少年十字軍 – 世界史用語集

「少年十字軍(しょうねんじゅうじぐん)」とは、13世紀初めにフランスやドイツで起こったとされる宗教運動を、後世の人びとが象徴的に呼ぶ名称です。「十字軍」という名がついているものの、実際に武装した遠征軍が組織されたわけではなく、主として子どもや若者を中心とする群衆が、「信仰の力で聖地エルサレムを取り戻そう」として旅立ったと伝えられています。中世ヨーロッパの人びとの素朴で熱狂的な信仰心や、社会の不安定さが重なって生まれた出来事として語られてきました。

ただし、少年十字軍については、当時の記録が少なく、その多くも断片的で、後世の脚色や想像が入り混じっています。「本当に大勢の子どもたちが組織的に十字軍として行動したのか」「どの程度までが史実で、どこからが伝説なのか」をめぐって、歴史学者の間でも議論があります。そのため、現在では「少年十字軍」という言葉自体が、実在した運動を指すと同時に、後世の想像力が作り上げたイメージをも含む言葉であることが意識されています。

以下では、まず十字軍運動全体の流れの中で少年十字軍がどのような位置にあるのかを確認し、そのうえで13世紀初頭にフランスやドイツで起こったとされる出来事の概要を紹介します。さらに、少年十字軍がどのように神話化され、近代以降どのように語り継がれてきたのか、そして中世ヨーロッパ社会の宗教意識や社会状況を考えるうえでどのような意味を持つのかを、順を追って説明していきます。

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十字軍運動の中での少年十字軍の位置づけ

少年十字軍が語られるのは、十字軍運動がすでに長期化し、成果も行き詰まりを見せ始めた時期です。十字軍とは、11世紀末以降、ローマ教皇の呼びかけに応じて、西欧キリスト教世界の騎士や農民、市民たちが聖地エルサレムや東方の領土をイスラーム勢力から奪回しようとして行った軍事遠征を指します。第1回十字軍(1096〜99年)は一時的にエルサレムの奪回に成功しましたが、その後はイスラーム側の反攻や内部の対立もあって、状況は安定しませんでした。

12世紀〜13世紀にかけて、第2回、第3回と十字軍遠征が繰り返されましたが、決定的な成果をあげることはできませんでした。特に、著名な王たちが参加した第3回十字軍(フリードリヒ1世・リチャード1世・フィリップ2世など)は、部分的な成果にとどまり、エルサレムの完全奪回には至りませんでした。第4回十字軍では、むしろキリスト教徒であるはずのコンスタンティノープル(ビザンツ帝国の都)が略奪されるという事態になり、十字軍運動への批判や失望も高まっていきます。

こうした中で、「騎士や諸侯といった権力者に任せていては、真の十字軍は成功しないのではないか」「むしろ、純粋な信仰心を持つ者こそが神の奇跡を引き寄せるのではないか」という発想が、人々の間に生まれていきました。少年十字軍は、そのような空気の中で、「幼い子どもや若者の素朴な信仰」によって聖地を救おうとする動きとして理解されてきました。

同時に、中世の人びとは聖書や聖人伝の中に、子どもや弱い存在が神の力を示す場面をたびたび見ていました。そうした物語への共感も、「子どもたちが十字軍を起こした」という伝説を生み出しやすい土壌となりました。したがって、少年十字軍は、十字軍運動そのものの行き詰まりと、中世ヨーロッパの宗教文化・想像力とが交差する地点に位置していると言えます。

フランスとドイツの「少年十字軍」の伝承

少年十字軍に関する伝承は、大きく分けてフランスでの運動とドイツでの運動に関するものがあります。両者は必ずしも直接つながっていたわけではありませんが、後世の記録ではまとめて「少年十字軍」として語られることが多くなりました。

フランスの事例では、1212年ごろ、フランス北部の田舎に住む少年ステファヌス(ステファン、エティエンヌ)という羊飼いが、キリストからの啓示を受け、「自分が人びとを率いてエルサレムへ行き、平和的に十字軍を成功させる」という使命を与えられたと語ったと伝えられます。ステファヌスは説教を行い、神が奇跡を起こして地中海を割り、子どもたちが徒歩で聖地に渡れるようにする、と宣言したとも言われます。

この話を聞いた近隣の子どもや若者、さらには大人たちも加わり、数千人規模の群衆が形成され、シャルトルやパリ方面へ向かって歩き始めたと伝承されています。彼らは途中の町や村で布教を行い、食べ物や宿を施しとして受け取りながら進んだとされますが、実際にはエルサレムに向かうどころか、フランス国内をさまよった末に、群衆は次第に解散していったと考えられています。

ドイツの事例では、やはり1212年ごろ、ケルン近郊の少年ニコラウスが、十字軍に立ち上がるよう人びとを説き、多数の少年・少女・若者が彼に従って南ドイツを通り、アルプスを越えてイタリアに向かったとされます。彼らは、神の奇跡によって海が割れ、船を使わずに聖地へ渡ることができると信じていた、あるいはそのように説かれていたとも伝えられます。

しかし、アルプス越えの旅は過酷で、多くが飢えや疲労で倒れ、イタリアにたどり着いたとしても、そこから先の船や資金を得ることはほとんどできなかったと見られます。一部の記録では、子どもたちをだまして船に乗せ、地中海世界の奴隷市場へ売り払った商人の話が語られていますが、これもどこまでが事実かははっきりしません。ただ、この伝承は、「純粋な信仰心を利用して利益を得ようとする大人たち」への批判的な寓話としても読まれてきました。

いずれの事例においても、少年十字軍と呼ばれる群衆が実際にエルサレム近くまで到達したという証拠はなく、多くは途中で解散したり、故郷に戻ったり、また旅先の地で住みついたりしたと考えられます。しかし、当時の人びとの記憶と後世の物語の中で、「子どもたちが聖地を救うために立ち上がったが、悲劇的な結末を迎えた」というイメージは強く残り、それが「少年十字軍」という名でまとめられていくことになりました。

史実・伝説・神話化:少年十字軍研究の視点

少年十字軍については、19世紀以来、多くのロマンティックな物語や小説が書かれ、純真な子どもたちが大人たちの世界の罪深さの中で翻弄される悲劇として描かれてきました。しかし、20世紀以降の歴史研究は、少年十字軍に関する史料を批判的に読み直し、「どこまでが史実として確認できるのか」を慎重に検討するようになっています。

まず、「少年十字軍」という呼び名自体が、当時の人びとが使っていたわけではなく、後世の年代記作者やさらに近代の歴史家が、「若者・子どもが中心になった十字軍的な運動」をまとめて呼ぶためにつくったラベルであることが指摘されています。当時のラテン語や各国語の記録では、「少年」「子ども」という言葉が必ずしも年齢だけを指すのではなく、「身分の低い者」「未熟な者」など、象徴的な意味を含んで用いられていた可能性もあります。

そのため、少年十字軍の参加者が本当に小児・少年ばかりだったのか、それとも貧しい若者や女性、さらには大人の農民や都市の貧民が多数を占めていたのかは、はっきりしません。「子どもたちの十字軍」というイメージは、後世の人びとが中世の出来事に道徳的な意味を読み込む中で強調された側面が大きいと考えられています。

また、奴隷商人に売られたという話や、海が割れる奇跡を期待して海辺に集まったが何も起こらなかったという話なども、複数の年代記の中で細部が異なり、伝承が混ざり合っている様子が見られます。一部の研究者は、これらの物語を「実際の事件をもとにしつつ、説教や教訓のために脚色された説教話」とみなし、すべてをそのまま歴史的事実として受け取ることには慎重です。

それでも、1212年前後にフランスやドイツで、「聖地を救う」という宗教的な目的を掲げて、大規模な人の移動があったこと自体は、多くの史料から確認されています。そこでは、若者や貧しい人びとが「神の奇跡」を信じて旅立ち、社会の支配層や教会の権威をある意味で飛び越えて行動していたという点に、中世社会の緊張や矛盾が映し出されています。

近代以降、少年十字軍は文学や絵画、音楽の題材としても取り上げられ、「純粋さと悲劇」「信仰と搾取」「子どもと戦争」といったテーマを象徴するモチーフとなりました。その過程で、史実よりもむしろ「少年十字軍という物語」が人びとの心に強く刻まれ、歴史と伝説の境界はさらに曖昧になっていきます。現代の歴史学では、そのような神話化のプロセス自体を、過去と向き合う一つの重要な研究対象としています。

少年十字軍から見える中世ヨーロッパ社会

少年十字軍の実態には不明な点も多いものの、この出来事(あるいはその伝承)を手がかりにすると、中世ヨーロッパ社会の様々な側面が見えてきます。一つは、人びとの深い宗教心と、日常生活と信仰の結びつきです。飢饉や疫病、戦乱が頻発する社会において、多くの人びとは「神が世界を支配している」という感覚を強く持ち、自分たちの苦しみや不安を、宗教的な意味づけの中で理解しようとしていました。

そのような状況では、「神が奇跡を起こしてくれる」「純粋な信仰が世界を変える」というメッセージは、大きな説得力を持ちえました。少年十字軍に参加したとされる人びとの中には、単なる好奇心や仲間意識だけでなく、「このままではいけない」「自分たちが何か行動しなければならない」という切迫感を抱いていた人もいたでしょう。彼らの行動は無謀であり、結果的には悲劇的だったかもしれませんが、その背後には時代特有の精神的な空気が存在していました。

また、少年十字軍は、社会の下層や周縁に位置する人びとの不安や不満が、一時的に宗教運動という形で表面化した例としても理解できます。貧しい農民や都市の貧民、若者や孤児などは、封建的な秩序の中で弱い立場に置かれていました。彼らが「神の名のもとに旅立つ」ことは、日常生活の束縛から一歩外に出て、自分たちの存在意義を見いだそうとする試みでもあったのかもしれません。

さらに、少年十字軍にまつわる「搾取」や「裏切り」の物語は、中世社会における権力者や商人、教会のあり方に対する批判的な視線を反映していると見ることもできます。純粋な信仰心を利用して利益を得ようとする大人たちの姿は、説教や説話の中で、道徳的な反面教師として描かれました。このような物語は、「弱い者を守るべきである」という価値観と、「現実には弱い者が搾取されている」という矛盾を意識させる役割も持っていました。

少年十字軍の伝承は、中世から近代・現代にいたるまで、さまざまな形で語り継がれてきました。そこには、事実としての歴史だけでなく、人びとが過去の出来事にどのような意味を読み込み、自分たちの時代の問題意識と重ね合わせてきたのか、という「歴史の語られ方」の問題も含まれています。その意味で、少年十字軍は、一度きりの出来事であると同時に、長い時間をかけて人びとの心の中で形を変え続けてきた「記憶の物語」でもあると言えるでしょう。