新保守主義(しんほしゅしゅぎ、英語:ネオコン=neoconservatism/neocon)とは、主にアメリカ合衆国で20世紀後半に形成された政治思想・政治運動で、「もとはリベラル寄りだった知識人や政治家が、自由主義政策の行きづまりや冷戦下の外交政策に失望して保守化し、強い軍事力と積極的な対外関与(とくに民主主義の拡大)を主張するようになった流れ」を指します。特に世界史・現代史では、2000年代初頭のブッシュ(子)政権の外交方針やイラク戦争の立案・正当化に大きな影響を与えた思想として語られることが多いです。
新保守主義は、国内政策の面では市場経済や規制緩和を支持しつつ、単純な小さな政府論よりも「道徳・秩序・愛国心」を重視する傾向があり、対外政策では「アメリカの価値(自由・民主主義)を軍事力を含む強い手段で世界に広げようとする」姿勢に特徴があります。伝統的な保守主義が、どちらかといえば対外関与に慎重で孤立主義的傾向を持っていたのに対して、新保守主義はむしろ「積極介入派」であり、ここに大きな違いがあります。
世界史学習の場面では、「新保守主義=冷戦末期からポスト冷戦期にかけてアメリカ外交を主導した一派」「イラク戦争を推し進めた知識人・政策グループ」といったイメージで登場します。アメリカの政治史や国際関係を理解するうえで、新保守主義が生まれた背景(1960〜70年代のアメリカ社会)、理論的特徴、そしてブッシュ政権期に果たした役割を押さえておくと、用語がぐっと分かりやすくなります。
新保守主義の誕生:リベラルから「新しい保守」へ
新保守主義が生まれる土台になったのは、1960〜70年代のアメリカ社会です。この時期、アメリカでは公民権運動、ベトナム反戦運動、学生運動、フェミニズム、カウンターカルチャーなど、急速な社会変動が続いていました。従来ニューディール以来の自由主義(リベラル)を支持してきた一部の知識人や政策立案者は、そうした急進的な変化や、都市の犯罪・秩序の乱れ、福祉国家の弊害だと彼らが感じた現象に次第に違和感や反発を抱くようになります。
もともと民主党寄りであった多くの新保守主義者は、冷戦下での対ソ強硬路線(冷戦リベラル)を支持しつつ、1960年代後半以降の民主党が「ベトナム戦争反対」「軍縮・デタント重視」に傾き、国内では社会改革やマイノリティ政策を進める方向に進んだことに失望しました。彼らは、「旧来の保守派ほど反福祉ではないが、リベラル派ほど国家介入を拡大したくもない」「外交で妥協的になり、共産主義に甘い民主党に不満がある」という、独特の立場に立つようになります。
こうした人びとを、当時の左派の論客が皮肉を込めて「ネオ・コンサヴァティブ(新しい保守)」と呼んだことから、「ネオコン」という呼び名が広がりました。「新保守」といっても、彼ら自身は、単に昔ながらの保守主義に回帰したわけではありません。むしろ、「かつてリベラルとして持っていた理想主義や民主主義への信頼を維持しつつ、それを軍事力や強い国家と結びつける」という、新しいタイプの保守だったと言えます。
理論面では、「一度リベラル政策の欠点を実際に目の当たりにした元リベラルこそが、本当の意味で現実主義的な保守になりうる」という自己イメージが語られました。「ネオコンとは、リベラルな政策の結果を見て保守になったリベラルだ」という有名な言い方は、その心情をよく表しています。
新保守主義の思想的特徴:強いアメリカと民主主義の拡大
新保守主義の思想的特徴は、主に外交・安全保障政策に関わる部分で際立っています。彼らは、ソ連をはじめとする全体主義・権威主義体制を強く警戒し、「民主主義国家が自らの価値を守り、世界に広げていくことは正当かつ必要である」と考えました。そのために、軍事力や経済力を積極的に使うことも辞さない姿勢をとります。
新保守主義の外交観を整理すると、次のようなポイントがよく挙げられます。
第一に、「善悪二元論的な世界観」です。新保守主義者は、冷戦期には「自由主義陣営(民主主義国家)」と「全体主義陣営(ソ連など)」の対立を、価値観・理念の対立と見なし、「悪(全体主義)に対して妥協することは、自由と人権の後退につながる」と考えました。したがって、ソ連とのデタント(緊張緩和)や軍縮交渉にも懐疑的で、「強い抑止力と威圧こそが平和を守る」と主張することが多かったです。
第二に、「強いアメリカと単独行動(ユニラテラリズム)への傾き」です。新保守主義者の多くは、アメリカが世界唯一の超大国として指導的役割を果たすべきだと考え、「国際機関や同盟国との調整よりも、アメリカ単独の決断と行動を優先してよい」とする傾向があります。国連や多国間枠組みに対しては、「非効率で、しばしばアメリカの行動を縛るもの」として批判的でした。
第三に、「民主主義の積極的な輸出」です。新保守主義者は、民主主義と市場経済が普遍的な価値であるとみなし、それを世界に広げることはアメリカの「使命」でもあると主張しました。とくに、独裁政権や反米的政権に対しては、「その体制を打倒し、親米的な民主政権を樹立すること」が正当化されると考え、軍事力による政権転覆や介入を支持する傾向が強くなります。
第四に、「アメリカ例外主義(アメリカは特別な国だという意識)」の強調です。新保守主義者は、アメリカを「自由と民主主義の歴史的実験場」「世界のなかでも特別な使命を持つ国」として語り、その道徳的優位性を前提に外交戦略を組み立てることが多いです。この点で、現実主義(リアリズム)と呼ばれる冷静なパワーバランス重視の外交理論とは対照的です。
国内政策においては、新保守主義は完全な小さな政府論ではなく、「最低限の福祉制度や国家による秩序維持を認めつつ、過度な再分配や政府介入には批判的」という立場をとりやすいです。「貧困や社会問題は、文化や道徳の問題としても捉えられるべきだ」という視点から、家族・宗教・地域共同体の役割を重視する論者も多く、単純な市場原理主義とは異なる色合いを持っています。
新保守主義の展開:冷戦期からブッシュ政権・イラク戦争へ
新保守主義者が具体的な政治勢力として影響力を持ち始めたのは、冷戦後期からです。1970〜80年代には、保守系シンクタンクや雑誌を拠点に、新保守主義の論客たちが外交・安全保障政策に関する提言を重ねました。レーガン政権の時代には、ソ連に対して強硬な姿勢をとる政策――軍拡、戦略防衛構想(SDI)、反共産主義勢力への支援など――を理論面から支える役割を果たしました。
1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終結すると、世界は「唯一の超大国アメリカ」という新しい局面に入りました。このとき、新保守主義の一部は、「アメリカが積極的に国際秩序をデザインし、民主主義と市場経済の拡大を主導すべきだ」と主張します。湾岸戦争(1991)の経験や、バルカン紛争への介入などを通じて、「人道的介入」や「体制転換」をめぐる議論が高まり、新保守主義者はその推進役の一角を占めるようになります。
とくに注目されるのが、ジョージ・W・ブッシュ(子)政権期(2001〜2009)です。ブッシュ政権の中枢には、新保守主義的な発想を持つとされる人物――国防副長官ウォルフォウィッツ、副大統領チェイニー周辺の政策スタッフ、国防総省の一部幹部など――が多く含まれていました。彼らは、冷戦終結後の世界でアメリカの軍事的優位を維持し、敵対的な体制を抑えこむ戦略を長年議論してきたグループでした。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件は、新保守主義者にとって、自らの主張を一気に前面に押し出す契機となりました。彼らは、「テロの温床となる独裁国家や『ならず者国家』を放置することは許されない」「大量破壊兵器を持つ可能性がある政権は、未然に取り除かなければならない」と主張し、「先制攻撃(preemptive strike)」を含む積極的な軍事介入を正当化しました。
その象徴が、2003年のイラク戦争です。ブッシュ政権は「大量破壊兵器の保有」「テロ支援」「中東民主化の第一歩としてのイラク体制転換」などを理由に、国連の完全な支持を得ないまま有志連合による軍事侵攻に踏み切りました。この決定に際して、新保守主義者たちは、イラクのサダム・フセイン政権を倒し、民主的政権を樹立することで、中東全体に民主主義の『ドミノ効果』が広がると主張しました。
しかし、戦後イラクは長期の混乱と内戦状態に陥り、大量破壊兵器も発見されなかったため、イラク戦争は国内外で激しい批判を浴びました。新保守主義に対しても、「理想主義的な民主主義輸出が現実を見誤った」「アメリカの軍事力の限界と、他国社会の複雑さを甘く見た」といった厳しい評価が向けられるようになります。2000年代後半以降、「ネオコン」という言葉は、しばしばイラク戦争を推進した強硬派への批判的なレッテルとして使われることが増えました。
新保守主義の評価と現代への影響
新保守主義(ネオコン)に対する評価は、現在まで大きく分かれています。支持する側は、「冷戦末期〜冷戦後において、民主主義と人権の価値を真剣に掲げ、独裁や大量虐殺に対して沈黙しない姿勢を取った」と評価します。彼らは、「時に武力を用いてでも、自由と民主主義を守る責任がある」という考えを、ナチス・ドイツへの宥和政策の反省など歴史的教訓と結びつけて正当化してきました。
一方、批判的な側からは、いくつかの問題点が指摘されています。第一に、「他国の歴史や文化、宗教を十分に理解しないまま、アメリカの価値観を押しつける傾向」があるという点です。イラク戦争後の混乱は、「民主主義は選挙を実施すれば自動的に根づくものではない」「国家の統治能力や社会の信頼関係、地域のバランスなどを軽視した」として、新保守主義の限界の象徴とされました。
第二に、「軍事力・強硬策に頼りすぎ、外交や多国間協調を軽視した」という批判です。国際社会の信頼を得ずに行われた戦争は、アメリカのイメージを傷つけ、同盟国や国際機関との関係を悪化させました。また、「テロとの戦い」を掲げる中で拷問問題や市民の自由制限などが生じたことも、「自由や人権を掲げる新保守主義が自らの価値を損なった」とされる一因となりました。
第三に、アメリカ国内政治との関係です。新保守主義は、共和党内の一派として強い影響力を持った時期もありましたが、保守派全体を代表しているわけではありません。財政保守派や孤立主義的な右派、リバタリアンなどは、新保守主義の「対外介入主義」を強く批判しており、共和党内でも路線対立が存在します。特に近年の「アメリカ第一」を掲げる流れは、国際介入にはより慎重であり、新保守主義とは異なる方向性を示しています。
それでも、新保守主義が冷戦末期からポスト冷戦期のアメリカ外交に与えた影響は小さくありません。民主主義・人権・テロ対策などの名目で行われる軍事介入や、「体制転換(レジーム・チェンジ)」という発想は、イラク戦争以降も様々な形で国際政治の議論に登場し続けています。また、新保守主義への反発も含めて、「軍事力を使ってでも価値を広げるのか」「それとも現実的な制約を重視するのか」という論争は、現在の世界でも繰り返し問い直されています。
世界史や現代社会を学ぶ際、「新保守主義(ネオコン)」という用語に出会ったら、①リベラルから保守へと転じた知識人・政策集団であること、②強いアメリカと民主主義輸出を掲げる対外介入主義を特徴とすること、③レーガン政権からブッシュ(子)政権、とくにイラク戦争に至るアメリカ外交に大きな影響を与えたこと、という三点をまず押さえておくとよいです。そのうえで、支持・批判両方の視点から、新保守主義が現代世界にもたらした結果を考えてみると、この用語が単なる「ラベル」ではなく、一つの歴史的・思想的ドラマを背負った言葉であることが見えてきます。

