人種(じんしゅ)という言葉は、一般には「人間を肌の色や体つき、出身地域などにもとづいて分類した集団」を指すものとして使われてきました。たとえば「白人」「黒人」「黄色人種」といった区分は、長く当たり前のように語られてきた人種分類の一例です。しかし、現代の科学や歴史学の観点から見ると、人種という概念は、生物学的な「自然の区分」というより、近代以降の社会や政治のなかで作り出され、利用されてきた「社会的な枠組み」として理解されるようになっています。
世界史をふり返ると、「人種」という考え方は、単なる人間の違いを説明する言葉にとどまらず、奴隷制や植民地支配、差別や暴力を正当化するための論理として大きな役割を果たしてきました。ヨーロッパの人びとがアフリカやアジア、アメリカ大陸に進出し、先住民やアフリカ人奴隷を支配した時代には、「白人は優れており、他の人種は劣っている」といった人種主義(レイシズム)が、支配の言い訳として繰り返し用いられました。20世紀のナチス=ドイツによるユダヤ人迫害やホロコーストも、極端な人種主義の一例です。
一方で、遺伝学や人類学の発展とともに、「人間をいくつかの明確な『人種』に分けることに科学的な根拠はない」という理解も広まりました。人類の遺伝的な違いは連続的であり、はっきりと境界線を引けるような「種族の区切り」は存在しません。現代では、多くの研究者が「人種は生物学的な実体というより、歴史の中で作られた社会的・政治的な概念だ」と考えています。それでも、法律や慣習、日常的な偏見のなかで人種が現実の力を持ってしまうことがあるため、「実体は薄いが影響力は大きい概念」として扱われます。
世界史用語として「人種」を学ぶとき大切なのは、「人種差別や人種主義がどのように生まれ、どのように社会や国際関係に影響してきたのか」を理解することです。人種という言葉の裏には、科学、宗教、経済、政治が複雑に絡み合った歴史が隠れています。そうした背景をふまえて、近代世界の成り立ちと、今も続く差別や不平等の問題を考える手がかりとして、「人種」という概念をとらえ直すことが求められます。
「人種」という概念の成立
「人種」という考え方は、人類が昔から自然に持っていたわけではありません。古代や中世の社会でも、肌の色や文化の違いに気づき、外の人びとを「野蛮人」「異教徒」と呼んで差別することはありましたが、それは主として宗教や文化、生活習慣の違いにもとづく区別でした。近代的な意味での「人種」概念がはっきりと形をとるのは、ヨーロッパの海外進出と近代科学の発展が進んだ17〜18世紀以降のことです。
大航海時代以降、ヨーロッパ人はアフリカやアメリカ大陸、アジアに広く進出し、多様な人びとと出会いました。そのなかで、「自分たちと違う肌の色や体つき」を持つ人びとをどう理解し、どう位置づけるかが問題になりました。当初は宗教的な枠組み――キリスト教徒か否か――で区別することも多かったのですが、18世紀ころからは自然科学の一部として「人類の分類」が試みられるようになります。
啓蒙の時代の博物学者たちは、動植物を分類するのと同じ手法で、人類もいくつかの「型」に分けようとしました。スウェーデンのリンネは『自然の体系』の中で、人類を肌の色や気質にもとづいて分類し、のちに「白色人種」「黒色人種」「黄色人種」などと呼ばれる区分の原型を示します。ドイツのカントやフランスのブフォンなども、人類の「種族(race)」について論じ、気候や環境が身体的特徴を形づくると説明しました。
当初のこうした分類は、必ずしも「優劣」を前提としていたわけではありませんでしたが、やがて19世紀になると、人種間の優劣や階層を強調する議論が台頭します。とくに産業革命と帝国主義の時代、ヨーロッパ諸国が世界の広い地域を支配するようになると、「白人は文明的で優れており、他の人種は未開で劣っている」といった考えが広く唱えられるようになりました。ここで、「人種」という概念は、単なる分類を超えて、「支配と従属を正当化する言葉」としての性格を強めていきます。
また、19世紀にはダーウィンの進化論が登場し、「自然淘汰」「適者生存」といった考え方が広まりました。本来、進化論は種全体の長い時間にわたる変化を説明する理論でしたが、一部の思想家や政治家はこれを人間社会に当てはめ、「強い人種・民族が弱い人種・民族を支配するのは自然の法則だ」と主張しました。こうした考え方は「社会ダーウィニズム」と呼ばれ、人種主義と結びつきながら帝国主義や植民地支配を正当化するイデオロギーとして働きました。
人種と帝国主義・植民地支配
19世紀の帝国主義期、ヨーロッパ列強はアフリカやアジアを次々と植民地化し、世界地図の大部分を支配下に置きました。その際、「文明の伝道」「未開人の教化」といった名目がよく用いられましたが、その裏には「白人は優れた人種であり、他の人種を導く義務がある」という人種主義的な発想がありました。人種という概念は、植民地支配にとって都合のよい「論理」を提供していたのです。
とくに大西洋をまたいだ黒人奴隷貿易とアメリカ大陸での奴隷制は、人種概念の形成と密接に結びついていました。ヨーロッパ人はアフリカから多数の人びとを連行し、アメリカのプランテーションで強制労働させました。その正当化のために、「黒人は生まれつき劣っており、奴隷として扱われるのが自然だ」といった主張が繰り返されました。こうした人種主義的な言説は、奴隷制廃止後も、アメリカ合衆国の黒人差別や南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)などに引き継がれていきます。
アジアや太平洋地域でも、「有色人種」の劣等性を前提にした語りが目立ちます。イギリスやフランス、日本などの帝国は、植民地統治において、支配者である「白人(あるいは本国の民族)」と、支配される人びとを人種的に区別し、法律や教育、居住地などの面で差別的な扱いを行いました。植民地の人びとが独立運動に立ち上がるとき、しばしば「人種的差別からの解放」が重要なスローガンとなったのは、このためです。
こうした帝国主義と人種主義の結びつきは、ときに極端な形をとりました。19世紀末には、優生学と呼ばれる思想が登場し、「劣った人種や劣った個人を増やさないことが社会のためになる」といった議論が現れます。これは人種だけでなく、障がい者や貧困層をも対象とした危険な発想で、多くの国で強制不妊手術などの政策に結びつきました。人種という概念は、このように帝国主義や支配の構造を支える強力な道具となっていったのです。
一方、植民地支配を受ける側でも、人種という概念は複雑な影響を及ぼしました。たとえば、日本は近代以降、「有色人種でありながら白人列強と肩を並べる列強国」を目指し、「大東亜共栄圏」のイデオロギーの中で「白人支配からアジアを解放する」と主張しました。しかし現実には、日本自身が朝鮮や台湾、中国東北部などで植民地支配を行い、現地の人びとを差別的に扱いました。ここでも、「文明の差」や「民族の優劣」といった人種的な発想が支配の言い訳として動員されています。
近代以降の人種主義と20世紀の経験
20世紀に入っても、人種をめぐる差別と暴力は続きました。その最も極端な例が、ナチス=ドイツの人種主義政策です。ナチ党は、ドイツ人(アーリア人)を「優秀な人種」と位置づけ、それ以外のユダヤ人やロマ、障がい者などを「劣った存在」とみなし、迫害しました。とくにユダヤ人に対しては、ニュルンベルク法による市民権剥奪や職業・結婚の制限、強制収容所への収容など、段階的な差別が進められ、最終的にはホロコースト(大量虐殺)に至りました。
ナチスの人種主義は、当時の偽科学的な優生学や人種論を利用して正当化されました。頭蓋骨の形や血液型、家系調査などに基づいて「人種の純粋性」や「劣等性」を論じる試みが行われましたが、今日から見れば、その多くは偏見と政治的意図にもとづいたものであり、科学的な根拠を欠いていました。第二次世界大戦後、ホロコーストの惨状が明らかになると、このような人種主義・優生学は国際的に強く批判されるようになります。
戦後の世界では、国連憲章や世界人権宣言を通じて、「すべての人間は生まれながらに自由であり、尊厳と権利について平等である」という理念が掲げられました。国連は人種差別の撤廃を重要な課題と位置づけ、1965年には「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」が採択されます。また、アメリカ合衆国では、公民権運動を通じて、黒人に対する法的な人種差別(ジム・クロウ法)が撤廃され、南アフリカでは長く続いたアパルトヘイト体制が1990年代に終焉を迎えました。
とはいえ、法律上の差別がなくなっても、日常生活の中での偏見や差別、人種をめぐる緊張が完全に消えたわけではありません。警察による暴力や就職・住宅などでの不平等、移民や難民に対する差別など、人種をめぐる問題は21世紀になっても世界各地で続いています。世界史では、人種主義とその克服の努力を、法制度・社会運動・国際政治などさまざまな側面から学ぶことが求められます。
現代科学と「人種」概念の見直し
現代の遺伝学や人類学は、「人種」という概念に対して批判的な立場をとることが多くなっています。DNA解析の発展により、人類集団の遺伝的多様性が詳しく調べられるようになると、いくつかの重要な事実が明らかになりました。第一に、人類はすべてアフリカに起源を持ち、比較的最近(数十万年スケール)に共通の祖先から分かれて世界各地に拡散したということです。第二に、現代人どうしの遺伝的差異は、外見の印象ほど大きくなく、むしろ同じ「人種」内部の違いが非常に大きいということです。
たとえば、「黒人」とひとまとめにされる人びとの間でも、出身地域によって遺伝的なバリエーションは多様であり、「黒人」と「白人」の違いよりも、「黒人どうし」「白人どうし」の違いのほうが大きい場合も多くあります。このような事実から、「白・黒・黄」といった単純な人種区分は、遺伝学的には意味の薄い分類であると考えられています。もちろん、ある地域に長く住む集団どうしには、病気へのかかりやすさなどに関連する遺伝的な特徴の差が見られることもありますが、それをもって「人種」を明確に線引きすることはできません。
こうした科学的知見をふまえ、ユネスコなどの国際機関は、「人種という概念は生物学的な実体としては不適切であり、科学的差別の正当化に使うべきではない」とする声明を出してきました。代わりに、文化や言語、歴史的経験にもとづく「民族(エスニシティ)」や、「人種」というレッテルが社会の中でどのように作用しているかを指す「人種化」といった概念が用いられることが増えています。
しかし現実には、「人種」という言葉は依然として多くの場面で使われています。統計や政策の文脈では、人種・民族別データを用いることで、差別や不平等の実態を可視化しようとする試みもあります。一方で、「人種」という枠組みを使うこと自体が差別の再生産につながるおそれも指摘されます。このジレンマのなかで、現代社会は「人種」という言葉とどう付き合うかを模索し続けています。
世界史学習の場では、「人種」を固定的で本質的な区分としてではなく、「歴史のなかで作られ、利用されてきた概念」として扱うことが重要です。その成立と変化、科学との関わり、帝国主義や差別との結びつき、そしてそれを乗り越えようとする動きまでを含めて考えることで、「人種」という言葉の重さと危うさを理解することができます。

