偉大な社会計画 – 世界史用語集

「偉大な社会(Great Society)計画」とは、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・B・ジョンソン(在任1963–69年)が1960年代半ばに推進した包括的な国内改革群を指す用語です。狙いは、経済的繁栄の果実を広く行き渡らせ、貧困と人種差別を緩和し、教育・保健・都市環境・消費者と交通の安全・文化や自然保護にわたる公共領域を近代化することにありました。ケネディ政権の未完課題を継承しつつ、議会の大多数確保と1964年の圧勝をテコに短期間で集中的に立法化が進み、アメリカ福祉国家の骨格の多くがこの時期に整えられました。

同計画の中心には「貧困との戦い(War on Poverty)」が置かれ、雇用・教育・保健・住宅・公民権の相互連関を前提に、連邦・州・自治体・コミュニティが重層的に関与する制度設計が採用されました。一方で、ベトナム戦争の激化は財政・政治資本を圧迫し、都市暴動や犯罪・行政の肥大化への不安は保守的反動を呼び込みます。結果として、計画の一部は縮減・改編されましたが、メディケア/メディケイド、初等中等教育支援(ESEA)、高等教育支援、移民法の転換、公民権関連立法、環境・消費者安全の基準、公共放送などは今日まで制度的に存続し、アメリカ社会の基盤を形づくり続けています。

スポンサーリンク

用語と歴史的背景—目標・設計思想・政治条件

ジョンソンは1964年のミシガン大学演説で「偉大な社会」を、人間の尊厳と機会の拡大、都市生活の質、自然環境の保全、教育の向上を重視する構想として提示しました。理念面では、ニューディール以来の社会保障の枠組みに、戦後の繁栄で可能になった教育投資と公民権の前進を結合する試みでした。背景には、①戦後長期繁栄と所得増、②人種平等を求める公民権運動の高揚、③連邦議会における民主党の圧倒的多数、④技術官僚による政策立案能力の成熟、がありました。

設計思想の要点は三つです。第一に、個人給付だけでなく「能力形成(capability)」と機会拡大に重点を置くことです。職業訓練・早期教育・奨学金などがこの柱です。第二に、連邦補助金と規制、州・地方実施の組み合わせです。連邦が財源と全国基準を提供し、地方が執行するモデルが一般化しました。第三に、「最大限の住民参加(maximum feasible participation)」というコミュニティ主義的発想で、住民組織の参画を促すことで政策の実効性と正統性を高めようとしました。

同時に政治的制約も存在しました。南部民主党保守派(ディキシークラット)との駆け引き、公民権法案をめぐるフィリバスター対策、財源確保のための増税・赤字回避への配慮、さらには1965年以降のベトナム増派による歳出競合が、それぞれ政策内容とスピードに影響しました。

政策パッケージの中核—貧困・教育・保健・都市・移民・公民権

第一の柱は「貧困との戦い」です。1964年の経済機会法(Economic Opportunity Act)により、行政府内に経済機会局(OEO)が設置され、ヘッドスタート(就学前教育)ジョブ・コープス(青年職業訓練)VISTA(国内ボランティア)コミュニティ・アクション・プログラム(CAP)など、多面的プログラムが展開されました。1964年のフードスタンプ法は食のセーフティネットを制度化し、低所得層の栄養改善に資するよう設計されました。

第二の柱は教育です。1965年の初等中等教育法(ESEA)は、低所得地域の学校に対する連邦補助(タイトルI)を中核とし、学校図書・教材・教員研修などを支援しました。同年の高等教育法(HEA)は、大学への助成、ペル・グラント(のち整備)や連邦学生ローンの枠組みを整え、高等教育へのアクセスを拡大しました。これらは機会均等と人的資本形成を意図した制度です。

第三の柱は保健です。1965年の社会保障修正法により、メディケア(高齢者向け公的医療保険)メディケイド(低所得者向け医療扶助)が創設されました。民間保険を補完しつつ、医療へのアクセスを連邦の責任として担保する画期的制度で、以後、受療行動・医療産業・医療財政に長期の影響を及ぼします。

第四の柱は都市と住宅です。1965年に住宅都市開発省(HUD)が創設され、住宅・都市開発法(1965, 1968)やモデル・シティーズ計画(1966)が都市再生と公営住宅、地域包括支援を推進しました。交通安全では1966年の道路安全法自動車安全基準法が制定され、消費者保護でも包装表示の適正化貸付の公正表示(1968)などが整備されました。環境分野では水質法(1965)大気質法(1967)などが基準づくりの初期段階を担いました。

第五の柱は文化・情報と市民社会です。1965年の全米芸術基金(NEA)全米人文科学基金(NEH)の創設、1967年の公共放送法(CPB設置)は、文化・教育の公共財としての価値を制度化しました。これにより、公共ラジオ・テレビと地域文化団体への支援の土台が築かれます。

第六の柱は移民と公民権です。1964年の公民権法は雇用・公共施設での人種差別を禁じ、1965年の投票権法は投票抑圧の手段を排し、選挙参加を保証しました。さらに1968年の公正住宅法は住宅市場における差別を規制します。移民制度では1965年の移民・国籍法改正が出身国別割当を撤廃し、家族結合・技能を重視する原則へ転換しました。これらはアメリカの人種関係・人口構成を大きく変える契機となりました。

実施過程と影響—財源・ガバナンス・成果と限界

財源面では、拡張的な社会計画と戦費の並行が最大の制約でした。1964年減税で景気刺激を図りつつ、ベトナム戦争の歳出増が続いたため、1968年には付加的所得税(臨時増税)が導入されます。貧困対策の連邦支出は連邦予算全体から見れば大きくはなく、プログラムの野心に比べ資金と人員が不足する場面が目立ちました。

ガバナンスの面では、コミュニティ・アクションの理念が地方政治と摩擦を起こしました。住民直接参加を掲げたCAPは、既存の市長・郡政・州政府の権限と競合し、委託先NPOや活動家との調整が難航しました。一部の都市では政治機械や後援主義と衝突し、他方で住民自治の芽を育てた事例もあります。OEO本庁は実験的なプログラムを素早く拡散しましたが、評価設計とデータ整備は後追いになりがちでした。

成果については分野ごとに差があります。高齢者の無保険状態はメディケアで急速に縮小し、受療率と健康指標が改善しました。メディケイドは州ごとの差が大きいものの、低所得層の医療アクセス拡大に寄与しました。ESEAは学区間の財源格差を緩和し、読解・算数の到達度向上に一定の効果が観察されています。ヘッドスタートは短期の学力効果の減衰が指摘される一方、長期の就学・所得・健康・非行抑制などの効果が追跡研究で示されることが増えました。投票権法は、とりわけ南部での黒人有権者登録率と当選者数を飛躍的に高め、地方政治の顔ぶれを変えました。移民法改正は、アジア・ラテンアメリカからの移民の比重を大きく引き上げ、都市の多文化化を促しました。

限界と副作用も明確です。都市再開発では住民移転やコミュニティ分断が生じ、公共住宅の集中は貧困の空間的固定化を招く場合がありました。CAPの政治化は、保守勢力に「官僚制の肥大」「依存の助長」という批判材料を与え、1970年代以降の再編でOEOは縮小・廃止に向かいます。犯罪増加や暴動の記憶は治安重視の世論を強め、保守的政策転換の土壌となりました。ベトナム戦争は、財政だけでなく政権の正統性と連合の維持を侵食し、改革の持続可能性を弱めました。

統計的には、公式貧困率は1960年代初頭から1970年代初頭にかけて顕著に低下しましたが、要因は経済成長・雇用と政策効果の双方が絡みます。1970年代半ば以降の停滞・格差拡大は、再分配の限界と産業構造変化の影響を浮き彫りにしました。とはいえ、メディケア/メディケイド、教育・移民・公民権の制度効果は長期的に持続し、後代の医療改革や教育・差別是正政策の基盤となりました。

評価と比較視点—研究史の論点とその後の展開

研究史では大きく三つの見方が併存します。第一は「福祉国家の拡充」として肯定的に評価する立場で、医療・教育・公民権の制度化をアメリカ民主主義の前進とみなします。第二は「政策実装の失敗」や「官僚制の肥大」を批判する立場で、CAPや都市政策の混乱、連邦と地方のねじれ、評価設計の弱さを指摘します。第三は、リベラル連合の政治的解体(南部白人の保守化、労組の弱体化、ニューライトの台頭)を、偉大な社会の意図せざる帰結ないし外部環境の変化として捉える視座です。

国際比較では、ジョンソンの改革は欧州型の普遍的福祉国家には至らず、雇用主・民間保険を軸に連邦が補完する「アメリカ型ミックス」を強化したと評価されます。制度は分権的で、州差と所得テストが多く、普遍主義と選別主義の折衷でした。他方、移民・公民権・消費者・交通安全・公共放送・環境など、福祉以外の基準形成は欧州にも遜色ない制度革新を示しました。

1970年代以降、保守政権下で一部プログラムは縮減されましたが、メディケアは後に処方薬給付の拡充(2000年代)や保険改革(2010年代)と接続し、メディケイドは対象拡大を続けました。教育支援も形を変えつつ継続し、移民制度の1965年枠組みは米国の人口・労働・文化に不可逆的変化をもたらしました。今日、偉大な社会をめぐる史的評価は、短期の政治的帰結だけでなく、半世紀規模の制度持続と社会変容を視野に入れて再検討が進んでいます。

総じて、偉大な社会計画は、連邦主導・地方実施・住民参加という三層構造のもと、貧困・人種・教育・保健・都市・移民・文化の諸課題に同時多発的に取り組んだ包括改革でした。戦争と政治連合の変化がその射程を削った一方、医療・教育・公民権・移民の骨格は現代アメリカの制度として生き続けています。用語として「偉大な社会」は、1960年代の一過性のスローガンではなく、今日に連なる社会政策の出発点を指し示す歴史的キーワードとして理解されます。