「堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う)」は、中国古代伝説における理想的な君主として語られる三人で、のちの思想や政治文化に大きな影響を与えた人物です。簡単に言えば、堯は民の声を聞く寛厚な王、舜は徳と能力で抜擢された庶民出身の王、禹は大洪水を治めて夏王朝の祖となった王として描かれます。三人の物語は、歴史事実というよりも、為政者がどうあるべきか、権力の正当性は何によって支えられるかを示す「道徳的な見取り図」として受け継がれてきました。漢字文化圏では「堯舜の世」という言い回しが最上の善政・太平の代名詞となり、日本でも「堯舜の治」といえば理想政治を指す表現として定着しました。以下では、伝承の骨格と史料、善政と権力継承の思想、禹の治水と夏の開創、後世思想・文化への影響、そして近代以降の研究の見方を、わかりやすく整理します。
伝承と史料――どこに、どのように語られたのか
堯・舜・禹の物語は、『尚書(書経)』の「堯典」「舜典」「大禹謨」「禹貢」や、『史記』「五帝本紀」「夏本紀」などにまとまって伝わっています。いずれも成立は古代から前漢にかけてで、現代の歴史学が扱う「実証的年代」とはずれのある文献です。つまり、三人の人物が実在したか、どのような年代に活躍したかは確定できませんが、古代中国の人びとが理想の王道政治を思い描くとき、どんな徳目と制度を大切にしたかを映す鏡として読むことができます。
伝承の舞台は、黄河流域の諸部族がゆるやかに結びついていた時代です。堯は姓が伊祁、名は放勳とされ、居所は平陽のあたりと語られます。舜は有虞氏(虞舜)で、名は重華、庶民の出であったが孝行と勤勉で抜擢されたとされます。禹は姒(し)姓、名は文命で、父は鯀(こん)と伝えられます。これらの名や出自は伝承の層によって揺れがあり、固く覚えるよりも「徳を備えた者が合議で推される」「大規模な治水が共同体の生存を左右した」といった要点を押さえると理解しやすいです。
また、楽や刑、暦法、貢賦など具体的制度に関する断片が多く語られます。舜は音楽を整え、韶(しょう)の楽を作ったとされ、刑罰では五刑の抑制と流罪の活用、悪名高い者の遠隔地への配流(四凶の流放)などが語られます。禹については「禹貢」に九州(冀・兗・青・徐・揚・荊・豫・梁・雍)を区分し、河川と山脈に沿って水路と貢納を整えたとされ、地理書・地政学的な想像力の出発点になりました。
善政と継承――禅譲・放伐・天命という考え方
堯・舜・禹の物語の核心は、権力をどうやって正当化し、次代へ渡すかという点にあります。堯は自分の子ではなく、徳と能力に秀でた舜を探し出し、長期間試用したのちに位を譲ったとされます。これを「禅譲(ぜんじょう)」と言います。禅譲の強調は、血筋より徳を重んじる価値観を表し、後世の儒家はこれを理想のモデルとして称賛しました。舜はさらに禹を登用し、治水の功により位を譲ったとされますが、ここで重要なのは「長期間の実務試験」と「諸侯・庶民の支持を確かめる手続き」が物語られる点です。善政は試され、支持を受け、はじめて正統性を持つという考え方が示されます。
一方で、伝承には「放伐(ほうばつ)」というモチーフもあります。堯や舜が四凶(共工・驩兜・三苗・鯀など)を流放・誅伐する場面は、善政の秩序を乱す勢力には武力・刑罰をもって臨むという決意の表現です。のちの周王朝は、殷の暴虐を討って天下を取ったと自らを語り、「天命(天の意志)は徳のある者に移る」という思想を打ち出しますが、その根にはすでに堯舜の物語で「徳に基づく支配」と「秩序回復のための武」に関する二つの筋が走っています。
継承に関してもう一つの要点は、禹の代で生じる変化です。禹は舜からの禅譲で天下を受けたとされますが、その後に位を受け継いだのは自らの子・啓(けい)でした。これは「家天下」への転換、すなわち世襲王朝の成立を象徴する設定です。つまり、理想的な禅譲の時代(堯・舜)から、現実的な世襲と王権の安定化(禹・夏)へと、物語は移行します。古代中国はこの二つのモデルを往還しながら、権力の正当化を語り続けました。
禹の治水――「塞く」をやめて「疏す」へ、九州と国家のかたち
禹の事績で最も有名なのは大洪水の治水です。父の鯀は堤を高く積み上げて水を「塞ぐ」方法をとり、失敗したとされます。禹は方針を転換し、水を自然の流路に沿って「疏(ひら)く」、つまり掘削・排水・分流の組み合わせで水を海へ導く方法を採ったと語られます。この「疏導」のイメージは、のちの中国治水思想の原型であり、政治の比喩としても広く使われました。秩序は力で押さえつけるより、通路を作って流れを導くほうが持続的である、という発想です。
禹が治水に没頭した象徴的エピソードとして、「三過家門而不入(家の前を三度通っても入らなかった)」という話が知られます。これは公的使命のために私情を抑えた君主像を示し、勤勉・自己抑制・公への献身を徳目として強調します。妻は塗山氏で、子が啓です。禹はまた、各地の土壌・産物・河川を調べ、九州を設定して貢納と交通の仕組みを整えたとされます。「禹貢」は地理書であると同時に、王権が空間をどのように把握し、制度化したかを語る想像図として読み継がれました。
さらに、禹が天下の金を集めて「九鼎(きゅうてい)」を鋳造し、これを正統の象徴としたという伝承もあります。鼎は宗廟・祭祀の道具ですが、王権・国家そのもののメタファーでもありました。「問鼎」という言葉は、他者の権力をうかがう意として後世の成語になっています。禹の死後、会稽山に葬られたという話は、地理と王権を結ぶ記憶装置として、各地の名所・祭祀に刻まれました。
思想と文化への影響――儒家の理想像、他家の批判、文学・礼楽
儒家は堯・舜・禹を理想的な「聖王」として讃え、為政者教育の中心に据えました。孔子は「堯舜の道」として仁・礼・楽による統治を語り、孟子は「民は貴く、社稷はこれに次ぎ、君は軽し」という民本主義的な表現を通じ、堯舜の禅譲伝承を正統化しました。善政は民の心を得ることに現れ、天命もまた民心の動向に応じて移るのだ、という論理がここから展開されます。
法家は一方で、堯舜の「徳治」一辺倒を批判し、秩序維持には厳格な法と賞罰が必要だと主張しました。墨家は兼愛・非攻の理念から、堯舜の徳を称えつつも、豪奢な礼楽や血統主義に警戒を示しました。道家は、堯舜の理想政治を人為の極みと見なし、むしろ無為自然に委ねるべきだと皮肉ります。こうした相互批判は、中国思想が単調な王道礼賛に陥らず、多様な統治論を涵養した背景でもありました。
文化面では、堯舜の楽(とくに舜の韶)が理想の音楽として語られ、後世の礼楽制度や雅楽・器楽に影響を与えました。文学では『楚辞』『文選』、唐宋の詩文に「尭舜」の語が頻出し、政治の理想や自己修養の比喩として用いられます。日本・朝鮮でも、王権の徳を称える修辞に「堯舜」が用いられ、儒教教育の教材として広まりました。たとえば日本の近世儒者が「堯舜の治」を引き、為政者の理想像を説くのはその一例です。
考古学・歴史学の視点――伝説と遺跡のあいだ
近代以降、堯・舜・禹を歴史的存在としてどこまで扱えるかが議論されました。二里頭文化(紀元前1900~1500年頃)など黄河中流域の遺跡は、金属器・宮殿跡・道路網を備え、初期王権の存在を示しますが、それをそのまま「夏王朝=禹の王朝」と同一化することには慎重であるべきだとされています。甲骨文字が残る殷(商)に比べ、夏は確実な文字史料が乏しく、伝承と考古資料をどう照合するかがポイントです。
歴史学では、堯舜の物語を「古代国家が自らの正統性を語る神話的枠組み」として理解する見方が有力です。すなわち、複数の部族連合をまとめるため、徳と合議、治水という共通経験を核に、権力継承の語りを整えたという仮説です。のちの王朝が自らを堯舜の系譜に連ねることで、王朝交替や征伐を正当化するレトリックを得たとも読めます。伝承をそのまま歴史事実とするのではなく、その政治的・文化的機能を読み解く姿勢が大切です。
一方で、伝承の中に古環境史の記憶を読み取る試みもあります。黄河の氾濫、気候変動、森林と湿地の分布の変化、灌漑と土木技術の発達などは、治水神話と響き合います。地域の地名・祭祀・陵墓伝承の分布を地図化し、物語がどのように空間へ根を下ろしたかを探る研究も進みました。こうしたアプローチは、伝説を単なる作り話と切り捨てず、古代人の経験と知恵の蓄積として評価する視点を提供します。
物語を支える人物群――皋陶・益・后稷・契など
堯舜禹の物語には、多くの助演者が登場します。皋陶(こうよう)は法と裁判の達人として、益(えき)は山林と資源管理の専門家として、夔(き)は音楽家として、契(せつ)は殷の祖、后稷(こうしょく)は周の祖として、それぞれの職掌と徳を発揮します。これらの人物は、王が万能ではなく、分業と合議によって国が治まるというメッセージを運びます。現代的に言えば、制度設計と人材配置の重要性を強調する「組織論」が古代伝承の中に埋め込まれているのです。
東アジアへの広がり――漢字文化圏の共有財産として
堯舜禹の語りは、中国だけのものではなく、朝鮮・日本・ベトナムなど漢字文化圏に広く影響しました。科挙の試験や儒学教育では、堯舜を引くことが定番となり、為政者たちは「堯舜の治」を目標に掲げました。日本の歴史書や政治論でも、聖徳太子から江戸の儒者にいたるまで、堯舜の名は理想政治の象徴として繰り返し現れます。これは、徳による統治、合議と人材登用、公共事業の重視といった価値が、地域社会の経験に合致して共有されうる普遍性を持っていたからだと考えられます。
まとめ――理想像としての生命力と、読み継ぐための視点
堯・舜・禹の物語は、歴史学的に実在を確定できない部分が多い一方で、政治思想と社会倫理の「古典」としての生命力を保ち続けています。そこに描かれるのは、①徳に基づくリーダーシップ、②公的使命への献身、③合議と適材適所、④自然と折り合う治水思想、⑤正当な継承の手続き、という普遍的なテーマです。他方で、世襲への移行や放伐の正当化が含む緊張、徳治と法治のバランスといった論点も、古典の中で既に提示されています。
読み継ぐ際のコツは、事実か虚構かを二者択一で問うのではなく、物語が社会に何を伝え、どんな行動を促すために語り継がれたのかを考えることです。その上で、考古学・環境史・文献学の成果を取り入れ、伝承と実証の間に橋を架ける読み方を心がけると、堯舜禹は「遠い神話」から「いまを照らす鏡」へと姿を変えます。理想を掲げること、そして理想と現実の折り合いをつけること――この二つを同時に要求する古典の難しさと面白さが、堯・舜・禹の物語には凝縮されているのです。

