インダス文明は、インダス川とその支流域を中心に、紀元前2600年ごろから紀元前1900年ごろにかけて栄えた広域な都市文明です。代表的な遺跡であるモヘンジョ=ダロやハラッパーは、直交する街路、整然とした住居区画、発達した排水設備を備え、古代世界でも屈指の都市計画を実現していました。農業生産と手工業、遠距離交易が結びついた経済を背景に、印章や度量衡の規格化、未解読のインダス文字など、共通文化の手がかりが多数見つかっています。王墓や巨大神殿のような権力誇示の遺構が目立たない一方で、社会は高い組織力で支えられていたと考えられます。気候変動や河道の変化、交易網の変調などが重なり、都市の縮小と分散が進んだのち、地域社会へと姿を変えていきました。インダス文明は、古代オリエントやエジプト、黄河流域の文明と並ぶ「四大文明」の一角として、世界史の出発点を理解するうえで欠かせない存在です。
成立と広がり:環境・年代・地理的範囲
インダス文明の舞台は、現代のパキスタンを中心に、インド北西部やアフガニスタン東部にまたがる広大な流域です。上流の氷河から供給される水と、夏のモンスーンによる降水が合わさり、乾燥の強い地域でも灌漑と農耕が成立しました。とくに中下流の沖積平野は、洪水と堆積が繰り返されることで肥沃な耕地を生み出し、広範な集住を可能にしました。
年代区分は、一般に初期ハラッパー期(紀元前3300~2600年ごろ)、成熟ハラッパー期(同2600~1900年ごろ)、後期ハラッパー期(同1900~1300年ごろ)と整理されます。考古学的な標識として、土器様式、居住形態、印章と文字の出現と拡散、度量衡の統一などが注目されます。成熟期には、都市の規模と数が最大に達し、東はインドのグジャラート半島から、西はイラン東部のバローチスターンまで、共通要素をもつ遺跡が点在します。
代表的な都市遺跡として、インダス下流域のモヘンジョ=ダロ、中流域のハラッパーに加え、グジャラートのドーラーヴィーラーや港湾遺跡とされるロータル、北西辺境のショルトゥカイ、バローチスターンのメーヘルガルの後継集落群などが挙げられます。これらは単独の都市国家ではなく、緩やかな文化圏としてのネットワークを構成していたと考えられます。共通する計量体系や都市設計の作法、印章図像の分布は、政治的中央集権というより、各地の都市間で共有された標準と慣行の存在を示唆します。
成立の背景には、長期的な牧畜・農耕の蓄積と、地域ごとの技術的・社会的イノベーションの連鎖がありました。初期段階の集落では、麦や大麦、豆類の栽培に加えて、綿の利用が早くから確認され、のちの成熟期に大規模な綿織物生産へとつながります。銅や青銅の金属加工、カーネリアンやラピスラズリのビーズ製作といった手工業は、地域内での分業と交易を促し、都市の形成を後押ししました。
都市と技術:計画、インフラ、経済と社会組織
インダス文明の都市は、碁盤目状の街路構成と、標準化された煉瓦寸法の採用で知られます。街区は北南・東西にほぼ直交し、主要道路は幅員が大きく取られ、交通と排水の両面で合理的に設計されていました。住宅群には共通規格の焼成煉瓦が用いられ、家ごとに井戸や浴室、排水路が備わる例が多く見つかります。個々の家の排水は街路下の暗渠に接続し、都市全体で衛生と雨季の浸水対策が意識されていたと考えられます。
モヘンジョ=ダロにみられる「大浴場」と通称される施設は、煉瓦とビチューメンによる防水技術が使われ、階段で出入りする矩形の水槽と周囲の回廊・附属室から構成されています。宗教儀礼か社会的集会に関わる公共施設だった可能性が高く、都市共同体の象徴的中心であったと解釈されます。ハラッパーやドーラーヴィーラーには、穀物貯蔵施設と見られる建造物があり、生産物の集配や食糧管理が制度化されていたことを示唆します。
経済の基盤は、灌漑農業と牧畜、そして多様な手工業です。灌漑は洪水の制御と運河・溝の整備によって支えられ、小麦・大麦・豆類に加え、綿花やゴマなどの作物が栽培されました。家畜ではウシ(コブ牛を含む)やヤギ、ヒツジ、ブタが重要で、農耕と運搬の両面で機能しました。手工業では、綿織物、木綿糸、銅・青銅器、石製ビーズ、貝殻細工、彩文土器などが広く生産され、都市間・地域間の交換の中核をなしました。
遠距離交易はインダス文明の顕著な特色で、ペルシア湾岸のディルムン(バーレーン島付近)やメソポタミアのウル・ウルク地域、さらにイラン高原の鉱山地帯と結びついていました。メソポタミア文書に見える「メルッハ(Meluhha)」はインダス地域を指すと考えられ、そこから輸入される木材、象牙、貴石、綿布などが記録に残ります。河川と海の連結による物流は、都市の繁栄を広域ネットワークに組み込む重要な要因でした。
社会組織については、巨大な宮殿や王墓、専制的権力を示す碑文が見当たらないことから、他の古代文明と異なる統治形態が議論されています。都市ごとに行政組織が存在し、統一的な規格の維持や都市インフラの保守が市民的合議や専門職によって運営された可能性があります。一方で、富の格差や職能の分化を示す証拠もあり、完全な平等社会ではありませんでした。印章の所有、住宅の規模・設備、副葬品の差などが、社会的階層の存在を示唆します。
文字・宗教・表象世界と文化交流
インダス文字は、スタンプ型の小型印章や土器、銅板、銘札状の遺物などに短い列として刻まれています。文字数は400前後の記号が想定され、表語・音節の混合体系やロゴグラム説など複数の仮説が提示されていますが、長文資料が少ないこと、二言語対照資料(いわゆるロゼッタ・ストーンに相当するもの)が未発見であることから、決定的な解読には至っていません。ただし、記号列の頻度や並びに一定の規則性が確認され、個人・集団の印と財の管理、商取引の記録、宗教的標章付与などに使われたと推測されます。
印章に刻まれた図像は、インダス文明の象徴世界を読み解く鍵です。角を持つ牛(いわゆる一角獣様の動物)、ゾウ、サイ、トラなどの動物、聖樹とみられる植物、座像の人物や踊る人物など多様です。角のある動物と祭壇の組み合わせや、樹木と人物のモチーフは、豊穣・守護・超自然的力への信仰を暗示します。モヘンジョ=ダロのテラコッタ像や小像群には、首飾りや頭飾りを付けた人物像もあり、儀礼や身分、装飾文化の存在を示しています。
宗教施設としての明確な寺院や巨大神殿は目立ちませんが、公共浴場や祭具、特定の区画の存在は、共同体的な儀礼が重要であったことを物語ります。後世のヒンドゥー教にみられる神像表現(例えばシヴァ的な瑜伽坐像)との連続性を指摘する見解もあれば、図像の意味は独自で、後代に断絶しているとする立場もあります。いずれにせよ、インダス文明の宗教は都市生活と密接に結び、清浄・秩序・循環の観念が共有されていたと考えられます。
文化交流の面では、メソポタミアとの接触が考古遺物と文字史料の双方で確認されます。インダス風の印章やビーズ、計量標準の影響が西方に及ぶ一方、メソポタミアの技術や意匠がインダス域に取り入れられた可能性もあります。港湾遺跡ロータルの掘込式船渠と考えられる構造は、潮汐と河川流の差を利用する実践知の高度さを示し、海運・河運の結節点として機能していたことを裏づけます。こうした交流は、単なる物資のやりとりにとどまらず、測量・記録・管理の技術と象徴体系の共有にも波及しました。
変動と終焉、そののち:環境・社会の再編と研究の進展
成熟期ののち、紀元前2千年紀前半にかけて、インダス文明の都市は次第に縮小し、後期ハラッパーの段階へ移行します。この変動は「突然の滅亡」というより、地域差をともなう段階的な再編とみるのが現在の主流です。要因としては、気候の乾燥化やモンスーンのパターン変化、インダス支流網の河道変遷、とくにガッガル=ハークラー川系(しばしば伝説のサラスヴァティー川と結びつけられる)の水量減退、土壌塩害の進行、外部交易の縮小などが複雑にからみました。
都市機能の衰退に伴い、広域ネットワークは解体し、より小規模な農村・牧畜集落が各地に点在する構図へと変わります。土器様式や装身具、生活道具には連続性が見られる一方、度量衡の統一や印章・文字の使用は減少します。これは政治的中心の解体と同時に、記録・管理の技術が地域的に分散したことを意味します。北西からの印欧語族系の移動を重視する説は、かつて都市の崩壊を外圧の結果と説明しましたが、今日では環境・経済・社会の内部要因がより重視され、外部からの移動は地域変容の一要素と位置づけられています。
その後の南アジアの文化に、インダス文明の諸要素がどの程度継承されたのかは、現在も活発に議論されています。綿作やビーズ製作、家屋の配置や井戸利用、沐浴や清浄観念など、生活文化の面での継続性は多く指摘されます。他方で、ヴェーダ文献に見られる宗教観・社会規範はインダス期の都市秩序と異なる面が多く、直接的な制度継承は限定的だった可能性があります。それでも、流域社会が長期にわたって水管理と集住の知恵を蓄積してきた事実は、その後の歴史の基調となりました。
研究史の観点では、19~20世紀初頭の鉄道建設と煉瓦採取の過程で遺跡が注目され、考古学者の本格調査によってインダス文明の輪郭が明らかになりました。印章の発見と文字の存在は学界に衝撃を与え、その後の発掘で都市計画やインフラの水準が次々に裏づけられていきます。近年は、衛星画像解析や地球化学分析、年代測定の高精度化、古環境復元などが進み、河道変遷や作物種の同定、交易ルートの再評価が深化しました。DNA研究は人の移動と混合の歴史を新しい角度から照らし、インダス期の人口動態の理解に新たな仮説を投げかけています。
現代において、インダス文明の遺跡は文化遺産であると同時に、急速な都市化や農業拡大、気候変動にさらされています。地下水位の低下や塩害、観光開発の圧力、保存措置の不足は、遺構の劣化を早めかねません。持続可能な保護のためには、発掘と保存のバランス、地域住民との協働、国際的支援と技術移転が不可欠です。インダス文明の都市が示した衛生・計画・標準化の知恵は、今日の流域管理や都市政策にも通じる教訓を含んでいます。
以上のように、インダス文明は、環境に根ざした生産と都市計画、交換ネットワーク、象徴世界の洗練という三つの軸が絡み合って成立し、長期の変動のなかで多様に姿を変えた文明です。未解読の文字や権力構造の実像といった謎を残しつつも、遺跡と素材、技術の集積は、古代都市社会の別様の可能性を私たちに示してくれます。インダスという大河の名を冠したこの文明を通じて、自然と人間の折り合いの歴史を立体的に捉えることができるのです。

