本位制停止(イギリス) – 世界史用語集

「本位制停止(イギリス)」とは、イギリスが自国通貨(ポンド・スターリング)と金との兌換を中断・停止した出来事を指し、歴史上は大きく三つの局面—①1797年の銀行券兌換停止(バンク・リストリクション)、②1914年の第一次世界大戦にともなう停止、③1931年の金本位離脱—が要点になります。いずれも「金と交換できます」という約束を一定期間停止・放棄する決断で、戦争や金融危機に直面したとき、雇用・支出・輸出競争力などの国内優先目標を守るために為替・通貨政策の自由度を取り戻す狙いがありました。とくに1931年の離脱は世界恐慌下の大胆な政策転換として有名で、結果的に英経済の回復を早め、英連邦・準植民地圏を巻き込む「スターリング圏(ブロック)」の形成に結びつきました。以下では、用語の整理から始め、各局面の背景と決定、影響と評価、年表と誤解の注意点をわかりやすく解説します。

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用語の整理:本位制・兌換・停止とは何か

ここでいう「本位制」は金本位制を指します。金本位制では、中央銀行(イングランド銀行)が所定の比率で、銀行券(ポンド)を金(地金や金貨)に交換することを約束し、その信認を土台に為替相場が安定します。「兌換停止」とは、この約束の履行を一時的または恒久的に中止することです。停止の理由は、戦争や金融恐慌による金準備の流出、国内の信用収縮の危険、為替投機への防衛など、緊急時の危機管理にあります。停止はしばしば「紙幣(銀行券)本位」化を伴い、通貨・信用の供給を金保有量に縛られずに拡大できるようにしますが、同時に通貨価値の不安やインフレの懸念も生みます。

第1局面:1797年バンク・リストリクション—戦時下の兌換停止と『ブル論争』

1797年、対仏戦争の長期化と国内の金融不安から、イングランド銀行の金準備は急速に減少しました。2月、政府は枢密院命令(Order in Council)で銀行券の金兌換を停止し、これが「バンク・リストリクション(Bank Restriction)」と呼ばれます。名目上は一時措置でしたが、戦争が続いたため1821年まで伸長し、その間イギリスは事実上の銀行券本位に移行しました。

この停止は、物価と為替(対フランス、対ハンブルク、対アムステルダムなど)にどのような影響を与えたかをめぐって、いわゆる「ブル論争(Bullion Controversy)」を引き起こします。デヴィッド・リカードらブルジョン派は、金兌換停止と銀行券の過剰発行が物価上昇・為替のディスカウントを招いたと批判し、金本位復帰の準備を主張しました。他方で、戦費・穀物価格・輸送事情など実物側の要因を重視する立場も根強く、議会でも調査報告が重ねられます。最終的に戦後の調整を経て1821年に金本位へ復帰し、19世紀の古典的金本位制の基礎が築かれました。

第2局面:1914年の停止—総力戦と非常措置

第一次世界大戦が勃発すると、金貨の引き出しと対外支払い需要が急増しました。政府は1914年8月、金貨の流出を防ぎ金融システムの混乱を避けるため、金貨流通の停止と銀行休業、さらに国庫券(Treasury notes)の発行など一連の非常措置を導入します。これにより、民間での金貨使用は事実上停止され、中央銀行と政府は金準備の防衛から国内の信用維持へと政策の重心を移しました。

戦後、イギリスは財政赤字と対外債務、輸出競争力の低下に直面しますが、通貨の威信回復をめざし、1925年にチャーチル財務相の下で「金地金本位制(Gold Bullion Standard)」に復帰しました。ただし、復帰は戦前の平価(1ポンド=約4.86ドル)で行われたため、インフレと生産性の変化を十分に織り込めず、相対的なポンド高・デフレ圧力が国内産業、とくに石炭・造船・綿業に負担を強いました。労働争議の深刻化や失業問題は、復帰の無理と政策運営の難しさを露呈します。

第3局面:1931年金本位離脱—恐慌下の政策転換とスターリング圏

1929年の世界恐慌は、各国の需要と貿易を急激に収縮させ、国際金融の緊張を高めました。1931年、オーストリア・ドイツの銀行危機が波及し、ロンドンにも対英ポンド売りと金引き出しの圧力が集中します。9月、英政府(マクドナルド挙国一致内閣)は金準備の急減に直面して、ついに金本位を離脱しました。これが狭義の「本位制停止(イギリス)」としてもっとも広く言及される出来事です。

離脱の直接効果はポンド相場の下落(切下げ)です。為替が柔軟化したことで、英国の輸出価格競争力は回復し、金融政策も金準備の制約から解放されました。イングランド銀行は公定歩合を引き下げ、国庫は国債借換え(コンソルや中長期国債の金利低下)を進め、住宅建設や国内需要を刺激しました。インフレーションの急激な亢進は回避され、むしろ1930年代半ばにかけて英経済は相対的な早期回復に成功します。

対外的には、英本国と英連邦・植民地の多くがポンドと為替リンクを維持・選択し、関税同盟的な通商優遇(オタワ協定、1932年)を伴って「スターリング圏(ブロック)」が形成されました。これは為替と貿易の安定を域内で確保する試みで、フランスなど金ブロック諸国の長期デフレと対照的に、イギリスは早めの為替調整で景気底入れを図ったと評価されます。

影響と評価:雇用優先への転換、金融政策の独立、帝国経済の再編

1931年離脱の意義は、第一にマクロ政策の目的関数が変わったことです。金平価の維持より、雇用・成長の回復を優先する路線に舵を切り、金準備量に連動した自動的な信用収縮(金融引き締め)の連鎖を断ち切りました。これにより、金本位下では困難だった長期金利の引き下げ・住宅投資の拡大・公共支出の平準化が可能になり、需要の底上げにつながりました。ケインズが論じた「管理通貨」的発想を、政治として実行に移した点が象徴的です。

第二に、為替と通商の再設計です。変動相場(当初は管理フロートに近い運用)は、対米ドル・対仏フランに対する柔軟な価格調整を可能にし、スターリング圏内の清算・信用供与のメカニズム(相互の為替安定と短期資金供与)を育てました。これは帝国・英連邦を経済的に再結束させる一方、世界貿易をブロック化し、各ブロック間の摩擦を高める副作用も持ちました。

第三に、金融制度・国債市場への影響です。金本位の束縛が弱まると、中央銀行と財務省は、公開市場操作や国債借換えを通じて長短金利の管理に踏み込みやすくなります。イギリスは1932年の大借換え(Conversion Loan)で高利回りの国債を低利に付け替え、利払い負担を軽減しました。これは戦前型の「自律的」金本位から、戦後の「政策主導」的な金融・財政運営への橋渡しでした。

比較の視点:帰還(1925)と離脱(1931)のコントラスト

1925年の金本位復帰(戦前平価)と、1931年の離脱は、対照的な政策選択として並べて理解するとわかりやすいです。前者は「威信と長期安定」の重視、後者は「雇用と回復速度」の重視です。前者はデフレ圧力と産業調整の痛みを増幅させ、後者は為替調整で外需を呼び込み、金融緩和の自由度を高めました。どちらが「正しい」かは状況依存ですが、世界恐慌のショックという条件下では、英国の離脱は結果として柔軟で効果的な対症療法になったと評価されることが多いです。

年表とキーワードの整理

・1797年:対仏戦争下で金兌換停止(バンク・リストリクション)。—紙幣本位化、ブル論争。

・1821年:金本位へ復帰(戦後調整を経て)。—19世紀の古典的金本位の確立。

・1914年:第一次世界大戦にともなう金貨流通停止・非常措置。—民間兌換停止。

・1925年:チャーチル財相の下、金地金本位に復帰(戦前平価)。—デフレ圧力と不況。

・1931年:金本位離脱(9月)。—ポンド切下げ、金利引下げ、スターリング圏形成、英の相対的早期回復。

キーワード:金本位制/兌換停止/バンク・リストリクション/ブル論争/金地金本位/スターリング・ブロック/管理通貨/大借換え(Conversion)/オタワ協定。

誤解を避けるために:停止=放漫ではない、離脱=孤立ではない

最後に二つの誤解に触れます。第一に、「本位制停止=安易な紙幣乱発」という図式は単純化です。英政府とイングランド銀行は、停止後も金融安定と物価の管理を目標に据え、戦時・恐慌期の危機管理として必要な信用供給を行ったにすぎません。むしろ停止がなければ、金準備流出に追随した信用収縮で不況が深刻化した可能性があります。

第二に、「1931年離脱=国際的孤立」という理解も一面的です。実際には、英はスターリング圏を軸に広域の通商・金融ネットワークを維持し、域外とも為替柔軟化を前提に競争力を回復しました。世界の通貨ブロック化は負の側面を伴いましたが、英経済の短中期の安定には有効でした。重要なのは、金というモノの希少性に縛られる仕組みと、雇用・生産を守る政策のあいだの優先順位づけを、情勢に応じて選び直す政治判断だったのです。

まとめ:本位制停止は「危機の手綱さばき」—イギリス史の学び

イギリスの本位制停止は、単なる金融技術の話ではありません。戦争と恐慌という非常時に、通貨制度の錨を一時外し、為替・金利・財政のレバーを動かせるようにして、雇用と産業の崩壊を防ぐ—その政治的決断の歴史です。1797年は戦時金融、1914年は総力戦の非常措置、1931年は恐慌下の柔軟な転換。これらを通して見えるのは、「制度の安定」と「実体経済の保全」をどう両立させるかという普遍の課題です。年号や用語を覚えるだけでなく、各局面で何を守るために何を手放したのか—その優先順位の選び方こそが、「本位制停止(イギリス)」から学ぶべき核心だといえます。