「準州(じゅんしゅう)」とは、主にアメリカ合衆国・カナダ・オーストラリアなどの連邦国家で用いられる用語で、「完全な州(ステート/プロヴィンス)としてはまだ認められていないが、一定の自治と行政組織を持つ地域」を指す言葉です。日本語の世界史では、特にアメリカ合衆国の西部開拓や領土拡大の過程で登場し、「連邦政府の直轄のもとに置かれ、一定の人口・整備が進むと州へ昇格する地域」といった意味合いで使われます。州と比べると、議会への代表権や自治権が制限されていることが多く、「半分だけ一人前の州」「見習い期間中の領域」といったイメージの段階だと言えます。
アメリカ合衆国では、独立当初の13州以外の地域は、まず連邦の領土(territory)として編入され、そのうち一定条件を満たしたものが「準州」として組織化され、さらに人口や制度が整うと「新州」として連邦に加わる、というステップを踏みました。こうした仕組みは、急速に広がる領土を一挙に「州」にしてしまうのではなく、段階的に統治しながら、将来的な平等な成員として組み込んでいくための仕掛けでした。他方で、準州に住む人びとは長らく、州に比べて政治的発言力が弱く、差別的な扱いを受けることも少なくありませんでした。
この解説では、まず「準州」という概念の基本的な意味と、州との違いを整理します。つぎに、アメリカ合衆国の領土拡大と準州制度の具体的な運用をたどり、さらにカナダやオーストラリアなど他の連邦国家における準州の位置づけも簡単に紹介します。最後に、準州の存在が「連邦国家の成り立ち」や「中心と周辺の格差」「植民地支配の継続」といった問題とどのように結びついているのかを考えていきます。概要だけでも「準州=州になる前段階の地域で、自治や代表権が限定されている」というイメージを持てるようにしつつ、詳しく知りたい人は各セクションで歴史的な具体像をつかめる構成にします。
準州という概念――州との違いと基本的な性格
まず、「準州」という言葉が何を指すのかを整理しておきます。日本語の「準」は「準備」「準会員」「準優勝」などに見られるように、「本来のものに近いが、まだ完全には同じ扱いを受けない」というニュアンスを持ちます。したがって、「準州」とは「州に準じるが、州ほどの地位や権限は持たない地域」という意味になります。英語では、アメリカの場合は単に「territory(テリトリー/準州・領土)」と表現されることが多いです。
州との最大の違いは、「連邦における地位」と「政治的代表権」にあります。アメリカ合衆国を例にとると、州は合衆国憲法のもとで平等な構成メンバーとされ、上院では各州が必ず2名の議員を持ち、下院でも人口比例で議席を持ちます。州政府には独自の憲法・議会・知事がおり、教育や警察、地方税など多くの分野で自治権が認められています。
これに対して準州は、形式上は連邦政府の管理下に置かれ、その自治権は法律によって限定されています。準州にも行政長官や議会が置かれることがありますが、その権限は連邦議会の制定する特別法(オーガニック・アクトなど)によって定められ、連邦議会が望めば変更・撤回することも可能です。連邦議会への代表も、下院に投票権のない代議員を1名送る程度にとどまる場合が多く、上院には議席を持ちません。
もう一つの違いは、「その地位が一時的なものかどうか」です。アメリカでは、19世紀の西部開拓期に存在した多くの準州は、人口の増加や自治体制の整備に応じて、最終的には「州」として昇格することを前提にしていました。この意味で準州は、「いずれ州になることが期待される見習い段階」として位置づけられていました。一方、アメリカの一部の海外領土や、カナダ・オーストラリアの準州の中には、地理的・歴史的事情から、長期にわたって「準州」のまま置かれている地域もあります。
準州という概念は、連邦国家にとって、二つの相反する要請を調整する道具でもありました。一つは、新しい領土を統合して国力を高めたいという拡張の必要性、もう一つは、新参の地域にすぐに既存の州と同じ権利を与えることへの慎重さです。準州は、その中間にある「半分だけメンバー」のような存在として、拡大する領域を管理する役割を担ったのです。
アメリカ合衆国の準州制度と西部開拓
世界史の教科書で「準州」という用語が最もよく登場するのは、アメリカ合衆国の歴史の中です。独立直後のアメリカは、東部の13州が連邦を構成し、その西側にはまだ州として組織されていない広大な領土が広がっていました。1787年の北西条例(ノースウェスト条例)は、この新領土をどのように統治し、将来どのように州として受け入れるかを定めた基本法です。
北西条例によれば、まず新しく獲得した地域は、連邦直轄の「準州」として組織され、連邦政府が任命した知事や判事によって統治されます。人口が一定数に達すると、住民は代表を選出して準州議会をつくることが認められ、さらに人口が増えれば、州憲法を制定して連邦に新州として加盟申請を行うことができます。こうして、オハイオ・インディアナ・イリノイなど、現在の「オハイオ川以北・ミシシッピ川以東」の州は、かつて北西準州(Northwest Territory)という一つの準州から分割・昇格していきました。
その後、ルイジアナ買収(1803年)やメキシコからの割譲(1848年)などによって、西部に広大な領土が加わると、そこにも同様の枠組みで準州が次々と設けられました。ミズーリ準州、カンザス準州、ネブラスカ準州、ニューメキシコ準州、ユタ準州、アリゾナ準州などの名称は、世界史の用語集にも登場します。これらの準州は、開拓民の流入とインフラ整備が進むにつれ、段階的に州へと昇格していきました。
ただし、この過程は常に平穏だったわけではありません。とりわけ、奴隷制をめぐる対立の中で、準州の扱いは激しい政治闘争の場となりました。新しく編入される準州を「奴隷州」として認めるか、「自由州」とするかは、連邦議会の勢力バランスに直結する問題でした。ミズーリ協定(1820年)やカンザス=ネブラスカ法(1854年)などでは、「準州の住民投票で奴隷制の可否を決める」といった折衷案が取られ、その結果、カンザス準州では「流血のカンザス」と呼ばれる暴力的衝突が起こりました。
このように、準州制度は一方で領土秩序を整える枠組みであると同時に、国内の政治的・社会的対立が集中する舞台でもありました。準州の将来の州としての性格(奴隷制の有無、宗教や移民構成など)をめぐって、利害の異なる勢力が衝突し、その結果が南北戦争へとつながっていきます。世界史の学習では、「準州=単なる地理単位」ではなく、「政治的に中間的な、争いの的となる空間」として理解すると、アメリカ史の流れが見えやすくなります。
20世紀に入ってからも、アラスカ準州やハワイ準州は長く「準州」の地位にとどまっていました。第二次世界大戦後、これらの地域の戦略的重要性や人口増加を背景に、1959年、アラスカとハワイは相次いで49番目・50番目の州として昇格します。これによって、アメリカ本土外にあった準州の一部が正式な州となり、準州制度の役割は縮小しましたが、現在もプエルトリコやグアムなどの「合衆国領」に準州的な性格が残っています。
他の連邦国家における準州――カナダとオーストラリアの例
準州という概念は、アメリカだけのものではありません。カナダやオーストラリアにも、州と区別される「準州」に相当する地域があります。ただし、それぞれの歴史と制度に固有の特徴があるため、「アメリカ型」とそのまま同一視することはできません。
カナダでは、オンタリオ州やケベック州のような「州(province)」と区別して、「準州(territory)」と呼ばれる地域が存在します。代表的なのは、ユーコン準州、ノースウエスト準州、ヌナブト準州など、人口が少なく広大な北部の地域です。これらの準州にも首都や政府、議会がありますが、憲法上の地位や自治権の範囲は州とは異なり、連邦政府の権限が比較的強く残されています。資源開発や先住民の権利をめぐり、連邦と準州・先住民組織の間で交渉が続いている点も特徴的です。
オーストラリアでも、ニューサウスウェールズ州、ビクトリア州などの「州(state)」に対して、ノーザンテリトリー(北部準州)やかつてのオーストラリア首都特別地域(ACT)など、「テリトリー」と呼ばれる準州的な地域が存在します。ノーザンテリトリーは地理的に広大ですが人口が少なく、歴史的には連邦政府の直轄地として扱われてきました。現在は一定の自治権を持つものの、州とは違い、連邦議会への代表権や憲法上の地位が制限されています。
これらの例からわかるように、「準州」はしばしば、人口が少なく、経済基盤が弱い、あるいは先住民が多く住む周辺地域に設定されがちです。中央政府にとっては、これらの地域を直接管理することで、安全保障や資源管理の上で柔軟に動きたいという思惑がありますが、その一方で、そこに暮らす人びとにとっては、州に比べて政治的な発言力が弱く、自己決定権が制限される状態が長期化しやすいという問題があります。
したがって、カナダやオーストラリアにおける準州は、単に行政の便宜上の区分というだけでなく、「中心と周辺」「植民地支配の継続」といったテーマとも関わっています。とくに北部や内陸の準州では、先住民コミュニティの自治と権利をどのように認めるかが、21世紀の現在も大きな政治課題となっています。
準州という枠組みがもつ歴史的意味
最後に、「準州」という枠組みが世界史の中でどのような意味を持ってきたのかを、少し広い視点から見てみます。第一に、準州は、領土拡大を進める連邦国家が、「新しく獲得した土地」と「すでに構成員である州」のあいだに設けた緩衝地帯のような役割を果たしてきました。新領土をすぐに州として認めると、既存の政治バランスが崩れたり、行政・司法制度が追いつかなかったりするおそれがあります。そこで、一時的に「準州」として管理し、開拓や行政整備が進むのを待つ、というやり方が選ばれたのです。
第二に、準州は「平等な連邦」という建前と、「実際には格差のある中心と周辺」という現実のあいだに横たわる矛盾を、見えにくくする装置でもありました。たとえばアメリカでは、「合衆国は州の平等な連合である」とされながら、長い間、準州や植民地(フィリピン・グアム・プエルトリコなど)の住民は、完全な市民権や議会への代表権を持ちませんでした。準州に住む人びとは、合衆国の法律に従いながらも、政策決定への参加が制限されていたのです。
第三に、準州は、先住民との関係や植民地支配の継続と深く関わっています。北アメリカやオーストラリアでは、もともとそこに暮らしていた先住民の土地が、連邦政府によって「準州」として線引きされ、その中で自治権が制限される形で編入されました。先住民の土地利用や移動の自由は、準州という枠組みのもとでしばしば制限され、資源開発や軍事利用のために土地が利用されることも少なくありませんでした。この意味で、準州は単なる行政区ではなく、「誰がこの土地の主人なのか」という問題をめぐる政治的な場でもあったのです。
現代の国際政治においても、準州やそれに近い地位にある地域(海外領土・自治領・植民地残存地域など)の扱いは、人権や自己決定権の観点から議論の対象となっています。準州に暮らす人びとが、どの程度まで自らの政治的地位を選択できるのか(州への昇格・独立・現状維持など)、連邦の中心とどのように対等な関係を築けるのかは、今も解決済みとは言えない課題です。
世界史で「準州」という用語に出会ったときには、単に「州の一歩手前の行政区分」というだけでなく、「連邦国家が拡大する際のステップ」「中心と周辺の力関係が現れる場」として意識しておくと、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどの歴史をより深く理解しやすくなります。そのうえで、具体的な事例(北西条例、カンザス準州、アラスカ準州、ユーコン準州、北部準州など)を重ねていくと、「準州」という言葉の背景にある政治的・社会的な重みが見えてくるはずです。

