環境と開発に関する国連会議(地球サミット) – 世界史用語集

「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」は、1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された大規模な国際会議で、環境保護と経済開発を二者択一ではなく両立させる「持続可能な開発」という考え方を世界の共通語に押し上げた出来事です。170を超える国・地域の首脳級が参加し、自然環境の保全、気候変動や生物多様性の危機への対応、貧困と開発の課題を一体として扱う枠組みを作りました。ここで採択された「リオ宣言」「アジェンダ21」「森林原則声明」に加え、法的拘束力をもつ二つの条約――気候変動枠組条約(UNFCCC)と生物多様性条約(CBD)――への署名開始が大きな節目となりました。会議は、国家だけでなく自治体、企業、市民社会、先住民や若者など多様な主体が「持続可能性」を合言葉に参画する入り口を作り、以後の国際交渉や国内政策、企業経営、教育現場にまで長く影響を与えています。本稿では、開催の背景と会議の全体像、採択文書と制度、交渉の対立軸とキーワード、そしてその後の展開を整理して解説します。

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開催の背景と全体像―「環境」と「開発」をつなぐ国際合意

地球サミットの出発点には、1972年のストックホルム会議で芽生えた国際環境ガバナンスの流れと、冷戦終結を迎えた世界政治の再編があります。1970年代は公害・酸性雨・オゾン層破壊が注目され、1980年代には飢餓・債務危機と環境破壊の重なりが問題化しました。1987年にはブルントラント委員会報告が「将来世代のニーズを損なうことなく、現在の世代のニーズを満たす開発」という定義を提示し、環境と開発の統合が国際議題の中心に躍り出ます。さらに、チェルノブイリ事故やアマゾン森林減少、サヘル地域の砂漠化、地球温暖化に関する科学報告が相次ぎ、グローバル課題への包括的な対応が求められるようになりました。

こうした流れを受け、1992年のリオ会議は、各国首脳・閣僚、市民社会、企業、学術界、自治体などが同時多発的に集合する「マルチステークホルダー型」の先駆けとなりました。本会場の政府間交渉に並行して、NGOフォーラムや企業展示、先住民の会合、ユースの集まりが開かれ、会議の外縁で形成されたネットワークがのちの実践を支えます。国際社会は、途上国の貧困と先進国の大量消費という二つの側面が一体である現実を確認し、資金・技術・知識の流れを組み直す方向性を共有しました。

地球サミットの特徴は、理念と実務の橋渡しにあります。理念面では「持続可能な開発」「共通だが差異ある責任」「予防原則」「参加と情報公開」といったキーワードが整理され、実務面では、国家計画、地方自治体の行動計画、企業の環境管理、教育・消費行動の変革までを見通す包括的な青写真が示されました。これにより、環境問題は専門家だけの課題ではなく、社会のあらゆる部門が関わる横断テーマとして再定義されました。

採択文書と制度―リオ宣言・アジェンダ21・二大条約・森林原則

会議の中心成果は、まず「リオ宣言」です。これは27原則からなり、環境と開発の基本姿勢をうたいます。たとえば、貧困克服の重要性、開発の権利と環境保護の両立、環境影響評価の推奨、世代間公平、予防原則、汚染者負担原則(汚染の費用は原則として原因者が負担する)、情報へのアクセスと市民参加、紛争の平和的解決などが盛り込まれました。法的拘束力は弱いものの、各国の政策立案や条約解釈の指針として使われ続けています。

第二に、全40章から成る行動計画「アジェンダ21」が策定されました。これは地球規模から地域、そして各自治体レベルまでの行動を網羅的に整理し、貧困対策、持続可能な消費と生産、気候・生物多様性・森林・海洋・淡水、化学物質・有害廃棄物、農業・エネルギー・交通、健康・教育・意思決定、科学と技術移転、資金調達など、多岐にわたるテーマごとの実施手段を具体化します。アジェンダ21は「ローカル・アジェンダ21」という形で自治体が地域版の計画を作る動きに発展し、学校教育や企業の環境マネジメントにも波及しました。

第三に、法的拘束力をもつ二つの多国間環境条約が署名に付されました。一つは「気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)」で、温室効果ガスの濃度安定化を長期目標に掲げ、先進国に排出抑制と支援の努力義務を課し、すべての締約国に温室効果ガスのインベントリ作成や対策計画の提出を求めました。もう一つは「生物の多様性に関する条約(CBD)」で、生物多様性の保全、持続可能な利用、遺伝資源の公正かつ衡平な利益配分という三本柱を定め、各国の国家戦略策定や保護区整備、伝統知識の尊重を義務づけました。会議の直後から各国で署名・批准が進み、1990年代半ば以降、条約会議(COP)で具体的な履行ルールが積み上げられていきます。

第四に、「森林原則声明」が合意されました。これは法的拘束力はありませんが、森林の多面的価値(生態系サービス、炭素吸収、文化的価値、経済資源)を再確認し、国家主権の尊重、市民参加、持続可能な森林経営、途上国支援の必要性をうたいます。当初、熱帯林の伐採をめぐって先進国と途上国の利害が鋭く対立し、拘束的な条約化は見送られましたが、のちの政府間森林プロセスや各国の森林認証制度、企業のサプライチェーン管理につながる道筋がここで描かれました。

合わせて、フォローアップのための制度設計も行われました。国連経済社会理事会の下に「持続可能な開発委員会(CSD)」が設置され、各国の実施状況を検討する場が用意されます。資金面では、地球環境ファシリティ(GEF)が気候・生物多様性・国際水域・オゾン層などの分野で途上国プロジェクトを支援する枠組みとして整備されました。また、アジェンダ21は「メジャー・グループ」と呼ばれる九つの社会主体(女性、子どもと若者、先住民、NGO、自治体、労働者と労働組合、企業と産業、科学・技術者、農民)を位置づけ、政策形成への参加の窓口を明確にしました。

交渉の対立軸とキーワード―CBDR、資金・技術、参加と透明性

地球サミットの交渉では、先進国と途上国の立場の違いが随所で表面化しました。先進国は温室効果ガス削減や森林保全の国際的ルールづくりを急ぎたい一方、途上国は歴史的排出や消費の偏在、貧困削減の優先、主権と開発の権利を強く主張しました。こうした対立を橋渡しした概念が「共通だが差異ある責任(Common But Differentiated Responsibilities, CBDR)」です。これは、地球環境の保全はすべての国に共通する責務だが、各国の貢献度や能力、歴史的背景に応じて負担の度合いが異なるべきだという考え方で、以後の気候・生物多様性など多くの交渉で基礎原則となりました。

資金と技術移転も大きな論点でした。途上国は、環境対策はグローバル公益に資するため、追加的で予測可能な資金支援と、環境技術のアクセス改善(知的財産権との調和を含む)を求めました。先進国は、ガバナンスの改善、プロジェクトのモニタリング、共同実施などの枠組みの整備を条件とし、結果としてGEFや二国間援助、技術協力プログラムが組み合わされる形で進みました。これらは現在のグリーン・ファイナンス、炭素市場、技術パートナーシップの源流といえます。

もう一つの柱は「参加と透明性」です。環境政策は、情報が公開され、市民や企業、自治体、研究者が関与できるときに効果を発揮します。リオ宣言は情報アクセスと意思決定への参加をうたい、アジェンダ21はローカル・アジェンダと企業・市民の役割を詳述しました。この流れは、後年の「環境民主主義」(情報への権利、参加の権利、司法へのアクセス)の国際的潮流につながり、各国の情報公開法や環境アセスメント制度、ESG開示の拡充に影響を与えています。

さらに、消費と生産のパターン(SCP)も重要テーマでした。先進国型の大量生産・大量消費・大量廃棄の見直し、資源効率や循環型経済の推進、ライフスタイルの転換が提起され、企業の環境マネジメントシステムやサプライチェーンの管理、製品のライフサイクル思考が広がる契機となりました。教育・研究・指標整備(環境統計、グリーンGDP、フットプリント)も、アジェンダ21の実務的な柱として位置づけられました。

その後の展開―総括会議、関連条約の深化、今日への接続

地球サミットで開かれた二つの枠組条約は、その後の四半世紀を超える国際交渉の主舞台となります。気候変動枠組条約は、1997年の京都議定書で先進国の削減目標を数値化し、2015年のパリ協定で全締約国が参加する体制へ拡張されました。生物多様性条約は、2010年の名古屋議定書(遺伝資源アクセスと利益配分)と愛知目標、2022年に合意された生物多様性枠組などを通じて、保全と利用のルールを深化させています。リオ会議で論点となった森林は、拘束的条約には至らないまま、国連森林フォーラムや国際的な認証制度(FSCなど)、REDD+の仕組みなどで進展しました。

フォローアップの政治プロセスとしては、1997年(リオ+5)、2002年のヨハネスブルグ・サミット(リオ+10)、2012年のリオ+20が開催され、実施状況の検証と新しいアジェンダの調整が行われました。リオ+20では「グリーン経済」や「持続可能な開発目標(SDGs)策定」の方向性が確認され、その後2015年にSDGsが国連で採択されます。こうして、地球サミットの枠組みは、貧困、都市、エネルギー、産業、海洋、陸域、生産と消費、気候など17分野の目標として再整理され、政府・企業・市民の共通の指標となりました。

国内レベルでは、多くの国が環境基本法や持続可能な開発戦略を整備し、環境省・気候変動庁などの行政体制を再編しました。自治体はローカル・アジェンダ21や気候非常事態宣言、ゼロカーボンの目標を掲げ、企業は環境報告書(のちのサステナビリティ報告)や環境マネジメント(ISO14001など)を導入しました。大学や学校では持続可能な開発のための教育(ESD)が広がり、消費者はエコラベルやフェアトレード、再エネ選択を通じて日常から関与する道を得ました。

課題も残りました。途上国への資金供与の規模と予見性、技術移転と知財の調和、各国の政策一貫性、森林・海洋・生物多様性の喪失速度、気候危機の緊急性、格差と公正の問題などは、リオの時点で認識されながら完全には解決していません。それでも、地球サミットが作った共通言語と参加の枠組みは、問題を可視化し、異なる主体が協働するための道具箱として機能し続けています。現在の再生可能エネルギー拡大、脱炭素の企業戦略、自然関連財務情報の議論、循環経済や脱プラの動きも、遡ればリオでの合意やアジェンダの中に萌芽を見いだすことができます。

総じて、環境と開発に関する国連会議(地球サミット)は、国際政治の中心に「持続可能性」を据え、法的枠組み、政策原則、行動計画、資金メカニズム、社会の参加という五つの要素をまとめて提示した転換点でした。そこで交わされた合意と論点は、以後の四半世紀以上にわたって更新され続け、今日の国際秩序の基盤の一部を形づくっています。地名である「リオ」は、今も多くの条約文書や企業・自治体の計画に引用され、1992年の会議が残した共通語の力を示し続けているのです。