アル・カーイダ(al-Qāʿida, 「基地/基盤」の意)は、1980年代末に形成された国際的ジハード主義ネットワークで、1990年代以降に対米・対西側を中心とする大規模テロを実行・鼓舞して国際安全保障の脅威となった組織です。起源はソ連軍とアフガニスタンの戦争期に、外国人義勇戦闘員の受け入れ・訓練・資金調達を担った枠組みにさかのぼり、アブドゥッラー・アッザームとウサーマ・ビンラーディンの周辺で整えられました。1990年代にはスーダン、のちアフガニスタンに拠点を移し、宣伝・資金・作戦の結節点として機能しながら、各地域の武装集団との連携を広げました。2001年の米国同時多発テロをはじめとする攻撃は、国家・非国家主体の関係を一変させ、国際的な対テロ体制と武力行使の長期化を招きました。現在、アル・カーイダは中枢の指導と各地の「系列(アフィリエイト)」による分権的なネットワークとして存続し、地域紛争と脆弱統治の空白に適応しながら影響を保ち続けています。
起源と形成:アフガン紛争からスーダン、アフガニスタンへ
アル・カーイダの原型は、1979年のソ連軍侵攻に対するアフガニスタンの抵抗運動を支援する外国人戦闘員の受け皿として生まれました。パキスタンのペシャーワルを拠点に、パレスチナ出身の学者アブドゥッラー・アッザームが「マクタブ・アル=ヒダマート(サービス事務所)」を組織し、湾岸を中心とする寄付金・義勇兵・物資を前線へ結びつけました。サウジ出身のウサーマ・ビンラーディンは資金・施設提供と現地調整で重要な役割を果たし、終盤には独自に訓練・宿営の基盤を整えます。1988年前後、この基盤が「アル・カーイダ」として名指され、戦闘員名簿・訓練・連絡を統合する枠へと移行しました。
ソ連撤退後、ビンラーディンは一時スーダンへ移り、建設・農業などの事業と並行してネットワークを維持・拡張しました。1996年頃にはアフガニスタンへ戻り、タリバン政権下で訓練施設と安全地帯を得ます。ここでアル・カーイダは、他地域の武装集団に対する資金・宣伝・技術のハブとして機能し、国境を越える作戦構想を具体化させました。アッザームの殉職後、ビンラーディンとアイマン・ザワーヒリー(エジプト・イスラーム聖戦団出身)が思想・作戦の軸となり、敵を「近くの敵(周辺政権)」から「遠くの敵(西側)」へ優先的に設定する路線が強まりました。
イデオロギーと組織:サラフィ・ジハーディズム、遠敵/近敵、ネットワーク型
アル・カーイダの思想は、初期イスラームの純化を掲げるサラフィ主義と、武力闘争を義務として位置づけるジハード主義が結合した「サラフィ・ジハーディズム」に属します。西側の軍事駐留・同盟・制裁や、ムスリム多数国の権威主義政権を「背教的秩序」とみなし、暴力的手段による打破を正当化します。特に1996年・1998年に出された声明(しばしば「ファトワ」と通称されます)では、米軍の撤退・制裁の停止を求め、世界規模での攻撃を呼びかける論法が示されました。
組織形態は、(1)中枢の指導者と合議(シュラー)機能、(2)作戦・資金・広報の担当部門、(3)各地の系列組織・同調者のネットワーク、という三層で把握されます。国家のような官僚制ではなく、結節点を多数もつ分権ネットワークで、局地的自立と全体方針のすり合わせが同居します。プロパガンダ(声明・ビデオ・雑誌等)は戦略の中核で、宗教用語・歴史記憶・現代の不満を編み合わせた物語で支持を募ります。他方、内部規律や住民統治の能力にはばらつきがあり、地域社会との摩擦や分裂を招く要因にもなりました。
戦略上のキーワードは「遠敵/近敵」の序列です。周辺の政権と直接対峙するよりも、その背後にある米国などの「遠敵」を打撃して戦略環境を変え、同盟網を揺さぶる——この発想が1990年代後半から前面化しました。無差別的な民間人攻撃の正当化は多くのイスラーム法学者からも批判され、宗教的正統性をめぐる論争は現在まで続いています。
主な攻撃と国際対応:1998・2000・2001、その後の長期化
アル・カーイダは、1998年にアフリカ東部(ケニア・タンザニア)の米国大使館を同時爆破し、多数の死傷者を出しました。2000年にはイエメン・アデン港で米海軍駆逐艦コールが小型艇の自爆攻撃を受け、乗員が犠牲となりました。そして2001年9月11日、米国内で旅客機を乗っ取った集団がニューヨーク世界貿易センターと国防総省を攻撃し、史上空前の被害を生じさせました。これを受けて、米国と同盟国はアフガニスタンでの軍事行動を開始し、タリバン政権を崩壊させ、アル・カーイダの訓練拠点を破壊しました。指導層は散逸し、多くが拘束・殺害を受けましたが、地下化・分散化によって組織は生き延びます。
2011年にはパキスタンでビンラーディンが殺害され、中枢の顔が交代しました。以後もアル・カーイダは、中枢の指導声明と各地の系列による作戦・扇動を継続します。国際対応は、軍事作戦、国際捜査・資金凍結、航空保安を含む国内治安対策、対過激化(CVE)プログラム、オンライン・プラットフォームでの扇動対策など、多面的に展開されました。その長期化は、テロ対策が軍事のみでは完結しないこと、紛争・貧困・統治の脆弱さという環境要因へのアプローチが不可欠であることを教えています。
分裂と地域系列:AQIとISの断絶、各地域の位相と現在の射程
2003年のイラク情勢は、アル・カーイダの内部力学を大きく変えました。アブー・ムサブ・ザルカーウィの集団(のちのAQI=イラクのアル・カーイダ)は、宗派対立を煽る苛烈な戦術を取り、住民統治や宗教正統性で中枢と対立を深めました。のちにこの流れは組織的に分岐し、「イラク・シャームのイスラーム国(IS/ISIS/ISIL)」へ発展・独立します。ISは2014年に「国家」宣言を行いましたが、アル・カーイダ中枢はこれを承認せず、両者は理念・戦術・統治をめぐって対立関係に入りました。
他方、アル・カーイダの系列としては、アラビア半島のアル・カーイダ(AQAP)、イスラム・マグリブのアル・カーイダ(AQIM)、ソマリアのアル・シャバーブ、南アジアのインド亜大陸のアル・カーイダ(AQIS)などが挙げられます。シリアではヌスラ戦線が当初アル・カーイダ系を称しましたが、内戦構図の中で関係を再編し、名称・指揮系統を変更しました。各系列は在地紛争の性質に強く規定され、目標・戦術・住民統治への姿勢に差異が大きいのが実情です。共通するのは、国家の統治空白や越境動員、密輸・誘拐・課税といった資金調達のパターンで、分権ネットワークが脆弱空間に根を張る傾向です。
総じて、アル・カーイダは「単一組織」というより、「ブランド」「参照枠」「作戦・宣伝の知的資源」として機能します。中枢は方向性と正統性を付与しつつ、系列は戦術的自立を保持する——この構造が、壊滅と再生を繰り返すしぶとさの要因になっています。
評価と注意点:テロ指定、宗教との非同一、学習の要点
多くの国・国際機関はアル・カーイダをテロ組織に指定し、国際人道法・テロ対策法の枠内で対処しています。無差別的な民間人攻撃は、宗教・倫理の観点からも広範に否定されており、イスラーム法学の主流見解とも合致しません。したがって、アル・カーイダと「イスラーム」や「ムスリム社会」を同一視するのは誤りであり、地域社会の多様な声・抵抗・平和的運動を無視することにもつながります。
用語上の注意として、(1)アル・カーイダ中枢と各地の系列・同調組織を区別する、(2)タリバンとは起源・目標・統治スタイルが異なり、同盟関係は時期・利害で変動する、(3)ISはアル・カーイダから分岐した別系統であり、両者の関係は対立が基本、の三点を押さえると誤解を減らせます。学習の要点は、①アフガン紛争からの形成、②スーダンとアフガニスタンでの拠点化、③1998・2000・2001の主要事件、④遠敵/近敵の戦略思想、⑤分裂と地域系列の多様性、という五本柱で捉えることです。これにより、アル・カーイダを単なる「一枚岩の敵」ではなく、歴史的条件とネットワーク構造の産物として理解できるようになります。

