欧州通貨制度 – 世界史用語集

欧州通貨制度(European Monetary System, EMS)は、1979年に欧州共同体(EC)諸国が導入した為替安定の枠組みで、域内通貨の為替相場を一定の変動幅内に収め、物価・金融政策の協調を進めることを目的とした制度です。中心装置は為替相場メカニズム(ERM)と、通貨バスケットであるECU(European Currency Unit)でした。EMSは、ブレトン=ウッズ体制崩壊後の為替の不安定と、域内市場統合を両立させるための「橋渡し」として設計され、1990年代の危機と調整を経て、最終的に欧州経済通貨同盟(EMU)・ユーロ導入(1999年)へと接続します。以下では、成立背景と制度設計、運用と危機、政治経済的意義、EMU・ERMⅡへの継承という観点から、歴史と用語の要点をわかりやすく整理します。

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成立背景――「スネーク」からEMSへ、為替安定を取り戻す試み

1971年のドル=金交換停止(ニクソン・ショック)と1973年の主要通貨の変動相場制移行により、欧州域内の為替は大きく揺れました。域内市場の一体性を守るには為替の過度な変動を抑える必要があり、EC諸国は1972年に「通貨スネーク(スネーク・イン・ザ・トンネル)」と呼ばれる協定で、対ドルの変動幅(トンネル)と域内相互の変動幅(スネーク)を制限しようとしました。しかしオイルショックや各国のインフレ格差で参加と離脱が相次ぎ、安定的枠組みとしては力不足でした。

そこで1978年、仏独を中心に「EMS創設」合意がまとまり、1979年3月に稼働します。理念的には、1970年のヴェルナー報告(将来の通貨同盟構想)と、域内市場完成を見据えた段階的統合の一環でした。制度は、(1)為替相場メカニズム(ERM)、(2)ECUバスケットと乖離指標(ダイバージェンス・インジケーター)、(3)短期・中期の流動性支援装置(域内の金融協力)を中核に据えました。

制度設計――ERM・ECU・クレジットの三本柱

ERM(為替相場メカニズム)は、参加通貨が相互の中心レート(パリティ)を定め、通常±2.25%(一部弱い通貨は±6%)の変動バンド内に収める仕組みでした。域内である通貨が上限・下限に近づけば、当該国と相手国(しばしば複数の相手)が協調介入や金利調整で是正します。中心レート自体は、経済ファンダメンタルズの変化に応じて「リアライメント(平価調整)」が可能で、1980年代には何度かの協調的切り上げ・切り下げが行われました。

ECU(欧州通貨単位)は、加盟諸通貨の加重平均で構成されたバスケット通貨で、会計単位・乖離測定の基準として機能しました。公的部門の決済・債券発行の単位として用いられ、民間でも「プライベートECU」建ての金融商品が生まれます。ECUに対する各通貨の乖離度合いは「ダイバージェンス・インジケーター」で監視され、一定の閾値を超えると政策当局に是正のシグナルを出す設計でした。

域内クレジット・協調装置としては、超短期の資金繰りを支える「ベリー・ショートターム・ファイナンシング(VSTFF)」、短期的な収支悪化に対応する「短期金融支援(STMS)」、より構造的な不均衡に対応する「中期金融支援(MTFA)」などが整備され、介入に伴う外貨不足や一時的な収支圧力を緩和しました。これらは、為替平価の信認を下支えする安全網でした。

運用上の実態として、ドイツの物価安定志向とブンデスバンクの信用力が「アンカー(錨)」の役割を果たし、他国は独金利に自国政策を合わせる傾向が強まりました。これが「ドイツマルク・ゾーン」的な非対称性(中心—周辺)を生み、後述する危機時に顕在化します。

運用の現実――リアライメントの時代から「強いフラン」へ

EMS初期(1979〜1987年)は、インフレ・賃金上昇・生産性の差が大きく、イタリア・フランス・ベネルクスなどで繰り返しリアライメントが行われました。イタリア・リラはしばしば下方調整、オランダ・ギルダーやデンマーク・クローネはドイツに密着、フランスは政権交代や政策転換(1983年の「現実に向き合う転換」)を経て、次第に切り下げ依存から脱却していきます。

1987年以降、「一市場」完成(単一欧州議定書)や資本移動の自由化が進むと、為替制度の信認を高めるためにリアライメントの回数は減り、「強いフラン(フラン・フォル)」政策のもと、フランスはドイツに金利・インフレを合わせる戦略を採用しました。スペイン、ポルトガルはEC加盟後にERMへ段階的に参加し、ギリシャはEC加盟(1981)と別にERM本体への参加は遅れました。英国は1990年に参加しますが、これが後の危機で焦点となります。

1992–93年のERM危機――投機攻勢、ブラック・ウェンズデー、バンド拡大

1992年、マーストリヒト条約署名で将来の通貨同盟が制度化される一方、ドイツは統一(1990)後のインフレ懸念で高金利を維持し、他国は景気後退の中でも高金利追随を迫られました。加えて、デンマーク国民投票での条約否決(初回)、フランス国民投票の薄氷の可決など、政治的不確実性が信認を揺さぶります。市場は「固定相場の弱点」を狙い、英ポンドと伊リラに集中攻撃を仕掛けました。

1992年9月の「ブラック・ウェンズデー」で、イングランド銀行が巨額介入と金利急騰で防戦するも、ポンドは下限維持に失敗し、英国はERM離脱。イタリアは同月、ERM参加を一時停止して為替調整に転じます。危機はスペイン・ポルトガル・フランスにも波及し、1993年8月には、各通貨の許容変動幅が一挙に±15%へ拡大されました。これは事実上の「柔らかい固定相場」化で、制度のギアを緩めることで投機圧力をいなす選択でした。

この危機は、「不可能の三角形(為替安定・資本移動の自由・独立した金融政策の三立は不可能)」の古典命題を、欧州が自ら体験した瞬間でした。資本自由化の中で為替固定を守るには、各国が金融政策を事実上共有するか、完全な通貨統合に進むほかない――という「統合の論理」が、政治的意思決定を後押しします。

政治経済的意義――信頼装置・規律装置としてのEMS

EMSは、域内市場の深化に不可欠な為替安定を提供すると同時に、マクロ経済の「外的アンカー」として機能しました。各国は、インフレ抑制や財政規律をEMSの枠で誓約し、通貨下落(切り下げ)に頼らない競争力強化――いわゆる「ノムラル・デヴァリュエーション(名目切り下げ)からリアル・コンバージェンスへ」の発想に切り替えました。とりわけフランスの「強いフラン」政策は、ドイツとの物価・金利収斂を通じ、将来の通貨統合への準備行動となりました。

同時に、EMSは非対称性を内包しました。独ブンデスバンクの独立と反インフレの信用が事実上のベンチマークとなり、他国の金融政策の裁量が狭まる「従属的固定相場」の色彩を帯びました。この非対称性は、政治的には「共同のルール」へ昇華され、マーストリヒト収斂基準(インフレ・長期金利・財政赤字・債務・為替安定)という数値規律の言語に翻訳されます。

EMU・ユーロへの継承――ERMⅡとデンマークの狭幅運用

1989年のドロール報告が三段階の通貨同盟移行を提示し、1992年のマーストリヒト条約が法的枠組みを整備すると、EMSは「最終段階への助走路」として位置づけられました。1999年1月、単一通貨ユーロが導入され、欧州中央銀行(ECB)が発足、参加国通貨の相互為替は不可逆的に固定されます。ECUは1:1でユーロに置き換えられ、計算単位から本物の通貨へと昇格しました。

ユーロ導入後は、ユーロ未採用国の通貨をユーロに連結する「ERMⅡ(為替相場メカニズムⅡ)」が設けられ、原則として±15%の変動幅の中で中央パリティを維持します。デンマークはユーロ非採用ながら、ERMⅡで±2.25%の狭いバンドを自発的に採用しており、事実上の硬直連結を通じて物価安定と貿易の予見可能性を確保しています。ギリシャはユーロ導入直前にERMⅡ参加を経て収斂を確認し、スロベニア、スロバキア、バルト三国などもユーロ採用前にERMⅡを通過しました。

学習の整理――頻出用語と理解のコツ

試験・授業で押さえるべきキーワードを簡潔に整理します。①通貨スネーク(スネーク・イン・ザ・トンネル)とその限界、②1979年のEMS発足、③ERM(中心レート・変動バンド・協調介入・リアライメント)、④ECU(通貨バスケット・会計単位・ダイバージェンス指標)、⑤ブンデスバンクのアンカー/ドイツマルク・ゾーン、⑥1992–93年ERM危機(英国離脱・伊停止・±15%への拡大)、⑦マーストリヒト条約・収斂基準、⑧ユーロ導入とERMⅡ、の流れです。

理解のコツは、(A)為替制度の「三角形」(為替安定・資本移動・金融政策独立)の制約を常に意識すること、(B)制度が単なる経済技術ではなく、政治的信頼装置・規律装置でもあること、(C)中心と周辺の非対称性が危機局面でどう現れるかを具体例(英・伊・仏・デンマーク)で追うこと、の三点です。EMSは失敗の歴史ではなく、「不完全な固定相場」を通じて通貨同盟へ至る過程の試行錯誤でした。

まとめの位置づけ

欧州通貨制度(EMS)は、変動相場時代に域内統合を前進させるための現実解として生まれ、為替の安定、インフレ抑制、政策協調を促す枠組みとして二十年弱にわたり機能しました。1992–93年の危機は制度の弱点を露呈しましたが、同時に完全通貨統合への政治的決断を後押しする触媒となり、ユーロという「不可逆の固定」へと歴史を進めました。ECUからユーロへの連続、ERMからERMⅡへの継承は、EMSが単なる過去の制度ではなく、現在の欧州金融秩序の基礎をなす「見えない骨格」であることを示しています。欧州統合を学ぶうえで、EMSは理論(国際金融の制約)・制度(為替枠組み)・政治(信認・規律)の交差点であり、過去の危機の経験は今なお政策判断の背景として息づいています。