アスワン・ハイダムの建設と背景
アスワン・ハイダム(Aswan High Dam)は、エジプト南部ナイル川中流の都市アスワン近郊に建設された巨大ダムで、20世紀の中東・アフリカ開発史において最も重要な公共事業の一つとされています。1960年に着工され、旧ソ連の支援を受けながら建設が進められ、1970年に完成しました。高さ111メートル、全長3.6キロメートルに及ぶ規模を誇り、当時としては世界最大級のダムでした。
エジプトは古代から「ナイルの賜物」と呼ばれてきましたが、ナイル川の定期的な氾濫は農業に肥沃な土壌をもたらす一方で、洪水や干ばつによる被害も頻発しました。19世紀末以降、近代化を進めるエジプトではナイルの水を制御する計画が繰り返し立てられ、1902年には第一アスワン・ダムが完成しました。しかし、その規模では十分ではなく、より大規模な「ハイダム」が国家的課題となったのです。
建設の経緯と国際関係
アスワン・ハイダムの建設計画は、ガマール・アブドゥル=ナーセル大統領の時代に本格化しました。当初、アメリカやイギリスからの資金援助を期待していましたが、エジプトの中立外交やソ連接近を警戒した西側諸国は支援を打ち切りました。このため、エジプトは1956年にスエズ運河の国有化を発表し、その収益をダム建設に充てる方針を打ち出しました。これが「スエズ危機(第二次中東戦争)」を引き起こす要因の一つとなりました。
その後、エジプトはソ連から資金・技術の支援を得て建設を進め、1960年に正式着工、10年の歳月をかけて1970年に完成しました。この事業は、冷戦下の国際政治において、ソ連とアラブ世界の連携を象徴する出来事でもありました。
アスワン・ハイダムの効果と影響
アスワン・ハイダムの完成は、エジプト社会と経済に多大な影響を及ぼしました。
- 洪水・干ばつの防止:ナイル川の流量を調節することで、洪水被害を防ぎ、また干ばつ時にも安定した灌漑用水を供給できるようになった。
- 農業の発展:通年での灌漑が可能となり、二期作・三期作も可能となった。これにより農業生産は大幅に増加した。
- 電力供給:ダムの水力発電所は当初エジプト国内の電力需要の半分以上を賄い、工業化の基盤を提供した。
- 湖ナセルの形成:ダムによって世界最大級の人造湖の一つであるナセル湖(長さ約500km)が出現し、漁業や観光資源としても利用されるようになった。
しかしその一方で、負の影響も無視できません。
- ナイル川の氾濫がなくなったことで、肥沃な土壌をもたらすシルトがデルタ地帯に届かなくなり、農地の肥沃度が低下した。
- 湖ナセルの形成により、多数の住民が立ち退きを迫られた。特にヌビア人の伝統的生活圏が水没し、文化的喪失が生じた。
- アブ・シンベル神殿をはじめとする古代遺跡が水没の危機にさらされ、国際的な協力によって移設作業が行われた(ユネスコによる世界遺産保護活動の先駆的事例)。
- ダム下流域では川の流れが弱まり、塩害や漁業資源の減少など環境問題が発生した。
歴史的意義と現代の評価
アスワン・ハイダムは、単なるインフラ事業にとどまらず、20世紀エジプトの国家建設と国際政治を象徴する存在でした。ナーセル大統領は、この巨大プロジェクトを通じてエジプトの近代化を推進すると同時に、アラブ民族主義の旗手として国際的な威信を高めました。
現代においても、アスワン・ハイダムはエジプトの農業・電力供給において重要な役割を担い続けていますが、環境への影響や人口増加に伴う需要の変化により、課題も残されています。それでも、国土の安定的な水資源管理を可能にしたという点で、その意義は極めて大きいといえます。
まとめ
アスワン・ハイダムは、1960年代に建設された巨大ダムであり、ナイル川の水を制御することによってエジプトの農業・工業・社会を一変させました。洪水防止や電力供給、農業発展といった成果をもたらした一方、環境問題や文化財保護、住民移住といった課題も生じました。
それでも、アスワン・ハイダムは現代エジプトの象徴的プロジェクトとして、国家建設と冷戦期国際政治の交錯を示す歴史的事例として重要な位置を占めています。

