「上品に寒門なく、下品に勢族なし」 – 世界史用語集

「上品に寒門なく、下品に勢族なし」とは、中国の魏晋(ぎしん)南北朝時代の社会を表した有名な言葉で、「官吏評価の上位ランクには貧しい家柄の人はおらず、下位ランクには有力な名門一族の人は一人もいない」という意味です。いくら個人に才能や人格があっても、出身の身分・家柄によって出世の可能性が大きく左右されてしまう、当時の現実を皮肉と嘆きをこめて言い表したものです。

この言葉が背景にしているのは、「九品中正制(きゅうひんちゅうせい)」と呼ばれる官吏登用制度と、それを通じて力を強めた「門閥貴族(もんばつきぞく)」の存在です。本来、人材を公平に評価するはずの制度が、実際には名門一族にとって有利に働き、貧しい家柄(寒門)の人びとが上層に進む道を閉ざしてしまった。その結果、社会の上層は「士族(しぞく)」と呼ばれる有力一族に固定され、下層にはいくら優れた人物がいても上に上がれない、という身分の固定化が生まれました。

この成句は、単なる歴史上の一場面を示す言葉というだけでなく、「実力主義の看板を掲げながら、実際には出自やコネがものを言う社会」の矛盾を鋭く突いたフレーズとして、後世にもたびたび引用されてきました。以下では、この言葉の具体的な意味とニュアンス、その背景にある九品中正制と門閥貴族の仕組み、そしてそれが中国社会にどのような影響を与えたのかを、順を追って見ていきます。

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成句の意味と用いられた場面

「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉は、魏晋南北朝時代の社会批判としてよく知られています。ここでいう「上品」「下品」は、日常語の「上品な人」「下品な人」という意味ではなく、九品中正制における官吏評価のランクを指します。「上品」は高いランク、「下品」は低いランクという意味です。

「寒門」は、特別な政治的コネや財力を持たない、比較的貧しい家柄のことです。必ずしも極端な貧困層だけを指すわけではありませんが、少なくとも中央政界や地方有力者のネットワークから外れた「普通の家」「無名の家」をイメージすると理解しやすいです。これに対して「勢族」は、「勢いのある一族」という字の通り、政治的・社会的影響力を握った名門一族のことを指します。これらの勢族は、広大な土地を所有し、多くの門生や食客を抱え、朝廷の高官を多数輩出していました。

つまり、この成句を直訳すると、「官僚ランクの上位には、無名の貧しい家の出の人は一人もおらず、官僚ランクの下位には、有力名門の人間は一人もいない」ということになります。建前上は、個人の才能や徳を九段階で評価し、公正な官吏登用につなげるはずだった制度が、実際には「上のランクは名門一族が独占し、無名の家の出身者はどんなに優秀でも下のランクに押し込められる」という不公平な仕組みになっていた、という批判です。

この言葉は、魏晋期の人物である刘邵(りゅうしょう)などの著作に関連して語られることが多く、九品中正制への不満や社会の身分固定化を嘆く文脈で登場します。どの文献にどのように記されているかについては学術的に細かな議論もありますが、少なくとも「評価といっても中正官(=評価する側)が名門一族とつながっており、そのネットワークの中で評価がねじ曲げられている」という実情を表すフレーズとして広く知られています。

この成句を通して浮かび上がるのは、「制度としての評価」と「現実としての人脈・家柄」のギャップです。言葉だけ見れば九品中正制は公平な評価制度に思えますが、実際には人が人を評価する以上、その人間関係や家柄へのバイアスが強く働いた結果、「上層は門閥貴族の独占、下層は寒門のたまり場」という構図が出来上がってしまったのです。

九品中正制と門閥貴族の仕組み

この成句の背景には、「九品中正制」という官吏登用制度があります。九品中正制は、魏の曹丕(そうひ)・曹叡(そうえい)期に整備され、その後、西晋から南北朝時代にかけて広く用いられました。この制度では、地方ごとに「中正官(ちゅうせいかん)」と呼ばれる評価担当者が任命され、その地域の有力豪族や知識人を九段階(上上・上中・上下・中上……下下)にランク付けします。その評価が、中央政府での官吏任用や昇進の重要な目安とされました。

制度の発想自体は、地方事情に詳しい人物が郷里の人材をよく知っているだろう、という合理的なものです。しかし、実際には中正官自身がその地域の名門一族と深い関係を持っていることが多く、評価が「名門かどうか」に強く左右されてしまいました。中正官はしばしば名門出身者が務め、彼らは自分と同じ士族層に高い評価を与え、そうでない寒門出身者には低いランクをつける傾向がありました。

こうして、九品中正制は次第に、「士族=門閥貴族の地位を公式に確認し、子孫代々その地位を保証する制度」へと性格を変えていきます。士族に生まれれば、特別に優秀でなくても自然と高いランクに位置づけられ、中央の高官への道が開かれる。一方で、寒門に生まれれば、いくら才能と徳があっても、評価の入口で低いランクに押さえつけられ、上への道が閉ざされてしまう――このアンバランスを象徴するのが、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉なのです。

門閥貴族(士族)は、政治だけでなく経済・文化の面でも大きな力を持ちました。広大な荘園を支配し、多数の農民・使用人を抱え、自分たちの一族から文人・学者・高級官僚・名士を多数輩出します。彼らの家には豊富な蔵書や学問の伝統があり、子弟は幼少期から教養と人脈を身につけることができます。こうした「家柄の蓄積」が、さらに九品中正制での高評価につながるため、名門と寒門の格差はますます広がっていきました。

一方、寒門出身者は、地方の小豪族や農民・下級役人などを含む広い層を指します。中には卓越した才能を持ち、努力によって士族層に食い込む人もいましたが、それはかなりの少数派でした。多くの場合、寒門出身者は地方の下級官僚や軍人などとして働き続け、中央の高官にまで昇ることは難しかったと考えられます。

士族と寒門:身分固定化する社会構造

「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という状況が示しているのは、単なる人材評価の偏りではなく、社会構造そのものの固定化です。ここでは、「士族」と「寒門」という二つのキーワードをとおして、その構造を見てみます。

士族とは、本来「士(教養ある支配階層)」に属する一族を意味しますが、魏晋南北朝時代にはとくに門閥貴族化した一部の大豪族を指す言葉として用いられました。彼らは、政治的にも文化的にも「エリート」として自他ともに認められ、その家名だけで尊敬や信頼を得ることができました。「どこの誰か」という出自が、その人の社会的価値と直結していたのです。

士族の中には、「四姓七望(しせいしちぼう)」などと呼ばれる特に有力な一族もいました。これらの名門は、中国各地の高級官職に一族を送り込み、政権交代があっても新しい王朝のもとで重用されることが多かったため、長期的に特権的地位を維持することができました。ある意味で、王朝を超えた「超長期政権」のような存在だったと言えます。

これに対して寒門は、「門(家)」が寒い、つまり豪勢さや人の出入りが少ない家、というイメージから、「政治的・社会的なネットワークに乏しい家柄」を意味します。寒門の中にも、小規模ながら地元で一定の影響力を持つ家もありましたが、士族と比べると、中央政界へのパイプや大土地所有、学問の蓄積などで大きな差がありました。

九品中正制のもとで、「士族=上品」「寒門=下品」という評価が繰り返されると、その評価自体が「その人の家柄の証明」として社会に定着していきます。ある家が何代にもわたって上品に分類されれば、その家名はますます権威を増し、婚姻関係もまた名門どうしで結ばれるため、閉じたエリート層が形成されます。一方、寒門の多くは互いに結婚し合い、上層との結びつきが乏しいまま、同じ階層を再生産し続けることになりました。

このような身分固定化は、社会の安定という面も持ちますが、同時に柔軟性を失わせる結果にもなりました。才能ある寒門出身者が上層へ上がる道が狭められれば、社会全体の人材活用は非効率になります。また、士族側も家名と家柄を守ることに意識が向きすぎると、政治的・軍事的責任を十分に果たさなくなる危険があります。実際、東晋や南朝の時代には、名門貴族が儀礼や教養を重んじる一方で、実務や軍事は寒門出身の将軍に任せるという傾向が強まり、政権の弱体化につながったとも指摘されます。

このような背景を踏まえると、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉は、単に「不公平だ」という感情的な嘆きにとどまらず、「このままでは社会全体がゆがんだまま固定されてしまう」という危機感を含んでいると理解できます。実際、中国史の中では、隋・唐代に入ると科挙制度が整えられ、九品中正制に代わって新たな官吏登用制度が導入されますが、その背後には魏晋南北朝期の門閥貴族支配への反省もあったと考えられています。

後世から見た意味と用例

「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という成句は、魏晋南北朝という特定の歴史状況を指し示す言葉でありながら、後世にはより一般的な意味合いをこめて引用されるようになりました。それは、「形式上の評価制度や試験制度があっても、実際には家柄やコネがものを言い、公平なチャンスが与えられていない社会」全般に対する批判として機能するからです。

たとえば、ある時代の官僚制や学歴社会が、「実力主義」を掲げながら、実際には名門校出身者や特定の一族・地縁集団に有利に働いていると感じられるとき、人びとはこの成句を引いて「上のランクに無名の家はおらず、下のランクに名門の子弟はいない」と皮肉を込めて語ることがあります。そこには、魏晋南北朝の話をそのまま現在に当てはめるのではなく、「歴史は形を変えて似たような不公平をくり返す」という感覚も含まれています。

また、この言葉は、中国社会における「家柄」と「個人」の関係を考える際の象徴的なキーワードにもなっています。中国史は、科挙による実力主義と、血縁・地縁・門閥によるエリート支配という二つの要素が、時期によって比率を変えながら共存してきた歴史とも言えます。その中で、魏晋南北朝期の門閥貴族支配は、「家柄」に偏り過ぎた例として位置づけられ、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉は、その極端さを象徴するフレーズとして語り継がれてきました。

一方で、魏晋南北朝の士族社会は、文芸・哲学・清談文化などの面では非常に豊かな成果を生み出した時代でもあります。名門貴族たちは豊かな教養と余裕ある生活の中で、老荘思想や玄学的議論を展開し、独特の美意識やライフスタイルを追求しました。その意味では、「門閥貴族が文化の担い手となった時代」として肯定的に評価される側面もあります。

このように、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉には、一面的な善悪の評価だけでは捉えきれない複雑さが含まれています。ただ、それでもなお、この成句が長く記憶されているのは、「人を評価するとき、私たちは本当にその人自身を見ているのか、それとも背後の家柄や肩書きに左右されていないか」という問いを、時代を超えて投げかけてくるからだと言えます。