カフカス(コーカサス)は、黒海とカスピ海にはさまれた大山脈とその周辺地域の総称で、ユーラシアの十字路として多様な民族・言語・宗教が密集する世界的な文化のモザイクです。地理的には大カフカス山脈(大コーカサス)と小カフカス山脈(小コーカサス)を軸に、北側のステップと南側の高原・渓谷が対照的な景観をつくります。最古層の先住言語群から、アルメニア語やオセット語、アゼルバイジャン語、ロシア語に至るまで多言語が共存し、キリスト教(正教・アルメニア使徒教会・グルジア正教)とイスラーム(スンナ派・シーア派)、さらにはユダヤ教の伝統も重なります。古代から現代に至るまで、ペルシア・ローマ/ビザンツ・アラブ・モンゴル・オスマン・ロシアなど諸帝国の縁辺かつ接点であり、交易路・軍事回廊・資源(石油・ガス)・パイプラインの通り道として戦略的比重が高い地域です。本項では、地理と区分、言語・民族と宗教、歴史的変遷、近現代の国家と紛争、生活文化の概観を整理します。
地理と地域区分――山脈が形づくる回廊と障壁
カフカスの背骨である大カフカス山脈は西の黒海岸から東のカスピ海岸まで延び、氷河を抱く高峰が連なります。エルブルス(標高5,642m)はヨーロッパ最高峰に数えられ、カズベクやディフタイなどの山塊が氷雪と岩の景観をつくります。山脈を越える古来の通路として、ダリアル峠(テレク川上流)とデルベント(カスピ海岸の狭隘部)が著名で、いずれも北から南、または東西の移動・侵入を制御する「門」として機能してきました。南側には火山性の小カフカス山脈が走り、アルメニア高原やクラク川(クラ/クーラ)・アラス川(アラクス)の谷が農耕・都市の基盤を提供します。気候は黒海沿岸の湿潤帯から、東部の乾燥草原、山間の高地冷涼帯まで多彩で、短距離で植生と生業が切り替わるのが特徴です。
地理・歴史叙述の便宜上、北側は「北カフカス」、南側は「南カフカス(トランスコーカサス/南コーカサス)」と区分されます。北カフカスはテレク・クバンのステップと山麓に広がる共和国・自治地域(チェチェン、イングーシ、ダゲスタン、カバルダ・バルカル、カラチャイ・チェルケス、北オセチアなど)からなり、南カフカスはアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア(グルジア)の三国が中心です。地形が複雑なため、短い距離で方言・民族・信仰が入れ替わり、村ごと・谷ごとに独自の伝統が続くという「細胞状」の空間構造が見られます。
言語・民族・宗教――世界有数のモザイク
カフカスは言語学上の宝庫として知られます。先住の固有言語群として、北西カフカス語族(アブハズ・アディゲ系:アブハズ語、アディゲ語、カバルド語など)、北東カフカス語族(ナフ=ダゲスタン系:チェチェン語、イングーシ語、アヴァル語、レズギ語、ダルギン語、ラク語など)、南カフカス語族(カルトヴェリ語族:ジョージア語、メグレル語、ラズ語、スヴァン語)があり、これに印欧語派のアルメニア語・オセット語、テュルク語派のアゼルバイジャン語(アゼリ語)、キプチャク系諸語、さらにはロシア語などが共存します。文法構造・子音体系・屈折の仕組みが多様で、隣り合う村でも音韻と語彙が驚くほど異なることがあります。
民族構成も極めて多様です。北西のチェルケス(アディゲ)・カバルド、北東のダゲスタン諸民族(アヴァル、レズギ、ダルギン、タバサラン等)、中央のオセット(スキタイ系を祖とするイラン語系)、南側のアルメニア人(印欧語派の独自言語と使徒教会の伝統)、ジョージア人(カルトヴェリ系の古い文語文化)、アゼルバイジャン人(テュルク系でシーア派多数)など、言語・宗教・歴史意識の組み合わせが異なります。ユダヤ教の伝統を持つ「マウンテン・ジュウズ(高地ユダヤ人)」や、ギリシア系・クルド系のコミュニティが歴史的に存在した地域もあります。
宗教分布は、ジョージアとアルメニアに深く根づくキリスト教(ジョージア正教、アルメニア使徒教会)、北カフカスとアゼルバイジャンに広がるイスラーム(北カフカスはスンナ派が主でスーフィズムの教団伝統が強く、アゼルバイジャンではシーア派が多数派、スンナ派も共存)の大きな二層を基本に、少数のユダヤ教・ヤズディ教・古来信仰の要素が混在します。宗教は単なる信仰にとどまらず、法・慣習・教育・祝祭のリズムを形づくる重要な社会装置です。
歴史的変遷――諸帝国の縁辺として
古代には、コルキス(黒海南岸)やイベリア(東部高原)といった王国が文献に見え、ギリシア神話の「金羊毛」伝説は黒海沿岸の交易圏を反映します。アケメネス朝ペルシアは南カフカスにサトラピ制を及ぼし、ローマ/ビザンツとサーサーン朝は何世紀にもわたりこの地域を巡って抗争しました。中世にはアラブの拡大ののち、ジョージア王国が12~13世紀に一時的な繁栄を迎え、アルメニア諸公国も文化を花開かせますが、モンゴル来襲とティムールの遠征で秩序は大きく変動します。カスピ海岸のデルベントの城壁や山中の塔群は、外征と防衛の長い記憶を刻みます。
近世には、オスマン帝国とサファヴィー朝(のちカージャール朝)が南カフカスを争い、カルトヴェリ・カフカスの諸公国は両大国の間で自律を模索しました。18~19世紀、ロシア帝国は黒海南岸・カスピ海南岸へ南下し、長期の「コーカサス戦争」(広義、19世紀前半~中葉)で北西カフカスのアディゲ系・アブハズ系諸民族、北東の山岳民(イマーム・シャミールの抵抗で知られるナフ=ダゲスタン系)を相手に激しい征圧戦を展開します。戦争と疫病・移住の圧力は、人口の大規模な移動(特にオスマン領へのムハージル出立)を引き起こし、北西カフカスでは伝統社会に深い断層が生まれました。
19世紀末から20世紀初頭の帝国解体期には、南カフカスで短命の民主共和国(アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア)が成立し、のちソビエト連邦の加盟共和国となります。第二次世界大戦期には、北カフカスで一部民族に対する強制移住(チェチェン人・イングーシ人・カラチャイ人・バルカル人などが中央アジアへ移送)の悲劇が起こり、戦後に帰還が進みましたが、社会の傷痕は長く残りました。冷戦期、都市化と産業化は教育・医療の普及を進める一方で、伝統的共同体と新しい国民国家意識の間に緊張を生みました。
近現代の国家・紛争・資源――境界と自決をめぐって
1991年以降、南カフカスの三国は独立国家として再出発し、旧ソ連の境界線と民族分布のずれが、いくつかの紛争の火種となりました。アルメニアとアゼルバイジャンの間ではナゴルノ=カラバフ(アルツァフ)をめぐる対立が続き、停戦と衝突が繰り返されました。ジョージアでは1990年代にアブハジア、南オセチアをめぐる武力衝突が発生し、2008年には南オセチア情勢を契機とする戦闘が起きています。北カフカスでも、チェチェンを中心に激しい武力対立と治安問題が続いた時期があり、地域の安全保障と社会再建が大きな課題となりました。
資源と交通の面では、カスピ海沿岸の石油・天然ガス田と、それを黒海・地中海へ結ぶパイプライン網(例として、バクー—トビリシ—ジェイハンなど)が地域の地政学的重要性を高めました。資源収入は国家建設や都市改造の財源となる一方、境界・インフラ・外資の利害が絡む政治的摩擦を生みやすく、環境問題や地域格差の課題も付随します。山間の小規模水力・観光・ワインや果樹といった農業の付加価値化など、多様な開発の試みが併走しています。
国際的な往来の増加は、ディアスポラのネットワークと文化の再編を促しました。アルメニア人・アゼルバイジャン人・ジョージア人・チェルケス人などの海外コミュニティは、送金・投資・文化イベントを通じて本国と結びつき、相互理解とロビー活動の双方に関与します。メディア・教育・観光が広がることで、カフカスの多様な歴史叙述が国境を越えて競合・対話する機会も増えました。
生活文化と記憶――食・居住・作法・語り
カフカスの生活文化は、山と谷の地形に支えられた自給技術と都市の交易文化の交差点にあります。石積みの山村、木造のバルコニーを持つ町家、葡萄棚の広がる丘陵、羊飼いの移牧など、景観は多様です。食文化では、ヒンカリ(ジョージアの肉餃子)、ハチャプリ(チーズパン)、シャシリク(串焼き)、ドルマ(葡萄葉包み)、ラヴァシュ(薄焼きパン)、スパイスとナッツを用いたシチューやペースト類、ザクロやハーブの酸味が印象的です。ワイン生産は古代からの伝統で、クヴェヴリ(素焼きの壺)を地中に埋めて醸す方式は世界的にも注目されています。
社会規範としては、客人を歓待する作法(トーストを司る「タマダ」の存在など)、年長者への敬意、氏族・家族の結束が重んじられます。舞踊と多声合唱は地域ごとに異なるリズムと衣装を持ち、結婚式や祭礼は共同体の連帯を可視化する場です。口承の英雄譚(ナルト叙事詩など)や山の聖所にまつわる伝承は、古層の信仰と歴史記憶をつなぎます。工芸では、毛織物・刃物・木工・金属細工が知られ、都市のバザールは地場と外来の意匠が交差する場でした。
こうした文化要素は、近代化・都市化・移住の波の中で変容しつつも、家庭・祭礼・観光の場で再演され、地域アイデンティティを更新し続けています。山の小共同体と首都のコスモポリタンな生活世界は、一見断絶しているようでいて、食・音楽・礼儀の回路を通じて相互に影響を与え合っています。
まとめ――多様性と境界の間で
カフカスは、自然の障壁と回廊が重なり合う地形のうえに、言語・宗教・国家の境界が幾重にも走る「層」の地域です。外部からの帝国の圧力と内部の多様性を同時に抱え込むことで、悲劇と創造の双方を経験してきました。今日のカフカスを理解する鍵は、地図の線に固定された単純な区割りではなく、山と谷、都市と村、宗教と世俗、伝統と近代の間を揺れ動く人びとの実践に目を向けることにあります。モザイクの一片一片が歴史をもち、その総体が「カフカス」と呼ばれてきた—その事実こそが、この地域の最大の魅力であり難題でもあるのです。

