インド共産党 – 世界史用語集

インド共産党とは、狭義には1920年代に成立したインドの共産主義政党(Communist Party of India, CPI)を指し、広義にはその後の分裂・再編によって生まれた系譜全体—とくに1964年に分裂して生まれたインド共産党マルクス主義派(Communist Party of India (Marxist), CPI(M))や、さらに左派の諸潮流—までを含めて語られることが多い用語です。反植民地運動、労働運動・農民運動、議会政治への参加、そして地域ごとの自治体運営まで、インド近現代史の多数の局面に深く関わってきました。独立前は民族運動の急進派として地下活動と合法活動を行い、独立後は選挙に参加して州レベルで長期政権を担う一方、土地改革や公共サービスの拡充、労働法制の整備に取り組みました。とくに南西ベンガルやケーララ、トリプラなどでは、共産党系が自治体と州政治の中核を担い、教育・保健・食料配給などの社会政策を継続的に実施した点が特徴です。以下では、成立の背景と独立前史、独立後の分裂と議会政治への定着、社会運動とガバナンスの実践、そして現在までの課題と射程を整理します。

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成立と独立前史:労働運動・反帝国主義・国際ネットワーク

インドでの共産主義の萌芽は、第一次世界大戦後の社会不安と世界革命の波に呼応して広がりました。都市の港湾・鉄道・繊維・鉱山などで労働組織化が進むと、ボンベイ(現ムンバイ)やカルカッタ(現コルカタ)、マドラス(現チェンナイ)を中心に社会主義的サークルが生まれ、労働者の賃上げ・労働条件の改善を求めるストライキが連鎖しました。1920年代初頭には共産主義者が国際的なネットワーク(コミンテルン)と接触し、反帝国主義・民族自決を掲げる理論と実践がインドの現場に持ち込まれます。

英領インド当局は、ボルシェビズムの「輸入」を警戒し、共産主義者に対する治安裁判を頻発させました(ピンダー・ラグー事件、メロートラ事件など、いわゆる「ボンベイ陰謀事件」の系譜)。それでも労働運動は拡大し、全インド労働組合会議(AITUC)が結成されると、共産主義者は議長・書記局に入り込み、議会派の急進分子やトレードユニオニストと協働・角逐を重ねました。1920年代末から30年代には、農民組織化と小作争議が強まり、ベンガル、パンジャーブ、ビハール、アーンドラなどで土地問題が政治の焦点となります。

ナショナリズムとの関係は複雑でした。国民会議派(コングレス)は非暴力主義と議会戦術を軸に大衆運動を指導しましたが、共産主義者は階級闘争の観点からサティヤーグラハ(非暴力抵抗)の限界を批判する一方、反帝国主義の統一戦線としてコングレスに協調する局面も持ちました。1930年代半ばに人民戦線戦術が採られると、地方評議会選挙や自治体での協力が進み、共産主義者は合法活動の空間を広げます。他方、バンガル・ビハール・テランガーナ(テルンガーナ)などでは地下武装闘争の萌芽が生まれ、のちの大規模蜂起の前史となりました。

第二次世界大戦の勃発と独ソ戦の推移は、インドの共産主義運動の方針を大きく揺さぶりました。戦争初期に反英・反戦を掲げたのち、1941年にソ連が独ソ戦で連合国側に立つと、共産党は「反ファシズム戦」を理由に政策を転換し、戦争協力と産業生産の維持を訴える立場へ移ります。これは英領当局との軋轢緩和と合法化の機会をもたらした一方、反英闘争を続ける民族派からは強い批判を浴びました。

独立・分裂・議会政治:CPIとCPI(M)、左翼の重層化

1947年の独立とインド連邦の成立後、共産党は合法政党として議会政治に参入すると同時に、地域ごとの農民闘争・労働争議を継続しました。1946~51年にかけてアーンドラのテランガーナでは、地主支配に対抗する大規模な農民蜂起が起こり、武装自衛・土地再配分・民政の試みが一定期間続きました。中央政府の治安作戦と自治体制への移行で武装闘争は収束しますが、土地改革と小作保護、村落の自治を求める運動は広範な支持を保ちます。

1951年以降、CPIは武装闘争路線を修正し、議会参加と合法的社会改革を重視する方針を固めます。その帰結の象徴が1957年のケーララ州です。ここでCPIは選挙を通じて世界的にも稀な「民主的に選ばれた共産党政権」を樹立し、E・M・S・ナンブーディリパドを首班として教育・土地改革・食料配給の刷新に着手しました。中央の介入や州内の反発で政権は短命でしたが、以降の南西インド政治に長い影を落とします。

1960年代に入ると、国際共産主義運動の亀裂(中ソ対立)と国内情勢の相克がCPI内部の分岐を決定的にしました。対議会協調・国民会議派との限定的提携を容認する穏健派と、より急進的で反政府・反コングレス色の強い派との対立が深まり、1964年にインド共産党マルクス主義派(CPI(M))が分離・結成されます。以後、インドの左翼はCPIとCPI(M)の二大勢力に、さらに学生・農民の一部急進派が1967年のナクサルバリ蜂起を契機に共産党マルクス・レーニン主義派(CPI(ML))など幾つかの組織へ分岐する重層構造をとることになりました。

議会政治の舞台では、CPI(M)を中心とする「左翼戦線(Left Front)」が西ベンガル州で1977年から長期政権を担い、分権型の土地改革(オペレーション・バーガ)と地方自治(パンチャーヤト制度の活性化)、公共配給の強化、教育・保健の拡充を推進しました。トリプラ州でも共産党系が長く州政府を主導し、ケーララ州ではCPIとCPI(M)を軸にした交互政権が定着します。国政レベルでは、左翼は第三勢力として連立与党に外部支持を与える場面が周期的に現れ、経済自由化や外資規制、社会保障法制などで政策調整力を発揮しました。

非常事態期(1975~77年)に対する姿勢も、左翼の内部差を示しました。権利停止と言論統制に対し多くの左派知識人・労組は批判を強めましたが、与野党関係や州ごとの利害は一枚岩ではなく、CPIとCPI(M)の評価は一致しませんでした。非常事態後の総選挙でコングレスが敗北すると、連邦政治の多党化と州権限の相対的強化が進み、左翼の「地域政党としての統治能力」が問われる時代に入ります。

社会運動と統治の実践:労働・農民・福祉、そして文化の場

インド共産党系の強みは、議会と街路、制度と運動を往還する「二重の回路」にあります。労働運動では、CPI系のAITUC、CPI(M)系のCITUなど、巨大ナショナル・センターが組織率を維持し、鉄道・港湾・公共部門・製造業からIT・サービスに至るまで、賃金・労安・社会保障をめぐる交渉を担ってきました。農民運動では、全インド・キサン・サバー(AIKS)などが小作保護、最低価格支持(MSP)、債務救済、灌漑・公的投資の拡充を掲げ、政府への大規模請願や街道封鎖、議会ロビー活動を組み合わせます。学生・青年・女性の大衆団体(AISF、SFI、DYFI、AIDWAなど)も、教育費・安全・労働機会・ジェンダー平等をめぐる要求を政策につなげる役割を果たしました。

統治の現場では、共産党系が主導した州で土地改革と地方分権が進み、登記の整備・分益小作の保護・共同体資源の管理・地方議会への女性クォータ導入など、制度改正が段階的に実施されました。ケーララ州の「人民計画運動」では、市町村に開かれた参加型予算とコミュニティ主体の保健・教育・上下水道プロジェクトが展開され、就学率の改善、乳幼児死亡率の低下、一次医療アクセスの拡大といった成果が報告されました。西ベンガルではパンチャーヤト選挙の定期化と地方税財政の制度化が進み、農村の道路・灌漑・学校・保健所の整備が進展しました。

ただし、長期政権がもたらす硬直や党官僚制の肥大、政治暴力の土着化、産業誘致をめぐる路線対立など、負の側面も無視できません。2000年代には工業化と土地収用(シンギュール、ナンディグラム)をめぐる判断が支持基盤を揺さぶり、都市中間層と農村貧困層、労働組合と投資誘致のバランスが難題として浮上しました。さらに、インフォーマル部門の拡大と労働市場の分断、IT産業や物流・宅配の台頭は、伝統的な組織化戦術の見直しを迫っています。

文化の領域でも、左翼は重要な影響を及ぼしました。ベンガル語・マラヤーラム語などの文学・映画・演劇・歌謡に、社会批判と市民的連帯のモチーフが色濃く現れ、民衆劇や巡回シアター、読書サークル、出版社のネットワークが公共圏を支えました。歴史教育・言語政策・世俗主義(セキュラリズム)をめぐる論争では、宗教政治の台頭に対抗して科学教育・合意形成・少数者保護の枠組みを擁護する立場が打ち出されます。災害救援や公衆衛生キャンペーン、食料配給の補完など、自治体レベルでのボランタリーな動員も、党と大衆団体の連携の見せ場でした。

現状と課題:多党化とイデオロギー再編のなかで

21世紀のインド政治は、経済自由化の加速、地域政党の伸長、宗教ナショナリズムの台頭、デジタル化とメディア環境の激変により、左翼にとって厳しい地形をつくり出しました。伝統的拠点の一部では政権交代が進み、組織率・議席数の面で後退も経験しています。労働市場の非正規化と零細自営の増大、農業危機と気候変動、都市のインフォーマル居住の拡大といった課題に対し、従来の「工場—村落」中心の戦術から、「サービス—都市—環境—ケア労働」を視野に入れた新しい組織化モデルが模索されています。

政策面では、最低賃金の全国基準、社会保障と医療の普遍主義、教育への公的投資の拡充、公共配給制度(PDS)の改善と栄養支援、農産物価格支持と公的調達、住宅・上下水道・交通のインフラ整備、労働法制改定における安全網の確保など、具体的提案が引き続き掲げられています。議会外では、農民の大規模抗議や労働者ゼネスト、女性の安全とケア労働の可視化運動、環境正義の訴えなどに共産党系団体が連携・支援する姿が見られます。

国際的には、冷戦後の社会主義像の再検討、グローバル・サプライチェーンと労働の再編、気候危機とエネルギー移行、デジタル資本主義とプラットフォーム規制など、多層の議題に対して、南アジアの経験に根ざした現実的左派政策を提示できるかが問われています。ジェンダー平等・カースト差別の克服・宗教間調和といった「社会的正義」の課題を、労働と福祉の制度改革とどう統合するかも、今日的な挑戦です。

総じて「インド共産党」という用語は、単独の党派を超えて、インド近現代史における左翼の多様な実践—反帝国主義から議会参加、土地改革から保健教育、文化運動から災害救援—を束ねる名前として理解すると全体像が見えやすくなります。インドの左翼は、理念と現実、運動と統治、地域と世界を結ぶ綱渡りを続けながら、社会的弱者の保護と民主的制度の強化を目標に、長期の試行錯誤を重ねてきたのです。今後も、都市と農村、フォーマルとインフォーマル、国家と自治の交差点で、その役割が問われ続けるでしょう。