ズィンミー – 世界史用語集

 

ズィンミー(zimmī)は、イスラーム国家の支配下で暮らす非ムスリムのうち、一定の条件を受け入れる代わりに「保護される民」として共同体の存続を認められた人々を指す言葉です。英語などでは一般にディンミー(dhimmi)と表記される概念で、日本語では「ズィンミー」「ディンミー」など複数のカナ表記が見られます。イメージとしては、イスラーム法(シャリーア)を基盤とする国家において、ユダヤ教徒やキリスト教徒などが、完全に同じ権利を持つ“市民”ではないものの、信仰と生活の継続を公式に許され、共同体として保護の枠に入る、という位置づけです。

ズィンミーの制度が重要なのは、イスラーム世界が広大な地域に拡大したとき、そこにはすでに多様な宗教の住民が住んでいたからです。征服した側が住民を一律に改宗させるのではなく、非ムスリム共同体をある程度そのまま残し、税の仕組みを通じて統治し、社会秩序を保とうとしたところに、この制度の現実的な役割がありました。つまりズィンミーは、単なる宗教差別の言葉としてだけでなく、多宗教社会を統治するための枠組みとして理解すると輪郭が見えやすくなります。

ただし、ズィンミーは「寛容」と「不平等」が同時に存在する制度でもあります。ズィンミーは生命や財産の保護、礼拝の継続、共同体内部の規範(家族法など)の維持を一定程度認められる一方、ムスリムとは異なる義務(代表的には人頭税のジズヤ)や、社会的な制限を課されることがありました。時代や地域によって運用は大きく異なり、平穏な共存が長く続く場所もあれば、政治危機や戦争の局面で圧迫が強まることもあります。ズィンミーは一言で善悪を決められる概念ではなく、歴史の中で変化しながら用いられた「支配と共存のルール」だと捉えるのが基本です。

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語源と基本概念:誰がズィンミーとされたのか

ズィンミー(ディンミー)は、アラビア語の「保護・保証」を意味する語根に由来し、イスラーム国家が保護契約のもとに置く人々、という含意を持ちます。典型例は「啓典の民(アフル・アル=キターブ)」と呼ばれたユダヤ教徒・キリスト教徒で、さらに地域によってはゾロアスター教徒などが同様の扱いを受ける場合もありました。ここで重要なのは、ズィンミーは“どんな非ムスリムでも自動的に”当てはまるわけではなく、イスラーム側の統治の枠組みの中で、共同体として承認されることが前提だった点です。

イスラーム国家の初期拡大では、征服した側が支配地域の住民をどう扱うかが現実問題でした。住民全体を強制改宗させれば反乱や人口流出が起こりやすく、統治も不安定になります。そこで、一定の税負担と政治的服従を条件に、宗教共同体としての存続を認める仕組みが合理的でした。ズィンミーという概念は、こうした統治の現実から生まれた面が大きく、信仰の違いを“即排除”ではなく“制度の中に組み込む”ための方法でもありました。

ただし、ズィンミーはあくまでイスラーム共同体(ウンマ)を中心に据えた秩序の中での「例外としての許可」でもあります。ムスリムが国家と宗教の中心に位置づけられる社会で、非ムスリムは保護の枠に入る代わりに、政治的には従属的な立場になります。この点が、現代的な“宗教の完全な平等”の観念とは異なるところです。

権利と義務:保護の内容と制限、ジズヤの意味

ズィンミーの中心的特徴は、「保護」と「負担」がセットになっていることです。保護の側面としては、生命・財産の安全が保障され、共同体として礼拝や宗教生活を続けることが認められることが挙げられます。多くの場合、ユダヤ教会堂や教会の維持、宗教指導者の存在、食習慣や祭礼の継続が一定程度許容されました。また、家族法(婚姻、相続など)を共同体内部の規範で扱える余地が与えられることもあり、非ムスリム共同体が自分たちの内部秩序を守りやすい構造がありました。

一方で義務や制限も存在します。代表がジズヤ(人頭税)で、ズィンミーはこれを納めることで保護を受けるとされました。ジズヤは単なる税金以上の意味を持ち、イスラーム国家への服従と保護契約の成立を象徴する性格もありました。同時に、ムスリムには別の形の義務(例えば喜捨に関わる税など)が課されるため、税体系としては「役割分担」と説明されることもあります。しかし現実には、ズィンミー側から見れば“自分たちだけが負わされる負担”として感じられやすく、不平等の印象を残す要因にもなりました。

社会的制限としては、武器の携帯、特定の公職への就任、宗教的象徴の公開の仕方、礼拝施設の新設や改築の条件などが議論されることがあります。ただし、これらは常に一律に厳格に適用されたわけではなく、時代・地域・統治者の姿勢によって差が大きいです。たとえば商業都市では実利を重視して比較的緩やかに運用される一方、政治的緊張が高まると統制が強まる、といった揺れが起こり得ました。ズィンミー制度は「ルールがあるから安定する」面と、「ルールがあるから差が固定される」面を同時に持つ制度だといえます。

歴史的な展開:イスラーム帝国の拡大と多宗教社会の運営

ズィンミーの枠組みは、イスラーム帝国の拡大とともに現実の統治制度として広がりました。ウマイヤ朝やアッバース朝の時代には、広い地域に多宗教の住民が暮らし、行政・商業・学問の場でも非ムスリムが重要な役割を担うことがありました。たとえば医師や翻訳、金融などでユダヤ教徒・キリスト教徒が活躍した例はよく知られます。これは「制度として保護されたからこそ活動できた」面がある一方、政治状況によっては排除や圧迫が起きる可能性を常に含んでいました。

中世のイベリア半島(アンダルス)などでは、ムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒が同じ都市空間を共有し、知的交流が進んだ時期があったことも語られます。ただし、それも永遠の理想郷だったわけではなく、王朝交代や戦争、宗派対立によって緊張が高まる局面もあります。ズィンミーの位置づけは、統治者の政策だけでなく、周辺国との関係、経済状況、民衆感情などに影響されやすいのです。

オスマン帝国の時代になると、非ムスリム共同体を「ミッレト」として組織し、宗教共同体ごとに一定の自治を認める形が発展します。これはズィンミーの発想をより行政制度として整えたものと理解できます。帝国は広大で多民族・多宗教だったため、宗教共同体を単位に税・司法・教育などを運営する仕組みは統治上の合理性を持ちました。ただしここでも、共同体間の平等が保証されたわけではなく、帝国の中心はイスラームであり、政治的主導権はムスリムが握る構造が基本でした。

近代に入ると、国民国家の形成や「法の下の平等」という理念が国際的に広がり、ズィンミーのような身分的区分は時代に合わないものとして批判の対象になっていきます。オスマン帝国でも19世紀の改革(タンジマートなど)の流れの中で、宗教共同体の違いによる法的区別を縮小しようとする動きが現れます。つまりズィンミーは、前近代的な帝国の統治の中では一定の現実性を持った制度ですが、近代の平等原理が強まると、制度の前提自体が揺らぐことになります。

評価と注意点:寛容の物語にも、単純な断罪にもならない

ズィンミーを説明するとき、しばしば「イスラームは異教徒に寛容だった」という話と、「イスラームは異教徒を差別した」という話の両方が出てきます。どちらも一面の真実を含みますが、どちらか一方だけで理解すると、歴史の姿が単純化されます。ズィンミー制度は、当時の世界の中では「異なる宗教共同体が生き残る仕組み」を提供した点で相対的な寛容さを持つ場合がありました。少なくとも、共同体ごとの信仰や礼拝の存続を制度として認める枠組みは、強制改宗や全面追放が当たり前になり得る時代状況の中では重要な意味を持ちます。

しかし同時に、ズィンミーは「平等な共存」ではなく「保護された従属」という構造を含みます。税負担の差、法的・社会的制限、象徴的な上下関係は、現代の人権感覚から見れば明確な不平等です。したがってズィンミーを、現代の価値観で無条件に称賛することも、逆に“常に迫害だった”と断罪することも、どちらも危うい理解になりやすいです。歴史用語としては、ズィンミーを「多宗教社会を統治するための制度であり、保護と制限が同時に存在した」と押さえるのが最も安定した理解になります。

また、ズィンミーという語は現代の政治言説で感情的に用いられることもあります。歴史上の制度概念が、現代の宗教対立や国際政治の議論に持ち込まれると、文脈から切り離されて過度に単純化されがちです。世界史用語として扱う場合は、特定の時代や地域の具体的な運用を念頭に置き、ズィンミーが「いつ、どこで、どのような条件で」成立していたのかを意識することが大切です。

まとめると、ズィンミーはイスラーム国家における非ムスリムの保護身分を指す概念で、ジズヤなどの義務を負う代わりに、共同体としての存続と一定の安全が認められた仕組みです。帝国の拡大と多宗教社会の現実の中で機能し、時代や地域によって運用が変化し、近代の平等理念の広がりの中で再編や解体へ向かいました。ズィンミーは、宗教と国家、統治と共存、そして不平等の制度化というテーマを一つの言葉で映し出す用語だといえます。