アイルランド合併 – 世界史用語集

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アイルランド合併の背景

アイルランド合併(Act of Union, 1801年)は、アイルランド王国とグレートブリテン王国を統合し、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)」を成立させた出来事を指します。この合併の背景には、イングランドによるアイルランド支配の強化、宗教対立、そして18世紀後半におけるアイルランド民族主義運動の高まりがありました。

もともとアイルランドは12世紀以来、イングランドの影響下にありましたが、正式には1541年にイングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を兼ねる形で「アイルランド王国」が成立しました。しかし、この時点でも実際の統治は限定的で、ゲール系アイルランド人やカトリック地主の勢力が強く残っていました。その後、プロテスタント勢力による「プランテーション(入植政策)」が進められ、アイルランド社会にはカトリックとプロテスタントの深刻な分断が生まれます。

18世紀末、フランス革命やアメリカ独立戦争の影響を受けて、アイルランドでも独立と宗教的平等を求める動きが強まりました。1798年には「アイルランド統一党(United Irishmen)」による反乱が勃発し、カトリック・プロテスタントを超えた共和主義運動が展開されました。しかし、この反乱は徹底的に鎮圧され、多数の死者を出す結果となります。この反乱を契機に、イギリス政府はアイルランドをより強固に統合する必要性を感じ、合併法の成立へと動いていきました。

1801年の連合法(Act of Union)の内容

1800年、ロンドンとダブリン両議会で「連合法(Acts of Union)」が可決され、1801年1月1日に正式に発効しました。この法律によってアイルランド議会は廃止され、その議席はロンドンのウェストミンスター議会に組み込まれることになりました。アイルランドはこれにより、イギリスと完全に一体化した国家の一部とされました。

制度面では、アイルランドは英国議会に上院議員28名、下院議員100名を送ることが定められました。また、通貨や経済制度も統一され、貿易の自由化が進められました。国旗も新たにユニオン・ジャックが制定され、アイルランドを象徴する聖パトリックの赤い斜め十字が加えられました。

しかし、合併の過程では多くの買収や圧力が用いられました。イギリス政府はカトリック解放(カトリック教徒への政治参加の認可)を将来的に認めるという約束を背景に、アイルランドの有力者や議員を取り込み、法案を成立させたのです。しかし実際には、この「カトリック解放」はすぐには実現せず、アイルランドの民衆に深い失望を与えました。

アイルランド合併の影響

アイルランド合併は、表面的にはイギリスによるアイルランドの安定的統治を目的としていましたが、その実態は多くの矛盾を孕んでいました。特に重要なのは以下の点です。

第一に、政治的自治の喪失です。アイルランドは自国の議会を失い、ウェストミンスターにわずかな代表を送るにとどまりました。このことは、アイルランド人の政治的意思が反映されにくい体制を固定化し、不満を増大させました。

第二に、宗教問題の未解決です。カトリック教徒は依然として選挙権や公職就任の権利を制限されており、人口の多数を占めながらも政治的に排除され続けました。カトリック解放がようやく実現するのは1829年、ダニエル・オコンネル率いるカトリック解放運動の成果によってでした。

第三に、経済的影響です。合併によりアイルランド産業はイギリス経済に組み込まれましたが、工業基盤の弱いアイルランドは競争に不利な立場に立たされました。これにより農業依存が強まり、19世紀半ばの「ジャガイモ飢饉」に直結していきます。

アイルランド合併の歴史的意義

アイルランド合併は、アイルランド史において極めて重要かつ論争的な転換点です。それはイギリスによる統治を制度的に確立した一方で、アイルランド民族主義を刺激し、後の自治・独立運動を加速させる結果となりました。19世紀を通じて、オコンネルのカトリック解放運動や自治運動(ホーム・ルール運動)は、合併に対する民衆の不満を背景に展開されました。

また、アイルランド合併によって北アイルランド問題の萌芽も生まれました。特にアルスター地方のプロテスタント住民はイギリスとの統合を歓迎し、後の「分離と統一」の対立構造につながっていきます。したがって、合併は単に行政制度の統一ではなく、アイルランド社会の分裂と葛藤を長期化させる契機となったのです。

最終的にアイルランドは1922年の「アイルランド自由国」の成立によって連合王国から分離することになりますが、その過程において「1801年の合併」が果たした役割は非常に大きなものでした。アイルランド合併は、アイルランドの近代史を理解する上で避けて通れない歴史的事件であり、その影響は今日に至るまで残り続けています。