王侯将相いずくんぞ種あらんや – 世界史用語集

「王侯将相いずくんぞ種あらんや」は、秦末の反乱指導者・陳勝(陳渉)が蜂起の際に発したと伝えられる言葉で、「王や侯、将軍や宰相といった高位の者に生まれつきの家柄(種)があるわけではない、誰しも志と行動しだいで地位に就き得る」という意味です。世襲的身分秩序への痛烈な懐疑と、下層民にむけた強い動員の号令を同時に表すフレーズとして、東アジアの政治文化に長く刻まれてきました。言葉は短いですが、背後には苛烈な秦の法と軍役、情報操作や予言を活用した反乱の技法、そして「出自より能力・意志」を訴える政治的レトリックの歴史が横たわっています。本稿では、出典と歴史的背景、語義とレトリック、史料と用語上の注意、受容と影響という観点から、わかりやすく整理します。

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出典と歴史的背景――秦末の苛法、陳勝・呉広の蜂起

この言葉が置かれた舞台は、秦末の動乱です。秦は郡県制のもとで標準化と法の平等適用を掲げましたが、同時に重税・徭役・軍役が民を圧迫し、特に辺境防衛の動員は過酷でした。紀元前209年、陳勝・呉広ら900人余の徴発兵が会稽郡から北方の守備へ向かう途中、大雨と冠水で期日に遅延し、秦法に照らせば遅参も死罪に相当しました。そこで陳勝は「どうせ死ぬならば蜂起して一か八かを図るべきだ」と仲間を説得し、蕭県・大沢郷(大沢郷・大沢郷陳)一帯で旗を挙げます。ここで掲げられたスローガンの一つが「王侯将相寧有種乎(いずくんぞ種あらんや)」でした。

陳勝は当初から心理戦に長けていました。漁師に頼んで獲った魚の腹に「大楚興、陳勝王」と記した札を忍ばせて「天命の兆し」と喧伝したり、夜間に村落を巡って狐の鳴きまねをさせ「大楚興」などと唱えさせる「狐鳴」を仕掛け、民衆の不安と期待を操作しました。これは厳罰による秩序に対して、逆に「瑞兆」を用いて合法性を創作する逆転のレトリックでした。やがて蜂起は各地に波及し、陳勝は張楚王を称して独自政権を樹立、秦帝国の瓦解を早めます。陳勝政権は短命に終わるものの、その火は項羽・劉邦ら諸勢力の台頭へとつながり、最終的に漢帝国の成立へと帰結します。

同時に伝わる名句として「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」も重要です。これは、ささやかな安寧に満足する者(燕・雀)には、大きく遠くを目指す志(鴻鵠=白鳥・大鳥)が理解できない、という意味で、陳勝が下男に嘲られた際に返した言葉とされます。両語は対になって、出自や現状に縛られず高い志を抱けと煽動する機能を果たしました。

言葉の意味とレトリック――世襲批判と参加の呼びかけ

「いずくんぞ」は古語の反語表現で「どうして〜であろうか、いや〜ではない」を意味します。「種」はここでは「血統・家柄・身分的資格」を指し、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」は、世襲的な特権の自然化を打ち消し、政治秩序を人為的・可変的なものとして再提示する言い回しです。短い一句ですが、三つの効果を備えています。

第一に、恐怖の反転です。秦法の下で最も怖ろしいのは「死罪」です。陳勝は「どうせ遅参で死ぬなら、賭けに出て生き延びよう」とリスク計算を提示し、恐怖を行動に変換しました。このとき「王侯将相」は、到達目標であると同時に、既存秩序の象徴でした。「彼らは生まれつきではなく、なっているだけだ」という相対化が、恐怖の止め金を外しました。

第二に、共同体形成の言語です。蜂起は個人の賭けでは存続しません。多くの無名の徴発兵・農民に「自分ごと」としての意義を与える必要がありました。この言葉は、特別な血統に欠ける自分たちにも政治参加の資格があるという自己肯定を与え、蜂起の「我々」を作り出しました。平等の理念というより、機会の扉をこじ開ける合図として機能したのです。

第三に、正統化の布石です。反乱は常に「不義」の疑いを受けます。そこで陳勝は、瑞兆や予言、過去王朝(楚)の名を借りるなど、伝統的象徴資源を積極的に動員しました。「いずくんぞ種あらんや」は、その理論的核となる一句で、「神授の血統」ではなく「天命の帰趨(民意や成功)の結果」で支配は決まるのだ、という天命思想に接続しやすい構図を与えました。

史料と用語上の注意――『史記』『漢書』の叙述、原文・読み・用法

この句は、司馬遷『史記』の「陳渉世家」に典拠があると一般に理解されますが、細部には後代の潤色や異伝が絡みます。『史記』は陳勝蜂起の物語をドラマティックに記し、言行録としての体裁を整えていますが、実際の口語がそのまま記録されたのか、作者による演出が含まれるのかは断定できません。『漢書』「陳勝項籍伝」でも関連エピソードが再録され、秦末動乱の代表的標語として定着します。

原文は「王侯将相寧有種乎」で、「寧(むしろ/ねがわくは)」が反語の助辞として働き、「〜であろうか、いや〜ではない」の意を添えます。日本語の慣用では「いずくんぞ(安んぞ)」が補われ、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と訓読されます。現代中国語でも「王侯将相宁有种乎」は成句として知られ、社会的流動性・既得権批判の文脈でしばしば引用されます。

用法上の注意として、この句は「能力主義の全面肯定」と同義ではありません。陳勝自身は蜂起後に急速に王権を装い、旧来の身分秩序の否定よりも、自らの政権正当化へと素早く転じています。また、彼の統治は短期間で内紛・専断の批判を招き、急進と調整の両立の難しさを露呈しました。したがって、この句を単純に近代的平等主義へ直結させるのではなく、古代的天命観と実力主義の混合物として理解するのが適切です。

受容と影響――反権威の合言葉から、昇進の座右銘まで

この句は、秦末以降の農民反乱や地方挙兵の語彙に繰り返し現れます。後漢末の群雄割拠や隋末唐初の動乱でも、出自を問わず英傑が名乗りを上げる際の精神的スローガンとして回想されました。宋・元・明・清の講談・戯曲・章回小説は、陳勝のエピソードを「豪傑の第一声」として再演し、庶民文化に広く浸透させます。近代以降も、科挙廃止と学校制度の普及、軍の近代化、革命運動の拡大とともに、出自に対する挑戦の象徴語として再解釈されました。

他方で、体制側もこの句を完全には否定しきれませんでした。統治の安定には、限定的な社会移動と能力登用が不可欠だからです。科挙の理念(家柄ではなく試験による選抜)や、功績による爵賞の制度は、古典的にはまさに「種」によらない登用の論理です。つまり、この句は反体制の標語であると同時に、国家が掲げる正統な登用理念とも矛盾しない両義性を持ちます。この両義性こそ、句が長く生き延びた理由です。

現代日本語では、努力や野心を鼓舞する座右銘として引用されることが多い一方で、「既得権への怨嗟」と短絡して用いられる危うさもあります。歴史的にこの句は、現実の組織論・リーダーシップ論とは別に、急速な動員や一斉蜂起のための「過激な平等言説」として機能しました。したがって、引用の際には、集団の持続的運営・制度設計・チェックアンドバランスという観点を補い、単発の煽動語として消費しない姿勢が望ましいです。

最後に、この句は「志(こころざし)」の価値を可視化します。出自・境遇の差が大きい社会において、志を持つこと自体が政治的行為であり得る、というメッセージは、時代と場所を超えて有効です。ただし、志だけでは秩序は保ちません。志を制度へ、意気をガバナンスへと翻訳する回路がなければ、陳勝の短命政権のように熱狂は疲弊へ転じます。歴史は、その両端を余すところなく示しています。