クレーロス – 世界史用語集

クレーロス(κλῆρος, kleros)は、古代ギリシア語で本来「くじ」「分け前」「割当」を意味し、転じて「割り当てられた土地(地所)」を指す語として広く使われた用語です。都市国家(ポリス)の草創・拡大・支配のプロセスのなかで、人びとに配分された土地や、それに付随する権利・義務・軍事的負担の単位を示す概念として重要です。スパルタの市民に配分された自営地、アテナイのクレルーキア(僭在植民)における市民への割当地、ヘレニズム王国の軍事入植者(クレールコイ)への給与地などで、具体的な制度として現れます。語の核心は「共同体が、統治と軍事と経済の必要のために土地を『割る』」という一点にあり、そこから相続・売買・耕作・徴税・兵役といった多くの制度が枝分かれします。全体像としては、クレーロスとは「土地を通じて人と共同体を結び、軍務・税負担・身分秩序を可視化する装置」だと捉えると理解しやすいです。

以下では、語源と基本概念、古典期における主要ポリスでの運用(スパルタ・アテナイ・植民市)、ヘレニズム期の軍事入植との関係、さらに宗教・法・社会の領域における派生的用法と研究上の論点を整理します。見取り図を押さえれば、教科書の断片的な項目が一つのラインでつながって見えてきます。

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語源・基本概念:くじ分けから割当地へ

クレーロスの原義は「くじ」「分け前」です。古代ギリシアでは、共同体の負担や利益、役職や裁判官の選任などを「抽選(κλήρωσις)」で決めることが広く行われ、神意や公平を担保する方法とみなされました。この延長線上で、開拓した土地や征服地、公共地(コイノン)を構成員に分配する際にも、「くじ」による配分=クレーロスが採用されました。ここから、クレーロスは単なる手続き語を越え、「割り当てられた土地そのもの」を指す意味を獲得します。

割当地としてのクレーロスは、一定の面積・収穫量・税(または供出)義務・兵役義務を伴う単位として機能しました。割り当ては世代をまたいで相続されるのが通例で、共同体は地籍・境界・用水などの管理を通じて、家(オイコス)の維持と軍役の履行を期待しました。クレーロスは個人の私有財産であると同時に、共同体秩序の一部でもあり、自由な売買や分割が厳しく制限されることも少なくありませんでした。

なお、クレーロスは「土地割当」の意味がよく知られますが、宗教的には「神に属する分け前」「神の民」の意味でも使われ、これが後世の「クレルス(聖職者)」という語の語源となります。つまり、クレーロスは世俗と宗教の両面で「割り当てられたもの」を指す広がりを持つ語でした。

古典期ポリスでの運用:スパルタ・アテナイ・植民市

スパルタのクレーロス(市民割当地)についての記述は、クレーロスを理解するうえで定番です。伝承上は立法者リュクルゴスが市民に平等な地所を配ったとされ、歴史的実態としても、成人男子市民(スパルティアタイ)にはヘロット(国家隷農)によって耕作される割当地が与えられました。市民は自ら耕すのではなく、ヘロットからの年貢(アポフォラ)をもって共同食事(シュシティア)に拠出し、武具を整えて軍務に奉仕しました。したがってスパルタのクレーロスは、政治的完全市民の生活基盤・軍務の財政基盤・身分秩序の固定具の三役を兼ねた制度でした。

しかし、戦死や無嗣・借財・婚姻などを通じて、クレーロスの分割・集中は徐々に進み、前4世紀には「平等地所」の理念は空洞化していきます。地所を失い共同食に拠出できない者は市民資格を維持できず、スパルタ市民団の縮減が進行しました。ここには、割当地の不動性と家産の現実の動態との緊張が表面化しています。

アテナイのクレルーキア(僭在植民)とクレーロスでは、アテナイ本市の市民が征服地・同盟市に入植し、クレーロスを受けながらもアテナイ市民権を保持するという独特の制度が用いられました。クレルーク(κλῆρουχος=割当地保有入植者)は、現地支配の監視拠点・海上交易の結節・国内人口圧力の緩和などの役割を担いました。彼らは本国の部族(フィュライ)編成に組み込まれ、軍役・納税・裁判の管轄もアテナイの制度に従うことが多く、単なる植民(アポイキア)とは異なります。クレーロスはここでも、軍事・財政・統治の三位一体を具体化する仕組みでした。

アテナイのクレルーキアは、前5世紀の「デロス同盟」支配の装置として機能し、エウボイア島(カルキス)、レムノス島、サモス島などに設置されました。割り当て地の規模は地域・時期・身分により異なりますが、海上覇権の維持のために、現地での農業収入と軍事基地化が同時に求められました。クレーロスは経済的報酬であると同時に、帝国支配の「杭打ち」でもあったのです。

ギリシア植民市(アポイキア)と土地分配でも、創設時に入植者へクレーロスを配ることが通例でした。メトロポリス(母市)から派遣された指導者(オイキステース)が神託の権威を背景に地割りを行い、公共地・神域・街区とともに、農耕地・葡萄園・橄欖畑が割り振られました。クレーロスは新共同体の平等性・参画資格・兵役義務を可視化する最初の制度行為であり、境界標(ホロイ)や地籍台帳の整備と不可分でした。

ヘレニズム期の軍事入植とクレーロス:クレールコイとカトイコイ

アレクサンドロス大王の遠征と後継者戦争を経て成立したヘレニズム王国では、王権の軍事・財政基盤として大規模な入植が行われました。ここでのキーワードが、割当地=クレーロスを給付された軍務保持者、すなわちクレールコイ(κλῆρουχοι)です。とりわけプトレマイオス朝エジプトでは、ナイル流域の灌漑地に王領地が広く存在し、軍人・騎兵・傭兵に対してクレーロスが付与されました。受給者は平時には耕作または小作料の受領で生計を立て、戦時には動員に応じる義務を負いました。

プトレマイオス朝では、土地面積の単位として「アルウーラ(aroura)」が用いられ、階級・兵種に応じて割当規模が異なることがパピルス史料から知られます。騎兵は広い地所、歩兵は比較的小さな地所を受ける、といった区別です。これは、中世欧州の封土給付とも似た「軍務対地所」という構図ですが、所有権の移転は限定的で、最終的には王領に属し、譲渡・抵当・相続に制限が設けられることが多かった点に特色があります。

同様の仕組みはセレウコス朝やペルガモンなどでも見られ、入植地は国境防衛・街道監視・穀倉地帯の直轄支配など多目的に配置されました。クレーロスはここで、王権の「分配する力」を視覚化する政治的資源でもあり、忠誠の紐帯として機能しました。地所の給付・回収・再配分を通じて、王は軍隊と地方社会を結びつけ、異民族混淆の領土を統治したのです。

ヘレニズム期には、クレールコイと並んでカトイコイ(在地居住の兵農民)というカテゴリーも存在し、両者は地域・時期により重なります。いずれも、割当地が軍事的動員の単位であり、租税・小作・労役と組み合わされる点が共通しています。クレーロスは農業経営の基盤であると同時に、兵站と国境の「制度化」でもありました。

法・宗教・社会における派生的意味と具体運用

クレーロスは法制度の文脈では、相続・分割・売買・担保と密接に結びつきます。多くのポリスで、割当地の分割は家の力を弱め軍役履行を困難にするとみなされ、過度の細分化が抑制されました。他方、債務によりクレーロスを失う事態は、古典期アテナイで社会不安を招き、ソロンの「債務奴隷の解放(負債の桎梏の廃止)」といった改革の背景ともなりました。つまり、クレーロスは貧富の偏在や市民資格の維持といった政治課題とも直結していたのです。

宗教的用法では、クレーロスは「神の取り分」「聖なる分け前」という観念を帯び、神域の土地・収入・供物を指すことがありました。この宗教的意味が、後代のラテン語 clerus(聖職者)や英語 clergy(聖職者団)の語源に連なります。もともと「神に選ばれた取り分=聖職者」という転義であり、そこから教会の財産管理や什一税の「分け前」の議論も派生します。世界史用語としてクレーロスを学ぶとき、この語源的連鎖を押さえておくと、聖職者(クレルス/クレルギー)という別分野の概念とも橋がかかります。

具体運用に目を向けると、クレーロスの「境界(ホロイ)」は争いの火種でした。境界石の移動や用水路の改変は重罪視され、土地台帳と測量の技術が発達します。スパルタではクレーロスの譲渡・分割に厳しい制限があった一方、持参金や養子縁組を通じて実質的な集約や移転が進むなど、法と慣行のせめぎ合いが観察されます。アテナイのクレルーキアでも、現地住民からの収公・再配分に伴う対立が避けられず、帝国経営の緊張が土地問題に凝縮しました。

史料・研究上の論点:平等神話・所有形態・比較視点

クレーロス研究では、いくつかの論点が繰り返し議論されてきました。第一に、スパルタの「平等地所」像の実在性です。古典期の著述家は理念的な平等を語りますが、考古学・碑文史料・後世の記録からは、前5〜4世紀にすでに地所の偏在が進み、完全平等は神話的色彩を帯びることが指摘されています。クレーロスは平等の象徴でありながら、政治・軍事・婚姻市場の動態の中で変形し続けた実体でもありました。

第二に、ヘレニズム王国のクレーロスの所有形態です。王有地からの「賃与」なのか、ほぼ私有に近い「永代使用権」なのか、地域・階層で差が大きく、パピルスや碑文の読み取りが分かれます。利用権の担保化や譲渡の条件、相続の規則は、国家の財政・軍事政策と連動しており、同じ「クレーロス」という語でも制度的中身が大きく揺れ動くことが分かります。

第三に、比較史的視点です。古代近東の王領・授封地、ローマの植民市や退役軍人への土地分配、中世の封土と軍役の交換など、土地と軍務を結ぶ仕組みは広く見られます。クレーロスはそのギリシア的バージョンであり、都市国家の市民概念・部族編成・抽選(くじ)の観念と結びついた点に独自性があります。この独自性を見極めることが、世界史の中での位置づけを明確にします。

最後に、言語学的・宗教史的論点として、クレーロスの宗教的転義と聖職者(clerus)への連続性が挙げられます。共同体の「分け前」を神的領域に適用することで、選別・献納・祭司団の特権といったテーマが生まれ、世俗の土地割当と宗教財産の管理という二つの領域が、深いところで同じ語根で結ばれていることが見えてきます。

総じて、クレーロスは「土地の配分」という素朴な行為に、統治・軍事・宗教・法の論理が折り重なった複合概念でした。スパルタの市民地所、アテナイのクレルーキア、ヘレニズムの軍事入植という三つの典型を軸に眺めることで、語の広がりと実態の差異が見通せます。教科書の注釈で見逃しがちなこの用語は、実はギリシア世界の「国家とは何か」「市民とは何か」を考える入口であり、土地という最も具体的な資源が、どのように人間の秩序を形づくったのかを教えてくれます。