避けましたが、実効的には核兵器の製造能力と設計の信頼性を示す一歩となりました。装置はプルトニウム型で、従来の技術や国内で確保した核物質を用いて構成されたとされます。爆発は地下深くで行われ、地表の破壊は限定的でしたが、国際社会に与えた衝撃は大きかったです。

この実験の政治的効果は複雑でした。一方では、国内に自立した技術力を誇示し、中国やパキスタンに対して心理的な抑止効果をもたらしました。他方では、核供給国グループ(NSG)創設の直接的な契機となり、先進国による対印輸出規制が強化されました。原子力協力の縮小は、民生用原子力の発展や研究機材の入手に障害をもたらし、インドは以後、技術の国産化と秘密主義を強めざるをえませんでした。

1974年後、インドは核兵器の即時配備を急がず、長期にわたって「曖昧な核地位」を維持しました。これは国際的な非難を抑えながら政策的な柔軟性を保つ選択でもありました。科学技術面では、起爆装置や爆縮レンズの精度向上、核物質の生産能力の拡大、投射手段の拡充といった課題に計画的に取り組み、将来の兵器化に備える体制を整えていきます。軍事・外交両面の環境が変化するなかで、最終的な核保有の明確化は1990年代末まで持ち越されました。

1998年ポカランIIと核戦力の確立:ドクトリンと運用

1998年5月、インドはポカラン実験場で複数回の地下実験(一般に「ポカランII」「シャクティ作戦」などと呼称)を実施し、核兵器保有を明確にしました。政府は短期間に連続実施する形で、異なる設計の弾頭の検証を行ったと発表しました。これには核分裂型と熱核(いわゆる水爆)とされる設計が含まれ、出力と起爆系の多様なパラメータが試されたと説明されます。諸外国の一部研究者からは熱核出力に関して異論が提示されましたが、インド政府は実験目標が達成されたとの立場を堅持し、その後の兵器化と配備を進めました。

実験直後、国際社会は経済制裁や輸出規制の強化で反応しましたが、インドは安全保障上の必要性を主張し、国内の世論は概して支持的でした。政権は核政策の枠組みとして「信頼できる最小限抑止」を掲げ、必要以上の大量配備は行わず、しかし相手に重大な損害を与えうる能力は確実に保持するという原則を明示しました。また、インドは「先制不使用(No First Use, NFU)」を宣言し、核兵器の使用は核攻撃への報復に限るとしました。ただし、化学・生物兵器による大規模攻撃への対応をどう位置づけるかなど、例外や運用細則をめぐる議論は残されています。

投射手段の整備では、空軍による自由落下型の投下能力から出発し、のちに地上発射弾道ミサイル(プラトヴィ、アグニ各系列)へと軸足を移しました。アグニI~Vは射程と精度の面で段階的に進化し、地域全域に対する抑止を意図します。さらに、海中発射能力の確立は抑止の生残性を高める鍵となり、原子力潜水艦「アリハント」級の就役とSLBM(K-15/K-4など)の整備によって、インドは核の三本柱(三位一体の核トライアド)に近づきました。これにより、敵の先制攻撃に対しても報復能力を維持できる「第二撃」態勢の信頼性が大きく向上しました。

指揮・統制の面では、政府首脳を頂点とする核司令権(NCA)が整備され、戦略軍司令部(SFC)が三軍横断で運用に当たります。安全装置、二重承認手続、通信の冗長化などの措置がとられ、偶発的発射や誤作動のリスクを抑える努力が続けられています。演習や模擬訓練により、危機時の意思決定や連絡系統の信頼性も点検され、核の抑止と統制の両立を図っています。

条約・外交・技術・社会:核保有をめぐる現在地

条約面でインドは、NPTとCTBTに署名していません。これは、既存の核秩序の不平等性と、地域安全保障の現実から自国の選択肢を縛られたくないという判断に根ざします。他方で、2005年以降の米印原子力協力合意と、2008年の原子力供給国グループ(NSG)による対印特例の承認は、インドが国際的な原子力市場に限定的に復帰する道を開きました。民生用原子力の施設を国際原子力機関(IAEA)の保障措置下に置く一方、軍事用の施設と核物質は別枠で管理する「区分化」によって、国際的な信頼と戦略的自律性の両立を図る枠組みが構築されました。

外交的には、中国とパキスタンの二正面を意識した抑止関係が続きます。中国の核近代化やミサイル防衛、宇宙・サイバー領域の進展は、インドの脅威認識に影響を与え、射程・精度・機動性・貫徹力の向上を促しています。パキスタンとの関係では、相互のミサイル開発や危機局面でのエスカレーション管理が課題であり、いわゆる「限定核使用」や戦術核をめぐる議論は、インド側の運用思想にも波及しています。インドは戦術核の配備に慎重ですが、通常戦力と核抑止の接点である「しきい値」をどう維持するかは継続的な論点です。

技術面では、実爆試験を伴わない「サイエンス・ベースト」な信頼性維持が主流になっています。材料劣化のモニタリング、起爆系の非核検証、流体・固体力学と高エネルギー密度物理の計算モデル、風洞や衝撃試験設備を活用した弾頭の環境耐性評価など、複合的な手法で戦力の健全性を担保します。ミサイルの固体燃料化、機動再突入体(MaRV)の研究、衛星航法と慣性誘導の統合など、兵器システムは運用面と統制面を同時に強化する方向で近代化が進みます。海洋抑止の生存性を高める静粛化技術、通信の秘匿性の向上、衛星・長波通信の冗長化も重要課題です。

社会と倫理の側面では、核保有を支持する「安全の傘」の論理と、被害の不可逆性を強調する反核の声が共存しています。ポカラン地域では、地下実験に伴う地質・環境影響や地域社会への配慮が議論され、情報公開や補償、環境モニタリングの充実が求められてきました。国内政治においても、核計画の透明性、費用対効果、事故や誤認のリスク、指揮統制の信頼性など、民主主義国家としての説明責任が不断に問われています。

インドは公式には「核実験のモラトリアム」を継続しつつ、核兵器国としての実力と責任を両立させる道を模索しています。抑止力の過不足をどう見極めるか、同盟に依存しにくい地政学のもとで技術的自立をどこまで追求するか、そして国際的な軍縮・不拡散体制との接点をどのように拡張するかが、今後の焦点です。核実験と核保有の歴史は、インドという国家が抱える安全保障の現実と、国際規範の理想の間で繰り返されてきた選択の記録でもあります。過去の判断が現在を形づくり、現在の選択が未来の安全と信頼を左右するという意味で、核政策は一国の長期的な国家戦略に直結するテーマであり続けます。