アショーカ王の生涯と即位
アショーカ王(Aśoka, 在位:紀元前268頃~前232頃)は、古代インドに成立したマウリヤ朝の第3代王であり、インド史上のみならず世界史においても特筆すべき支配者です。彼はチャンドラグプタ(マウリヤ朝創始者)の孫であり、父ビンドゥサーラの後を継いで帝位に就きました。
アショーカは若き頃から勇猛果敢で、その即位をめぐっては兄弟との抗争も伝えられています。即位後のアショーカは、マウリヤ朝の版図をさらに拡大し、インド亜大陸の大部分を統一した最初の支配者となりました。特にデカン高原やオリッサ地方(カリンガ)への遠征によって、領域は現在のアフガニスタンからベンガル湾に至るまで広がり、インド史上屈指の大帝国を築き上げました。
カリンガ戦争と仏教帰依
アショーカ王の治世を理解する上で決定的な転機となったのが「カリンガ戦争」です。カリンガ地方(現在のオリッサ州)は当時、独立した強国であり、アショーカは征服を試みましたが、その戦争は膨大な死者・捕虜を生み、惨憺たる結果を残しました。
伝承によれば、戦場の凄惨な光景を目の当たりにしたアショーカは深い良心の呵責に苛まれ、暴力と征服による支配に疑問を抱きました。この体験が彼を仏教への帰依へと導いたとされます。アショーカは釈迦の教えを国家統治の指針とし、「法(ダルマ)による支配」を標榜するようになりました。
ただし、近年の研究では、アショーカの仏教帰依は戦争の直接的な影響というよりも、王権の正統性確立と支配安定化のための政策的選択であった可能性も指摘されています。それでも、アショーカが暴力的征服から非暴力・慈悲の統治へと方向転換したことは、歴史的に大きな意義を持ちます。
アショーカ王の政策と統治
アショーカ王は、仏教的価値観を政治に取り入れつつも、宗教的寛容を重んじたことで知られます。彼の統治は以下の特徴を持ちます。
- ダルマによる統治:「ダルマ(法・正義)」を国家の統治原理とし、非暴力・慈悲・寛容を強調した。これは仏教のみならず、バラモン教やジャイナ教を含む多様な宗教を尊重する普遍的理念として打ち出された。
- 法勅(エディクト)の公布:アショーカはインド各地の岩や石柱に法勅を刻ませ、仏教的倫理や政治方針を人民に広めた。有名なものに「アショーカ王碑文」があり、現在も各地に残る。そこでは殺生禁止、官僚の廉潔、宗教寛容などが説かれている。
- 社会政策:医療や福祉を充実させ、人間だけでなく動物に対する慈悲も説いた。街道沿いに樹木を植え、井戸を掘り、宿泊施設を整備するなど公共事業も積極的に行った。
- 仏教布教:王は第3回仏典結集を支援し、仏教教団を整備するとともに、僧をスリランカ、中央アジア、西アジア、さらには地中海世界にまで派遣し、仏教を世界宗教へと発展させる基盤を築いた。
アショーカ王の歴史的意義
アショーカ王の歴史的意義は多方面にわたります。
第一に、彼はインド統一の象徴として記憶されています。インド亜大陸を広範囲に統一した初の支配者であり、その政治的版図は後世のインド国家形成のモデルとなりました。
第二に、彼は非暴力と道徳政治の実践者として世界史上も高く評価されています。マキャヴェリ的な権謀術数ではなく、宗教的倫理を政治に組み込もうとした姿勢は、歴史上希有な事例です。
第三に、彼は仏教の普及者として決定的な役割を果たしました。アショーカの支援がなければ、仏教がインド国内を越えてスリランカ、東南アジア、中央アジア、中国、そして日本へと広がることはなかったといわれます。
まとめ
アショーカ王は、マウリヤ朝第3代の大王として、インド亜大陸の大半を統一するとともに、カリンガ戦争を契機に仏教に帰依し、「法による統治」を掲げた人物です。彼の政策は宗教寛容・福祉・倫理的統治を特徴とし、碑文を通じて民衆に広く理念を示しました。
その影響はインドのみならず世界史に及び、仏教の普及者としての功績は後世に絶大な意義を持ちます。今日においても、アショーカの獅子柱頭はインド共和国の国章に採用され、彼の理想が現代国家の象徴に生き続けていることは注目すべき点でしょう。

