世界最古の給与明細はビールだった――古代メソポタミアの意外な報酬制度

世界最古の給与明細はビールだった――古代メソポタミアの意外な報酬制度 マニアック
世界最古の給与明細はビールだった――古代メソポタミアの意外な報酬制度
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はじめに――「ビール給与」という古代メソポタミアの常識

 古代メソポタミア文明の中心都市ウルク(現イラク南部)では、紀元前3100〜3000年頃の粘土板が数万点単位で出土しています。そこには楔形文字と絵文字を組み合わせた「配給台帳」が膨大に残され、円錐形の容器の絵はビールを、頭部と椀の図は「人への配給」を意味しました。労働者の名前や職種、支給日、そしてビールの量までが逐一記されており、これらは世界最古級の給与明細と評価されています。紙幣も硬貨もなかった時代に、人びとは“琥珀色の飲み物”で労働の対価を受け取り、生活を営んでいたのです。

 当時のウルクは人口5万を超えるメガシティで、市壁に囲まれた中心部には大神殿エアンナ複合体がそびえ、各地から労働者が集められていました。巨大都市の維持には膨大な公共事業が不可欠であり、その原動力となったのが大麦を原料とするビールでした。

どれくらい支給されたのか――数字が示す驚きの「日当」

 粘土板には「イルム・イッリシュにビール4リットル」「織工ニンギンナに3リットル」などと刻まれ、一般労働者の日当はおおむね2〜5リットル程度でした。熟練した大工や石工、管理職には6〜8リットルが支給される例もあり、職能による差がはっきり見て取れます。

 さらに、ウル第三王朝期(紀元前21世紀頃)の行政文書には「37か月で大麦134,813リットルを醸造せよ」という命令書すら残り、当局が計画的にブルワリーを稼働させていたことが分かります。ビールの消費量は単に飲料としての需要にとどまらず、労働配分の指標や人口統計の目安としても機能していたと考えられます。

 興味深いのは、雨季や洪水で農閑期が長引くとビール配給量が一時的に増えた形跡がある点です。賃金の前払いまたは生活補助としての役割を果たし、景気刺激策として機能した可能性も指摘されています。

なぜビールだったのか――栄養・衛生・貨幣価値の三拍子

 当時のビールは現代のように澄んだ液体ではなく、麦芽の殻や酵母が残る濁酒に近い粥状でした。アルコール度数は2〜4%ほどで、水代わりに大量に飲んでも酩酊しにくく、しかも煮沸発酵によって雑菌が抑えられるため、都市部の不衛生な水源より安全でした。

 栄養面でも、大麦由来のたんぱく質や食物繊維、発酵で生成されたビタミンB群を補給でき、強い日差しの下で働く労働者のエネルギー源になりました。「液体パン」と呼ばれる所以です。

 さらに、計量可能で保存性が高いビールは事実上の貨幣として機能しました。陶製の標準容器(約0.6リットル)が単位となり、粘土板に刻まれる刻線はデジタルのカウンターのように数量を示します。流通や貯蔵が容易だったことから、貢納や税としても重用されました。

醸造プロセスの舞台裏――神官と女酿造師たち

 ビールづくりは神殿附属のブルワリーで行われ、神官が統括し、現場では「sabitu」と呼ばれる女性醸造師が活躍していました。大麦を浸水・発芽させて麦芽を作り、粘土炉で乾燥させた後、粗く挽いて水と混ぜます。この段階では「bappir」と呼ばれるビール用パンを焼き、それを湯にほぐして糖化を進めてから発酵壺に移す――という手順が標準的だったようです。

 発酵を司る女神ニンカシを讃える「ニンカシ賛歌」には、泡立つビールの芳香や金色の液体を神々が賞味する様子が詠み込まれ、醸造行為が宗教祭儀とも深く結びついていました。

「配給システム」が支えた国家運営

 メソポタミアでは王宮と神殿が経済の中枢を担い、大麦の生産量とビールの醸造量を一元管理していました。収穫物は「シラ・クル」と呼ばれる巨大倉庫に納められ、担当書記が粘土板に入庫数量・出庫数量を丹念に記録します。こうして蓄えた穀物はビールへと姿を変え、道路や城壁、水路の建設現場に送られて労働者の糧となりました。

 この配給経済は、労働者を常に動員できるだけでなく、労働力の移籍・再配置を柔軟に行う統制システムとして機能しました。粘土板は単なる台帳ではなく、国家運営のOSとも言える存在だったのです。

粘土板に残る「労働者の顔」――個人が浮かび上がる記録

 配給文書には、性別や職種の区別が明確に書き分けられています。織工や粉ひきなど女性の名前が多いタブレットもあれば、日雇い土木労働者の男性名が列挙されたものもあります。

 たとえば「ナラーム・シンの孫イル・イシュタルにビール4リットル」という記載からは、一族の身分や従事する仕事の格差が想像できます。また、障がい者や高齢者への特別配給を示すタブレットもあり、当局が社会的弱者を一定程度保護していたことがうかがえます。

 こうした細部は、粘土板が単なる行政文書ではなく、古代の個人史を映し出す“手紙”でもあることを示しています。

祭りと酒場――ビールが彩った日常文化

 給与として受け取ったビールは各家庭で消費されたほか、都市の「シェカルハウス(酒館)」で飲まれることもありました。酒館は女性店主が経営する場合が多く、客にはビールを売る代わりに銀や大麦を受け取っていたとみられます。

 新年祭アキトゥや収穫祭では、神像の行列や音楽演奏とともに大量のビールが振る舞われ、酔客たちは歌や踊りに興じました。粘土板に残る宴会記録の中には「司祭へ上質ビール三壺、役人へ二壺、一般観客へ薄ビール百壺」のように階層ごとに配分を変える記述もあり、ビールが社交儀礼や上下関係を象徴するアイテムだったことがわかります。

現代への示唆――「給与明細」は誰のものか

 五千年前のウルク人が自分の労働対価を刻んだように、私たちも賃金や労働条件を正確に記録し、可視化する姿勢が不可欠です。テクノロジーの進歩で給与明細はデジタルへ移行しましたが、本質は「働きと報酬を公平に照合すること」にあります。

 ビール給与が示すのは、生活必需品で支払う“現物支給”が社会インフラを回したという歴史的事実です。現代でも株式・ストックオプションや社食、福利厚生ポイントなど、貨幣以外の形で労働価値を返す仕組みが再評価されています。古代メソポタミアの粘土板は、報酬のあり方を考える上で意外にモダンなヒントを与えてくれるのです。

おわりに――ビールの泡に映る文明の姿

 ウルクの粘土板は、ビールが単なる嗜好品ではなく、人びとの生命線であり、国家の歯車でもあったことを明らかにしています。発掘現場で土色のタブレットを手に取る考古学者は、はるか昔の労働者が汗を拭いながらこの“液体パン”を啜った情景を想像します。

 ビールの泡は瞬時に消えても、その価値を記録した楔形文字は五千年後の私たちに鮮やかに語りかけます――「働く者の報酬は、いつの時代も尊重されなければならない」と。