『神国論(しんこくろん)』は、一般にアウグスティヌスの大著『神の国(De civitate Dei)』を指して用いられる呼び名です。西ローマ帝国末期の混乱の中で、キリスト教思想家アウグスティヌスが、歴史と国家、人間社会と神の支配の関係を大きなスケールで論じた作品で、西洋キリスト教思想を代表する古典の一つとされています。ローマがゲルマン人によって略奪され、「キリスト教に改宗したからローマは弱くなったのだ」と非難する人びとに対して、彼は「神を信じるかどうか」と「この世の国家の盛衰」とを安易に結びつける考えを批判し、人間の歴史を「神の国」と「地の国」という二つの原理のせめぎあいとして描き出しました。
『神の国』は全22巻という非常に長大な著作で、前半ではローマの伝統宗教やギリシア・ローマ哲学の限界を論じ、後半で「神の国」と「地の国」の関係を、聖書と世界史の解釈を通じて展開します。ここで言う「神の国」とは天の世界だけを指すのではなく、「神への愛」によって動かされる人間の共同体を意味し、対照的に「地の国」とは「自己への愛(自己愛)」によって動かされる共同体を指します。アウグスティヌスは、この二つの「国」が歴史の中で入り混じりつつ、最終的には神による裁きと完成に至るという壮大な歴史観を提示しました。
この著作は、中世ヨーロッパにおいて、教会と国家の関係や歴史の意味を考える際の基本的な参照枠となりました。教皇と皇帝の対立や、「キリスト教世界」としての中世ヨーロッパの自己理解には、『神の国』が示した「地上の共同体は相対的であり、究極の国籍は神の国にある」という発想が強く影響しています。一方で、アウグスティヌスは地上の国家や法の役割を完全に否定したわけではなく、人間の罪深さを前提に、犯罪の抑止や秩序維持のために国家権力が必要であるとも論じました。この両面性が、後の政治思想のなかでさまざまな解釈を生み出す土台となっていきます。
『神国論(神の国)』を世界史の文脈で見るとき、単なる宗教書というより、「ローマ帝国の危機に直面した一人の知識人が、歴史と国家の意味をどう捉え直したか」を示す書物として位置づけることができます。ローマ帝国の栄光と没落、キリスト教の受容、異教世界との対立と対話、といった大きなテーマが、アウグスティヌスの独特の視点から組みなおされているのが、この著作の特徴です。
著者アウグスティヌスと『神の国』成立の背景
『神の国』の著者アウグスティヌス(354〜430年)は、北アフリカ出身のキリスト教神学者・教父で、のちに「教会博士」とも呼ばれる西方教会最大級の思想家です。若い頃は修辞学教師として出世をめざす一方、マニ教や新プラトン主義などさまざまな思想に影響を受け、迷いの多い人生を歩みましたが、のちにキリスト教に帰依し、洗礼を受けます。その経験は自伝的著作『告白』に詳しく描かれています。
アウグスティヌスが活動した4〜5世紀は、ローマ帝国が大きく揺らいでいた時期でした。西ローマ帝国では、ゲルマン人の移動と侵入が激しくなり、各地で軍事的・政治的混乱が続きます。とくに410年、ゴート人の王アラリックによってローマの都が占領・略奪された事件は、ローマ世界全体に深刻な衝撃を与えました。ローマは「永遠の都」とも称されていたため、その陥落は「世界の終わり」の前触れのように感じられたのです。
このとき、伝統的なローマ宗教や哲学に親しんでいた人びとの中には、「ローマがキリスト教を国教として異教の神々を捨てたから、守護神の加護が失われて都市が滅びたのだ」と主張する者もいました。彼らは、キリスト教を「国家を弱体化させる迷信」と見なし、旧来の宗教に戻るべきだと論じたのです。これに対して、キリスト教徒たちは「真の神を信じているにもかかわらず、なぜこのような災厄が起こるのか」という難しい問いに直面しました。
『神の国』は、こうした状況に応答する形で構想されました。アウグスティヌスは、ローマの凋落をキリスト教のせいにする議論に反論すると同時に、「そもそもローマという国家の栄光とは何だったのか」「歴史の中で神はどのように働いているのか」を根本から問い直そうとしました。その結果生まれたのが、「神の国」と「地の国」という二つの原理を軸にした歴史哲学的な構想です。
『神の国』は、410年のローマ略奪の直後に書き始められ、十数年をかけて完成されたと言われます。全22巻という長さからもわかる通り、単なる時事的論争への応答を超え、聖書解釈・歴史解釈・政治論・哲学的考察が総合された、アウグスティヌスの集大成的著作になっています。
構成と内容:二つの「国」と歴史の意味
『神の国』の構成は大きく前半と後半に分かれます。第1〜10巻では、主として「異教批判」が展開されます。アウグスティヌスは、ローマの伝統的な神々が本当にローマ市民を守ってきたのか、道徳的にどのような性格を持つのかを検証し、ローマ文化が誇る歴史や文学を引用しながら、その矛盾や限界を指摘します。また、プラトンやストア派などギリシア・ローマ哲学の優れた点を認めつつも、彼らが到達しえなかった真理をキリスト教が提示していると主張しました。
第11〜22巻では、「神の国」と「地の国」という二つの「civitas(共同体・国)」をめぐる議論が中心になります。ここで注意したいのは、「神の国」と「地の国」が、単純に「教会」と「国家」、「天国」と「この世」といった、空間的な区分を意味しているわけではないという点です。アウグスティヌスは、「神の国」を「神への愛によって形作られた共同体」、「地の国(世俗の国)」を「自己愛によって形作られた共同体」と規定しました。
この二つの共同体は、歴史の中で明確に分離して存在しているわけではありません。同じ国、同じ都市、同じ教会の中にも、「神の国」に属する人と「地の国」に属する人が混在しているとされます。つまり、『神の国』は、人びとの内面の志向性と愛の対象に着目して、歴史と社会を二重に読み解こうとする試みなのです。
アウグスティヌスは、聖書、とくに創世記から黙示録までの物語を、二つの国の対立・交錯・展開として再解釈します。カインとアベル兄弟の物語では、弟アベルが神の国、兄カインが地の国の象徴として読まれます。バビロンやローマといった大帝国は、その壮麗さにもかかわらず自己愛と支配欲に基づく地の国の典型とされ、一方で、旧約の民イスラエルやキリスト教会は、罪や過ちを抱えつつも、神の国の暫定的なあらわれとして位置づけられます。
重要なのは、アウグスティヌスが現実のローマ帝国や地上の国家に「究極の意味」を認めなかったことです。どれほど栄光ある帝国も、戦争や征服を通じて築かれたものであり、時間とともに滅びる運命にあります。彼にとって価値があるのは、その中で個々人がどのような愛をもって生きるか、どちらの「国」に属する生き方をするかという点でした。神の国は、この世では巡礼者のようにさすらう共同体であり、歴史の終末においてのみ完全な姿を現すとされます。
こうした歴史観は、「ローマ帝国の崩壊=世界の終わり」という多数派の感覚に対する根本的な異議申し立てでもありました。アウグスティヌスにとって、ローマ帝国はあくまで地の国の一つの形にすぎず、その盛衰は、神の国の歴史の一エピソードにすぎません。これにより、キリスト教徒は、特定の国家や帝国の命運と自らの信仰を切り離して考える視点を得ることができました。
国家・法・教会をめぐる考え方
『神の国』は、国家や法の役割についての議論も含んでいます。アウグスティヌスは、人間が原罪を持つ存在であり、本来的に利己心や暴力性を抱えていると考えました。そのため、もし国家や法がまったく存在しないならば、人間社会はたちまち争いと無秩序に陥ると見なしました。こうした前提から、彼は地上の国家を「罪深い人間同士が相互の被害を最小化し、秩序を維持するために必要な制度」として一定程度肯定します。
しかし、国家権力はあくまで相対的な善であり、究極的な救いをもたらすことはできません。国家は時に不正な戦争を行い、弱者を抑圧することもあります。アウグスティヌスは、「正戦論」と呼ばれる考え方の初期形態を示し、戦争そのものは悲劇的なものだが、正義の秩序を守るためにやむをえない戦争もありうると論じました。ここでも、彼は現実政治を単純に肯定も否定もせず、罪深い世界の中で相対的な正義を追求するという姿勢をとっています。
教会と国家の関係について、『神の国』は直接の制度論を展開しているわけではありませんが、のちの中世キリスト教世界が自らをどう位置づけるかに深い影響を与えました。教会は、神の国の地上における先取りとして理解される一方で、現実には多くの罪人を含む混合体でもあります。その意味で、教会そのものもまた、神の国と地の国が入り混じる場とされました。
中世ヨーロッパで展開された「教皇権と皇帝権の優位」をめぐる論争は、『神の国』に直接の解答が書かれているわけではありませんが、「地上の権力は神の前に相対化される」というアウグスティヌス的な枠組みを背景としていました。ある立場からは、教会こそが神の国に近い共同体として国家を指導すべきだと解釈され、別の立場からは、国家の秩序は地上生活に固有の役割を持つものとして尊重されるべきだと解釈されました。その柔軟さゆえに、『神の国』はさまざまな政治理論の拠り所となったのです。
また、アウグスティヌスは、『神の国』の中で、個人の心の内側における「秩序ある愛(ordo amoris)」という考えも展開しました。愛の向け方には優先順位があり、神への愛が最上位にあるとき、人間の共同体も正しい秩序を保ちうるという発想です。これは政治制度の設計というより、信仰者の生き方と共同体の倫理を重視する視点であり、のちのキリスト教倫理や政治思想にも影響を与えました。
中世・近代への影響と評価
『神国論(神の国)』は、中世西ヨーロッパにおいて、神学・哲学・歴史観の基礎文献として広く読まれました。修道院や大学での学問体系(スコラ学)において、アウグスティヌスはトマス=アクィナスと並ぶ主要な権威とされ、『神の国』も引用と注釈の対象となりました。中世の歴史家たちは、世界史を「創世から終末にいたる神の救済計画」として描く際に、アウグスティヌスの枠組みに依拠することが多くありました。
一方で、中世後期には、教会の権威が肥大化し、世俗化や腐敗が問題視されるようになると、『神の国』に含まれる「地上の権威を相対化する発想」が、教会批判や宗教改革期の議論にも間接的な影響を及ぼします。宗教改革者たちの中には、地上の教会組織や教皇権を絶対視しないという点で、アウグスティヌス的な二重構造の歴史観を受け継いだ者もいました。
近代以降、『神の国』の評価は多面的になっていきます。世俗的な歴史学が発展し、宗教的な枠組みを離れて政治や社会を分析する方法が主流になると、『神の国』は「神学的歴史観」の典型として、批判的に扱われることもありました。他方で、20世紀の思想家たちは、全体主義国家の台頭や戦争の経験をふまえ、「地上の国家やイデオロギーを絶対化しない視点」として、アウグスティヌスの二つの国の区別を再評価するようになります。
とくに、ナチズムやスターリニズムのような全体主義体制に対して、教会や個人の良心がどのように距離をとるべきかを考える際、「究極の忠誠は神の国(神への愛)に属し、どの地上権力もそれを完全には代替できない」というアウグスティヌス的発想が参照されました。また、国民国家やイデオロギー国家を「地の国」と見なし、それに対して信仰共同体や良心の自由を守ろうとする議論も、『神の国』の系譜に位置づけることができます。
思想史・宗教史の研究においては、『神の国』は「キリスト教的歴史哲学」の古典として扱われる一方で、その中に含まれるローマ史理解や異教批判、ユダヤ教・旧約聖書との関係づけ、地上政治に対する慎重な距離の取り方など、さまざまな側面から分析が進められています。近年では、ポストコロニアルや宗教多元主義の観点から、『神の国』が「キリスト教世界」を特権化していないか、異教やユダヤ教に対する視線に偏りはないかといった批判的検討も行われています。
『神国論(神の国)』は、ローマ帝国の危機という特定の歴史状況に応答して書かれた著作でありながら、人間社会と国家、宗教と政治、歴史と終末をどう結びつけるかという問いを大きなスケールで扱った点で、長く読み継がれてきました。そこに描かれた「二つの国」のイメージは、その読み方の善し悪しを含め、多くの時代の人びとに強い影響を与え続けていると言えます。

