古王国 – 世界史用語集

古王国(こおうこく、Old Kingdom)は、古代エジプト史で第3王朝から第6王朝(おおむね前2686〜前2181年)を指し、「ピラミッドの時代」とも呼ばれる王権と石造建築の黄金期です。首都メンフィスを中心に、王は神聖王(ファラオ)として秩序(マーアト)を体現し、行政・宗教・土木を総動員してピラミッド複合体、葬祭寺院、運河・堤防、採石・鉱山開発を進めました。クフ王のギザの大ピラミッド、カフラー・メンカウラーのピラミッド群、ジョセル王の階段ピラミッド、スネフェルの屈折・赤のピラミッドなどが代表で、王墓は王権の威信であると同時に、国家統治の組織力・技術・信仰を可視化する巨大なプロジェクトでした。

この時代の社会は、ナイル氾濫の周期に合わせた農業余剰と、州侯(ノマルフ)・書記・技術者・職人・農民の分業で成り立ちました。王は太陽神ラーの子として神格化され、来世観・埋葬儀礼(ピラミッド・テキスト)・祖霊崇拝が統治のイデオロギーを支えます。他方で、後期には地方勢力の自立、ナイル水位低下や乾燥化(4.2千年イベントと呼ばれる気候揺らぎ)による危機が重なり、古王国はやがて中間期へと移行します。古王国を理解することは、巨大建築の驚異を見るだけでなく、王権・宗教・環境・経済がどのように絡み合って国家を運営し、やがて限界に達したかを知る近道です。

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成立と歴史的背景──第3〜第6王朝の枠組みと主要王

古王国の起点は第3王朝のジョセル王です。彼の大建設事業を設計したと伝わる高官イムホテプは、サッカラに石造建築の嚆矢となる階段ピラミッドを築き、周囲に列柱回廊、祭壇、王の彫像を安置する広大な複合体を整えました。石材の大規模使用、計画都市的な配置、王権儀礼の空間化は、以後の王墓建設の雛形となります。

第4王朝では、スネフェルが三基(メイドゥームの転用・ダハシュールの屈折・赤ピラミッド)を通じて安定した真正ピラミッドの技術を完成させ、その子クフのギザ大ピラミッドで到達点を迎えます。ギザ台地には、カフラーのピラミッドとスフィンクス、メンカウラーの比較的小型のピラミッド、王妃・皇子の衛星ピラミッド、谷神殿・葬祭神殿・堤道が連なる壮大な景観が整いました。ピラミッドの建設は王権の象徴であると同時に、国家の動員体制(徴発労働・配給・管理技術)の実験場でもありました。

第5王朝は太陽神ラーの崇拝が一段と制度化され、アブーシールなどに太陽神殿が営まれます。王名には「ラーの子(サー・ラー)」が組み込まれ、宗教と王権の結びつきが強化されました。またこの時期から王墓の内室に死者の再生を導く呪句群、いわゆる「ピラミッド・テキスト」が刻まれ始め、来世思想の文書化が進みます。外交・交易では、レヴァントの杉材(ビブロス杉)、シナイの銅・トルコ石、ヌビアの金・黒檀・象牙などが組織的に獲得されました。

第6王朝はテティ、ペピ1世、メルエンラー、そして長期在位で知られるペピ2世らが知られます。王権の形式は保たれつつも、地方ノモス(州)の有力者と葬祭経済の肥大化が進み、王墓の規模は縮小傾向に向かいました。各地の岩窟墓やマスタバには、地方官の栄達・狩猟・漁撈・工房の場面が鮮やかに刻まれ、首都以外の文化生産の厚みが見えます。こうして、首都主導の集中から地方分権へと緩やかに重心が移るのが、古王国後期の大きな流れでした。

国家と宗教王権──マーアト・行政機構・ピラミッド国家の仕組み

古王国の統治理念は「マーアト(調和・真理・正義)」です。王はラーの子であり、マーアトの維持者として神と人間世界の橋渡しをします。即位儀礼・王名(ホルス名・ネブティ名など)の体系、神域の整備、祭祀暦の運用は、王権の宗教的正統性を支えるものでした。ピラミッド複合体は王の葬祭を永続させる「国家的メモリー」であり、葬祭神殿では王のカア(生命力)に供物を捧げる祭祀が継続されたと考えられます。

行政面では、宰相(ジェティ)、王の印章官、財務・農政・記録の各部門を束ねる官僚制が整備され、州(ノモス)ごとに総督(ノマルフ)や書記が配置されました。ナイル氾濫の記録、地積測量、堤防・運河の保守、徴税と配分、徴発労働の割当は、書記の文書行政によって支えられます。王墓建設は国家総合プロジェクトで、採石(トゥーラの石灰岩、アスワンの花崗岩)、輸送(ナイル舟・運河・整地)、現場(石切・整形・敷設)の各工程を季節労働と常勤の工匠が担いました。労働者はパンとビール、乾魚・野菜などの配給で養われ、ギザ周辺の労働者村の遺構は、組織的な輪番制や医療・食糧管理の実態を示しています。

宗教思想の面では、王の再生と星の昇天(不滅の星=不変星への合一)という宇宙論的イメージが強く、やがてオシリス神の死と再生の神話が民衆の来世観と結びついていきます。ピラミッド・テキストに続いて、中王国には「棺桶文(コフィン・テキスト)」へ展開する系譜が始まるのも古王国末の特徴です。神殿・祭祀・埋葬は国家経済にとっても巨大な需要項目で、土地寄進(神殿田)と祭祀維持のための財源(基金)が膨らむにつれ、王の直轄財源との綱引きが生じました。

経済・社会・技術──ナイルの恵みと石の科学、そして日常生活

古王国の経済は、ナイル川の定期的な氾濫に依拠する灌漑農業が基盤です。氾濫期(アケト)に堆積した沃土に、成長期(ペレト)、収穫期(シェムウ)という三季の暦が合わせられ、穀物(小麦・大麦)、亜麻、野菜、果樹、牧畜(牛・羊・山羊)が営まれました。余剰は貯蔵・再配分され、王の倉庫から官僚・職人・兵・神官への配給が行われます。交易面では、レヴァント沿岸からの木材(船材・梁)、シナイの銅・トルコ石、ワディ・ハンママートの石材、ヌビアの金・家畜が重要でした。紅海沿岸の港(ワディ・アル=ジャルフなど)跡は、石材運搬や半島部への遠征拠点として機能した痕跡を残します。

技術の面では、測量・整地・石材切り出し・輸送・揚重の分野で高度な知が蓄積されました。単純機械(てこ・そり)、泥レンガと石材の組合せ、外装石の精密な切り合わせ、通風・方位・勾配の設計、石室の軽減構造(持ち送り・グラニットブロック)などは、実験と経験の体系化の成果です。文字(聖刻文字・神官文字)と数学・天文の知識は、地積・税・配給・工期管理のための実用学として発達し、パピルス文書は官僚制の運用を支えました。美術では、王像の規範(比例格子)、石彫の写実、彩色レリーフに見える職能・儀礼の描写が洗練され、青銅・硬石加工の技巧は王権の威儀を具現化しました。

社会構成は、王・王族・神官・高級官僚・中下級官僚(書記)・熟練工・農民・家内奴隷などの層で成り立ちます。ピラミッド建造を担った労働者については、奴隷の強制労働という単純図式ではなく、農閑期の徴発労働(コルヴェー)と常勤職能集団の組み合わせで運用され、医療・配給・居住が整備されていたことが発掘から示されています。家庭生活はパンとビールが主食で、亜麻の衣、パピルスの寝具、香油・化粧、音楽(竪琴・笛・太鼓)と舞踊、ゲーム(セネト)などが記録や壁画からうかがえます。墓に備えられた「偽扉」や供物台は、死者の霊が供え物にアクセスする信仰装置で、家族と祖霊の関係を象徴しました。

衰退と移行──地方分権・気候変動・財政の歪み

古王国の末期には、複数の負荷が同時に高まりました。第一に、王の葬祭経済に結び付いた神殿財産と祭祀基金の肥大化です。寄進による免租地の増加は、王の可処分財源を圧迫し、中央集権の再分配能力を弱めました。第二に、地方ノモスの有力者(ノマルフ)の台頭で、彼らの墓(ベニ・ハッサン等)に見える豪華な装飾は、地方の自立や独自文化の成熟を物語ります。第三に、ナイル水量の低下や降水パターンの変動が連年の凶作と飢饉を招き、社会不安が高まりました。王権の象徴である王墓規模は縮小し、異動や反乱の記憶が刻まれた碑文も現れます。

こうした要因が累積し、ペピ2世の長期在位の後、王統は分裂と内紛に揺れ、やがて地方政権が併存する第一中間期へと移行します。これは唐突な崩壊ではなく、宗教王権のイデオロギー・財政・環境の「複合劣化」による漸進的な変容でした。とはいえ、古王国の技術・行政・宗教文化は失われず、中王国における再統一と文化の再編の土台となります。葬祭文書の一般化(棺桶文)、地方墓の美術様式、行政の書記文化は、そのまま次期の社会に継承されました。

古王国をめぐる史料と研究──発掘・碑文・比較視点

古王国研究は、建築遺構の発掘・測量、碑文・パピルスの読解、環境復元(花粉分析・堆積物研究)、考古化学(石材・顔料・金属分析)、実験考古学(石材運搬・切削)の諸分野が連携して進んできました。ギザやサッカラの王墓群、ダハシュール・アブーシールの王墓と太陽神殿群、地方のノモス墓、採石場・鉱山・港の遺構は、国家的プロジェクトの物流と組織の実相を浮かび上がらせます。碑文群(王名表、司祭・書記の経歴、交易や遠征の記録)は、行政構造と個人キャリアの再構成に不可欠です。ナイル水位の年輪代替データ、紅海側港湾の遺跡、レヴァント・ヌビアの相互参照は、気候・交易・軍事の外的要因を測る物差しを提供します。

比較の視点から見ると、古王国はメソポタミアの都市国家とは異なる「農業リズム依存の中央集権」として特徴づけられます。神殿経済・王権イデオロギー・課役動員・水管理の連携は、後世の大規模国家のプロトタイプでした。他方で、寄進地の肥大と地方自立、環境変動のショックに対して脆弱であったことは、巨大プロジェクト国家の限界を示します。

総じて、古王国は、王権の神話と実務、石の技術とナイルの気象、祈りと配給という異質な要素をまとめあげた「組織の文明」でした。ピラミッドの直線の美と、壁面に刻まれた農耕・手工業の細部を併せて眺めるとき、私たちは、巨大建築の陰で働く数え切れない記録・計算・手仕事のネットワークを見出します。古王国を学ぶことは、国家が〈物〉と〈信〉をどう束ね、いかにして繁栄と危機の両方を招いたのかを理解する鍵となります。