兼愛 – 世界史用語集

兼愛(けんあい/中国語:兼愛・兼相愛)は、戦国時代の思想家・墨子(墨翟)とその学派である墨家が掲げた中心理念で、「人をえこひいきせずに広く等しく愛し、互いに利益を及ぼし合うべきだ」という主張を意味します。家族・出身・身分・国家などの境界に偏らず、隣人から他国民に至るまで、差別のない配慮と相互扶助を行うことで、戦争・犯罪・貧困といった社会的害悪を減らせるという現実的な政策哲学でした。兼愛はしばしば「博愛」と同一視されますが、単なる情緒的な慈善ではなく、「兼相愛・交相利(ともに愛し、互いに利する)」という功利的・制度設計的な含意を持つのが特徴です。墨家はこれを、天の意志(天志)・統治者の責務・規範判定の方法(『三表法』)・実地の軍事防禦・節用節葬などの具体策と結び付けました。対立学派の儒家は「父子・君臣などの区別を弱める過激な平等主義」と批判しましたが、兼愛は当時の乱世に対応する平和・福祉・統治効率の提案として一大勢力を形成しました。

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語義と理念の骨格:なぜ「兼」なのか、何を「愛」するのか

「兼」は一つに偏らず複数を包み込む意で、「偏愛(ひいき)」の反義です。「愛」は私的情愛だけでなく、養い・助け・危害を避ける配慮を含む実践的概念です。したがって兼愛は、特定の身内だけを守る狭い愛(別愛)ではなく、範囲を広げて同心円的に社会全体へ行為の恩恵を及ぼす態度を求めるものです。墨子は、人が互いに兼ねて愛すれば、盗み・争い・攻撃戦が減り、労苦の成果が温存されるため、総体として利益(利)が増すと論じました。ここでの「利」は、富・秩序・安全・人口の安定など、共同体の具体的便益を意味します。

兼愛は倫理と政治を橋渡しする設計思想でもあります。個々人の徳目に留まらず、統治者の賞罰や課税、軍事や外交、葬礼・祭祀の規模といった制度に反映させることで、偏りから生じる浪費と争いを抑えます。墨家は、血縁や礼楽に厚く資源を投じる儒家の伝統を、戦時・飢饉に不適切な浪費と見なし、兼愛による資源の公平配分と公共性の優先を主張しました。

論証の枠組み:天志・三表法・兼相愛交相利・非攻と節用

墨家は兼愛の正当化に複数の論拠を用いました。第一は天志です。天(自然秩序と道徳的規範の源)は万人を覆い、偏りなく陽光と雨露を与えるので、人間もまた偏らず互いを利すべきだ、と説きます。統治者は天の意志を体し、兼愛に適う政策・賞罰を行う責務があります。第二は三表法(本・原・用)という判定法です。古の聖王の規範(本)、目下の耳目・経験(原)、民衆にとっての実際の利益・効果(用)という三つの物差しで、主張の真偽・可否を検討します。兼愛はこの三表に照らして、実効的に害を減らし利を増すゆえ妥当だとされます。

第三は兼相愛・交相利です。互いに相手の利益を計算に入れ、行為の総和として双方にプラスが残る関係を広げることで、社会的取引費用を下げられるという、政策合理主義に近い発想が見られます。これに対応する政策パッケージが、非攻(攻撃戦の否定・防衛戦容認)と、節用・節葬(贅沢な礼楽・厚葬を控える緊縮)でした。戦費や葬礼に資源を費やすより、飢貧の救済・治水・農具の改良に回すべきだとするのは、兼愛の「交相利」を国家経済に適用した具体例です。

兼愛を実行に移す主体として、墨家は賞罰体制を重視しました。民が互いに助け合ったときに褒賞を与え、他人を害したときに罰する公的制度があれば、人々は自己利得と公共利益を一致させやすくなるという考え方です。これは、道徳的説教だけに頼らず制度インセンティブで行動を変える設計思想で、墨家の実務志向を示しています。

儒家との論争:親親と兼愛、差等愛と無差別愛のせめぎ合い

兼愛は、同時代の儒家から強い批判を受けました。孟子は「墨家の兼愛は父を知らず(親子・主従の分を曖昧にする)」と述べ、家族・共同体内の役割と情の差等を重んじる儒家倫理(親親・尊尊)と両立しないと論じました。これに対し墨家は、兼愛は役割の否定ではなく、他者に害を及ぼさない配慮の普遍化であり、家族への愛を縮小するのではなく、そこから外にも広げるものであると反論します。兼愛は「無関心の平等」ではなく、「加害の抑制と扶助の拡張」という行為原則の平等化だというのが墨家の立場でした。

もう一つの争点は、礼楽への評価です。儒家が礼楽を人間形成と共同体秩序の核と見なしたのに対し、墨家は財政・労役の負担と比例して具体的な利を生まない点を問題視しました。厚葬・豪華な葬儀・長期の喪制は農繁期の労働を阻害し、貧者に過度の負担を強いるため、兼愛に反するという批判です。ここには、精神文化の価値をめぐる価値観の衝突と、緊縮的財政思想の萌芽が読み取れます。

組織と実践:墨家集団の規律、防御工学、論理と標準

兼愛は抽象理念に留まらず、墨家の組織運動として実装されました。墨家は厳格な規律と質素な生活を旨とする結社的集団で、師の命で諸国に赴き、弱小国の城壁防御や攻城対策のコンサルテーションを請け負いました。これは非攻の実践として、攻める側ではなく守る側に技術援助を行う姿勢を反映しています。『墨子』巧匠篇・備城門兵法などには、防御工学・器械の図解や手順、資材の節約法が具体的に述べられ、兼愛が「人命の保全」という測度をもつ技術倫理であることが分かります。

また、墨家は標準(法)と度量衡の統一、作業手順の明文化、検証と反証の重視といった、初期の科学的・工学的態度を示しました。『墨辯』に見られる名と実の一致、定義と推論の吟味は、論理学の萌芽です。兼愛はこのロジックと結びつき、恣意ではなく可検証的な基準で政策を選ぶ姿勢を促しました。さらに、神霊観(鬼神)についても、天志・賞罰の威嚇機能として社会統制に資する限りで肯定され、乱費や迷信に堕さない限界設定が議論されました。

史的展開と影響:戦国の勢力から秦漢以降、そして近現代の再読

戦国中期には、墨家は諸国に弟子を持つ大教団に成長し、外交・軍事・土木に実務的影響を及ぼしました。しかし、集権化と皇帝権の確立が進むと、兼愛・非攻・節用といった主張は、法家の統治理論(厳罰・富国強兵)や儒家の国家理念(礼治・名分)に押され、学派としては衰退します。とはいえ、能力主義・実利重視・標準化・節約といった要素は、秦漢以降の官僚制や法制度、技術文化に吸収されました。儒家の経世論においても、救貧や均輸平準、賦役軽減の議論には、兼愛の「交相利」に通じる思考が響いています。

近代以降、兼愛は普遍主義的倫理や平和主義、社会政策の観点から再評価されました。国際関係論では、攻撃戦の否定・防衛戦容認という規範の閾値が、戦争法・自衛権論の先駆と見なされることがあります。倫理学では、公平な配慮の要請と、家族・近隣に対する特別な義務の正当化のバランスという古典的問題系の一角として参照されます。現代の貧困削減運動や効果的利他主義(effective altruism)と比較されることもありますが、墨家の兼愛は国家財政や軍事技術を含む「総合設計」の一部として構想されており、純粋な個人倫理に還元できない点が重要です。

翻訳語の問題も指摘されます。「博愛」は温かい情緒を連想させますが、墨家の「愛」は配慮と利益の配分という意思決定原理に近く、「兼相愛・交相利」とセットで理解するとニュアンスが近づきます。また、「無差別愛」と言うと役割の否認に見えますが、墨家は家族的役割の履行と他者への害の抑止を両立させる規範設計を志向していました。したがって、兼愛を「誰に対しても同じ感情を持つこと」と読むのではなく、「誰に対しても害を避け利を配る原則を適用すること」と解するのが妥当です。

テキストの構造とキーワード:『墨子』から読む兼愛の地図

兼愛関連の篇には、「兼愛上・中・下」「天志上・中」「非攻上・中・下」「節用・節葬」「尚同」「明鬼」「墨辯」などがあり、互いに補完関係にあります。「尚同」は、上から下まで志を同じくすることで社会の摩擦を減らす組織論で、兼愛の実施条件を示します。「非攻」は、攻撃戦の不正義と非効率を事例で論じ、防御の正当性と技術的必要を説きます。「節用・節葬」は財政規範で、富の散逸を防ぎ民生を厚くする視点から兼愛を支えます。「明鬼」は賞罰の超越的根拠を補強し、「天志」は規範の普遍性を担保します。これらを総合して読むことで、兼愛が単独の美徳ではなく、学派全体の制度設計思想の中心線であることが分かります。

受容と評価の変遷:批判・誤解・再評価

伝統社会では、儒家の正統化と並行して、墨家は「礼楽を壊し、親親を薄くする」学としてしばしば周縁化されました。宋代以降の理学は、道徳の内面化と教化を重視する立場から兼愛の外在的・功利的側面を警戒しがちでした。他方、近現代の学術は、『墨子』の異本・偽篇問題を吟味しつつ、工学史・軍事史・経済思想史の観点から墨家を再評価しています。兼愛は、単なる道徳説教でも抽象的平等主義でもなく、限られた資源を平和側へ誘導するための現実的処方箋として設計されたことが明らかになってきました。

以上のように、兼愛は、戦国の乱世で生まれた総合的な公共哲学であり、個人間の徳から国家政策・国際関係にまで及ぶ射程を持っていました。議論の核心は、「誰に、どの程度、どのような手段で配慮を配るか」をめぐる設計にあり、感情の平等化ではなく行為原則の普遍化に重心が置かれている点に特徴があります。制度と倫理を架橋するこの発想は、歴史文脈を離れても理解可能であり、今日でも比較思想の豊かな参照項となり得ます。