コルホーズ(kolkhoz)は、ソ連における集団農場のことで、個々の農家の土地・家畜・農具を共同化し、農業生産を村落レベルで組織化した生産単位を指します。国家の計画と供出に組み込まれながら、形式上は農民の協同組合という建て付けを持つ点が特徴です。対比的な制度として、国家が直接経営するソフホーズ(国営農場)があり、コルホーズはその「集団経営版」として理解されます。世界史上、コルホーズは1929年以降の強制的な集団化、1930年代の飢饉や弾圧、第二次世界大戦下の動員、戦後の再編・停滞、1980年代のペレストロイカを経た市場化と解体という大きな流れの中で位置づけられます。ここでは、成立背景と理念、集団化の過程、内部の仕組みと労働・配分、生活世界と社会機能、戦後から解体までの変容を、わかりやすく整理して解説します。
概念と成立背景—協同の名と国家の計画
コルホーズという語は「集団農場(コレクティーヴノエ・ホージャイストヴォ)」の略称で、名目上は農民の自発的協同組合です。しかし、ソ連の成立期からの食糧動員という課題と、工業化のために農業余剰を確保する国家の方針が、制度の実態を大きく規定しました。1917年の革命後、農村では旧地主制が崩れ、小農の土地所有が広く行き渡りましたが、内戦と戦時共産主義の経験、1921年のネップ(新経済政策)導入を経ても、国家は都市への安定供給と外貨獲得のための穀物輸出を求め続けました。小農分散経営では徴発・供出にコストがかかり、機械化・近代化も進みにくいという認識が、集団化の理念を後押ししたのです。
同時に、帝政ロシア期の農村共同体(ミール)に見られた土地再分配や共同責任の慣行、革命期の貧農委員会・農民ソビエトの経験が、集団的組織運営の文化的土台になりました。とはいえ、コルホーズはミールの延長ではなく、国家の計画に結び付けられた新しい組織でした。国家は価格・供出量・投資を上から決め、村レベルの民主的意思決定は厳しく制約されました。
集団化の過程—強制の論理と抵抗、飢饉の陰
決定的な転換は、1929年にスターリンが打ち出した「農業の全面的集団化」と「富農(クラーク)の撲滅」でした。これにより、短期間で農村の圧倒的多数をコルホーズへ編入する政策が動き出します。当初は機械の共有や信用の確保、教育・医療の提供などの利点が宣伝されましたが、実際には農具・家畜の強制的な共同化、抵抗者の追放や逮捕、シベリアなどへの流刑といった暴力的手段が広く用いられました。家畜の集団化を嫌った農民が屠殺や隠匿に走り、家畜頭数が大きく減少したことは、農業生産の低下を招きました。
1932〜33年には、穀物調達の強圧と不作、輸出優先の政策、農村の混乱などが重なり、ウクライナやヴォルガ中流域、北カフカス、カザフ草原などで大規模な飢饉が発生しました。職権乱用や移動の制限、私的備蓄の没収などが被害を拡大させ、多数の死者が出ました。飢饉の具体的規模や責任の所在は地域・時期によって差があり、歴史学では議論が続きますが、集団化が構造的な脆弱性と暴力を伴ったことは確かです。
この時期、国家は機械化を支えるためにMTS(機械・トラクター駅)を設置し、トラクターやコンバインを保有してコルホーズに貸し出しました。MTSは技術・管理の拠点であると同時に、党と国家が現場を統制する手段でもあり、作付け・収穫・供出の節目でコルホーズの裁量を狭めました。
組織運営と労働・配分—トゥルードデニと私有区画
コルホーズの基本構成は、全体会議(総会)と選挙で選ばれる執行委員会(理事会)、そして現場の旅団(作業班)です。総会は名目上、作付け計画・労働規律・配分の原則を決めますが、実際には地区党委員会や郡の農業部門の指示が優先しました。理事長(コルホーズ長)は政治的忠誠と成果で評価され、上からの圧力と下からの不満の板挟みになりやすい立場でした。
労働は「トゥルードデニ(労働日)」という記録単位で管理され、作業の種類・熟練度に応じて係数が付けられます。収穫後、国家への供出(規定量の現物納付)と税・種用・飼料用を差し引いた残りがコルホーズの可処分分となり、これをトゥルードデニに応じて分配し、さらに一部を現金化して賃金として支払いました。したがって、個々の農民の所得は、天候・作柄・供出ノルマ・価格政策によって大きく左右されました。現金不足の時期には、配給の中心が穀物やじゃがいもなどの現物になり、生活は不安定でした。
制度上の重要な緩衝材が「私有区画(自留地)」です。各世帯は自宅周辺の小区画と若干の家畜(牛・羊・豚・鶏など)を私人として保有でき、余剰物は市場で販売できました。自留地は野菜・乳製品・肉の供給源となり、都市の食卓も支えました。公的には集団主義に反する妥協策のように見えますが、実際には農村経済の持続に不可欠な補完機能を果たしました。
MTSへの支払いはしばしば現物で行われ、機械使用料や修理費が可処分分を圧迫しました。1958年にMTSが解体され、機械がコルホーズ・ソフホーズに売却されると、形式的には現場の自立性が増しましたが、燃料・部品・投資の配分は依然として計画と枠配分に左右されました。
生活世界と社会機能—学校・クラブ・医療、そしてパスポート
コルホーズは生産単位であると同時に、生活の基盤でした。学校、保育所、医療所(フェルドシェル拠点)、クラブ(文化館)、図書室、店舗などの社会的施設が併設され、季節の祝祭やコンクール、政治教育が行われました。青年団(コムソモール)や婦人会が学習・衛生・文化活動を担い、識字率向上や基本的な公衆衛生の改善に寄与しました。
他方で、農民の移動の自由は長く制限されました。1932年に導入された国内旅券(パスポート)制度では、都市住民が主対象とされ、農村の住民は原則としてパスポートを持たず、都市への自由な移動・転居が困難でした。労働力の固定化は供出達成を狙った措置でもあり、農村と都市の権利の差を生みました。1960年代以降、労働力の産業移動や教育進学に伴い徐々に緩みますが、構造的な格差は残りました。
女性の役割は大きく、畑作・家畜管理・加工・販売・家事・育児に至るまで多重に担いました。機械化・電化の遅れは家事労働の軽減を妨げ、季節労働のピークには長時間労働が常態化しました。戦時中は男性の動員により女性・老人・少年が主力となり、戦後も長く労働不足を補いました。
戦後の再編と停滞—フルシチョフ改革からブレジネフ期へ
第二次世界大戦は農村に深刻な打撃を与えました。占領と戦闘で多くのコルホーズが破壊され、労働力・家畜・機械が失われました。戦後復興期には、供出の重圧に加え、復興投資の偏りや価格政策の歪みで、農村の生活は厳しい状態が続きました。1953年以降、フルシチョフは農業重視を掲げ、集団農場の合併・規模拡大、バージンランド開拓、トウモロコシ栽培の推進、買い入れ価格の引き上げ、現金報酬の拡大、MTS解体などの改革を断行しました。これにより一時的に生産は伸び、設備も更新されましたが、気象リスクへの対応不足や単調な作付け、土壌管理の不備が露呈し、地域ごとの差が拡大しました。
ブレジネフ期には、価格・ボーナス・計画指標の調整を通じて現場のインセンティブを改善しようとしましたが、硬直した供給網、肥料・飼料の不足、機械の故障率の高さ、保全・部品の遅配、管理の多層化がボトルネックとなり、「量の達成」が「効率の改善」を上回る計画文化が固定化しました。統計上の収量が伸びても、収穫後の損失や品質低下が利益を食い、輸入穀物への依存が強まりました。1965年のコシギン改革は企業的自立性を志向しましたが、農業への波及は限定的でした。
この時期、コルホーズ・ソフホーズは社会住宅や生活インフラの整備を進め、農村の教育水準や文化施設は向上しました。しかし、若年層の都市流出は止まらず、高齢化と労働力不足が慢性化しました。自留地と市場はなお重要な補完的役割を果たし、都市の食肉・野菜供給のかなりの部分を担い続けました。
ペレストロイカと解体—協同組合法と転換、ソ連崩壊後へ
1985年以降のペレストロイカで、農業改革は再び動き出します。協同組合法の整備や「家族請負(ブリーガ)」の導入により、コルホーズ内部での小単位経営や長期契約が広がり、価格・販売の裁量も拡大しました。農産物流通では国家買い入れの独占が緩み、コルホーズが市場販売や加工に乗り出す余地ができました。とはいえ、燃料・肥料・機械部品・輸送の枠配分は依然として行政に握られ、過渡期のインフレと支払い遅延、契約の不履行が現場の混乱を招きました。
1991年のソ連解体後、多くのコルホーズは株式会社や生産協同組合、農業企業へと改組され、一部は家族農業・個人経営へと分解しました。土地所有の規定は地域ごとに差異が大きく、地券・リース・共同所有などの形で変容しました。旧コルホーズの資産・負債・機械の処理は複雑で、経営者・従業員・地域社会の利害が交錯し、成功と失敗が分かれました。市場化は投資や技術導入、流通の競争を促した一方、社会サービスの切り捨てや失業、人口流出、インフラの老朽化という痛みももたらしました。
まとめ—国家・集団・個人が交差する農業のかたち
コルホーズは、協同組合の形式と国家計画の統制が重なった独特の農業組織でした。短期には機械化・識字・保健衛生・教育などの社会的改善を促し、広大な領域での食糧供給を制度的に支えました。他方で、強制的集団化の暴力、計画優先による非効率、価格・供給の歪み、移動の制限といった構造的問題を抱え、長期の持続性に課題を残しました。戦後の再編と停滞、ペレストロイカと解体を通じて見えてくるのは、国家、集団、個人の利害をどう調整するかという普遍的な問いです。コルホーズの経験は、農業の組織化、食糧安全保障、地方社会の福祉と自立、土地制度の設計を考える際に、多くの示唆を与えてくれます。

