ヴァンダル王国 – 世界史用語集

ヴァンダル王国は、5世紀前半にゲルマン系ヴァンダル族が北アフリカに建て、東ローマ(ビザンツ)将軍ベリサリウスにより533〜534年に滅ぼされるまで約1世紀続いた王権です。首都カルタゴを拠点に西地中海の海上権を握り、地中海交易の要衝であるアフリカ属州(現チュニジア・アルジェリア東部)を支配しました。彼らはアリウス派キリスト教を奉じ、ニカイア派(カトリック)多数派のローマ住民と緊張関係を抱えながら、ローマ的都市制度・税制・農業経営を大きく引き継いで統治しました。455年のローマ略奪と「海のコルサール」としての活動は、後世に「破壊者(vandal)」という否定的語感を生みましたが、実像は略奪一色ではなく、地中海の商業・財政・外交に深く組み込まれた王国でした。本稿では、成立の道筋、支配の仕組みと宗教政策、海上覇権と対外戦争、終焉と歴史的意義をわかりやすく整理します。

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成立の道筋:ラインからイベリア、そしてカルタゴへ

ヴァンダル族は、4世紀末にリーメス(ライン・ドナウ防衛線)が揺らぐ中で西方へ移動した集団の一つです。406年の「ライン渡河」でスエビ、アラン(サルマタイ系)などとともにガリアへ侵入、各地を通過したのちイベリア半島に定着しました。やがてイベリアでは、ローマ帝国側のフン族・西ゴート族の圧迫と内紛の中で勢力の再編が進み、ヴァンダルの主力はアフリカ属州への移動を決断します。王ガイセリック(ゲイセリック/在位428–477)は、429年にアルボラン海を越えてジブラルタル海峡を渡海し、北アフリカへ侵入しました。

この移動は単なる遊牧的移住ではなく、地中海の穀倉地帯と海上ルートを押さえる戦略的選択でした。ヴァンダル軍は沿岸部の主要都市を転戦し、カルタゴ近郊の平野を掌握、439年にはついにカルタゴを占領して首都としました。ローマ帝国は当初、内戦と他戦線の多忙のため十分な反撃ができず、ヴァンダル王国は北アフリカ沿岸の富と港湾網を手に入れます。地理的には、ビュザケナ、プロコンスラリス、ヌミディア東部など、オリーブと穀物生産が豊かな地帯が中心で、さらにサルディニア・コルシカ・バレアレス諸島、シチリア一部の支配や影響力を及ぼし、西地中海に拠点網を張りました。

ヴァンダル王国の成立は、いわゆる「民族移動時代」の最後期におけるローマ帝国西半の領土再編の一環です。ただし、ヴァンダルの王権はローマ国家の廃墟の上に新秩序を築いたのではなく、既存の都市自治や徴税・司法枠組みを活用しつつ、その上に支配エリートとして君臨する形を取りました。これは、都市経済が高度に分化していた北アフリカで、外来の軍事貴族が短期間に広域統治を実現するための合理的方策でした。

支配の仕組みと宗教政策:ローマの継承と異端の緊張

統治の基本は、ローマ都市の評議会(キュリア)と徴税機構、在来の大土地所有制を活用することでした。北アフリカは帝政期以来、オリーブ油の輸出や小麦の供給で地中海経済に深く結びつき、道路・港・倉庫(オラ)・水利などのインフラが整備されていました。ヴァンダルはこれらを維持し、王家・軍事貴族にドメーヌ(王領・没収地)を分配しながら、都市と荘園からの歳入を吸い上げました。貨幣経済も継続し、カルタゴなどで王名の入った金貨・銅貨が鋳造され、交易と課税の標準単位として機能しました。

社会構造は二層的でした。少数のヴァンダル(および同盟のアラン)戦士層が政治・軍事の上層を占め、多数のローマ系住民(言語は主にラテン語、少数のギリシア語使用者)とベルベル人(マウリとも)が農業・商業・工芸を担いました。ヴァンダル戦士は相対的に高い社会的地位と法的特権を持ち、軍役と王への忠誠を義務づけられました。ベルベル社会との関係は複雑で、国境地帯のマウリ諸王とは講和と従属・反乱の波が繰り返され、辺境の治安は恒常的な課題でした。

宗教政策は、この王国の評価に大きく影響します。王家はアリウス派(キリストの「被造性」を強調する教義)を奉じ、これはニカイア派(三位一体の正統とされた教義)を信じるローマ住民多数派と教会権力に緊張を生みました。ガイセリックの時代、財政・政治上の理由からカトリック教会への財産没収や司教追放が実施される一方、都市の社会秩序維持の観点から、現実的な妥協も少なくありませんでした。彼の後継者ヒュネリック(在位477–484)は迫害を強め、484年のカルタゴでの宗教討論とその後の弾圧は、古代末アフリカ教会史に深い爪痕を残しています。他方、ガンセリックの孫ヒルデリック(在位523–530)はニカイア派に寛容で、追放司教の復帰を認めるなど緊張緩和に動きました。

文化の面では、ローマ的文芸・法文化が継続し、アフリカ出身の学僧や文人が活動を続けました。法典面では「ヴァンダル法(Lex Vandalorum)」と総称される王令集が伝わり、ローマ法の枠組みを多く引き継ぎながら、ヴァンダル戦士層の特権や宗教規定が盛り込まれました。言語面でヴァンダル語(東ゲルマン語派)の使用は上層の口語に限られ、公用・文書は基本的にラテン語でした。結果として、王国の姿は「ラテン語世界の上に乗ったゲルマン王権」という、当時の西方王国に共通する二重構造を示します。

海上覇権と対外戦争:西地中海の「海の王」

ヴァンダル王国の特色は、陸上支配だけでなく海上勢力としての性格にありました。カルタゴは古代以来の造船・航海の中心で、周辺の港湾都市(ヒッポ・レギウス、ウティカ、ハドリュメトゥムなど)は補給・修理・市場の機能を持っていました。ガイセリックは艦隊を組織化し、シチリア・サルディニア・コルシカ・バレアレス方面へ遠征を繰り返し、地中海の交易船団への臨検・拿捕・課税で王国財政を潤しました。ヴァンダルの「海賊」像は、こうした軍事化された通行税・臨検の実態から生じたものです。

455年、皇后エウドキアからの助力要請やローマ宮廷の内紛を口実に、ヴァンダル艦隊はティベル川口からローマへ侵入、交渉の末に都市の略奪を実行しました。物的破壊よりも計画的な収奪(宝飾品・金属・奴隷化など)が中心だったとされますが、この出来事はキリスト教世界に大きな衝撃を与え、「ヴァンダル(破壊者)」の語感を近代まで固定化しました。以後も彼らはイタリア南部やプロヴァンス沿岸を襲撃し、西ローマ残存政権や西ゴート、スエビ、東ローマなどと複雑な同盟と戦闘を重ねます。

西ローマ最後期には、将軍マヨリアヌスがヴァンダル討伐のため艦隊を準備しましたが、460年にカルタヘナ近郊で艦隊が焼かれて挫折。続く468年、東ローマの将軍バシリスクスが大艦隊を率いて北アフリカに来寇しましたが、カルタゴ沖での失策とガイセリックの巧妙な遅滞戦術により大敗北を喫しました。これらの勝利により、ヴァンダル王国は西地中海の制海権をほぼ独占し、東西両ローマからの承認と講和(特に474年の和平)を引き出します。

しかし、海上覇権は維持コストが高く、艦隊の建造・運用・人員確保には継続的な財政負担が伴いました。また、辺境のベルベル勢力の動静、サルディニアなど周辺島嶼の反乱、イタリア・イベリアの政局変動が絡み、ヴァンダル王国は絶えず複数戦線に神経を使う必要がありました。海上での優位がただちに内陸の安定に結びつくわけではなく、王権は都市と荘園からの歳入を海軍と軍事貴族に再配分する難しい財政運営を迫られました。

衰退と終焉:内紛、ビザンツの再征服、そして遺産

ガイセリックの長期統治が終わると、王位継承と宗教政策をめぐる綱引きが激しくなります。ヒュネリックの強圧的統治の後、ギュンテムンド(在位484–496)、トラシムンド(在位496–523)は海上勢力の維持と対外関係の安定化に努めました。とくにトラシムンドは東ローマとの関係改善を志向し、文化的交流も見られます。ところが、ヒルデリックが即位するとニカイア派への大幅寛容に転じ、追放司教を復権させたため、アリウス派貴族の反発を招きました。530年、従兄弟ゲリメルがクーデタでヒルデリックを廃位・拘禁し、王位を奪取します。

この内紛は、コンスタンティノープルのユスティニアヌス帝にとって絶好の口実でした。東ローマは西方旧領の回復(レコンクエスタ)を掲げ、まずは北アフリカのヴァンダル王国を目標に定めます。533年、将軍ベリサリウスが少数精鋭の遠征軍を率いて出航、無風状態と周到な補給計画に助けられ、アフリカ沿岸に上陸しました。カルタゴ南方のアド・デキムムの戦い(533年9月)でヴァンダル軍の先鋒を破ると、カルタゴを無血占領。続くトリカマルムの戦い(同年12月)で主力を撃破し、ゲリメルは山地へ逃れますが、534年春に降伏します。かくして、ヴァンダル王国は短期間のうちに崩壊しました。

征服後、東ローマはアフリカ総督府を再建し、王領・貴族領の多くを皇帝財産として没収しました。ヴァンダル戦士の一部は帝国軍に編入、他は再定住・追放などで散在しました。ヴァンダル語は急速に消滅し、ゲルマン的慣習法もローマ法体系に吸収されます。とはいえ、農業経済と都市制度の骨格は存続し、アフリカは再び地中海経済の重要拠点として機能しました。のちにイスラーム征服が到来する7世紀まで、ビザンツはこの地を保持し続けます。

歴史的遺産として、第一に「海上権力としてのゲルマン王国」の実例を提供した点が挙げられます。西ゴートやブルグントが主として内陸支配を展開したのに対し、ヴァンダルは艦隊運用と海峡支配で国際政治に影響力を及ぼしました。第二に、ローマの制度継承と異宗教支配の試行錯誤です。都市・税・法・貨幣の連続性を保ちつつ、宗派間の緊張を管理するモデルは、古代末から中世初期にかけての他の王国にも通じる課題でした。第三に、言葉の記憶です。「vandalism(破壊行為)」という近代語は、革命期フランスで古物破壊を批判するために造られた語で、455年の記憶と結びついて普及しました。実際のヴァンダル王国は、破壊のみならず統治と交易に長けた現実的な政権であったことを押さえると、歴史像はより立体的になります。

以上のように、ヴァンダル王国は、ローマ帝国の瓦解と地中海世界の再編という巨大な変動のただなかで、海と都市と宗教をめぐる新しい政治のかたちを提示しました。カルタゴという古代都市の復権、オリーブ油と穀物に支えられた財政、艦隊と課税による国家運営、宗派の対立を抱えた社会統合、そして外部帝国の再征服。これらは、古代から中世への移行期がいかにダイナミックで、なおかつ連続的であったかを教えてくれます。ヴァンダル王国の物語は、破壊の影に隠れがちな「つくる力」と「つなぐ力」に光を当てる格好の素材なのです。