カーバ聖殿は、サウジアラビアのメッカにある立方体状の聖所で、イスラーム世界の信仰と祈りの焦点です。ムスリムは世界のどこにいても礼拝の向き(キブラ)をカーバの方向に合わせ、巡礼(ハッジ、ウムラ)では聖殿の周囲を反時計回りに巡るタワーフを行います。外観は黒い覆布(キスワ)に覆われた石造の建物で、東角には「黒い石(ハジャル・アル=アスワド)」が嵌め込まれ、北西側には半円形の低い囲い「ヒジュル・イスマーイール(ハティーム)」が付属します。預言者イブラーヒーム(アブラハム)とその子イスマーイールが建てたと伝えられ、古来アラビアの宗教的中心でした。イスラーム成立後はムハンマドが偶像を排し、唯一神信仰の象徴として整えられます。以後、洪水や火災、戦禍を経て幾度も修復・改築され、現在まで守られてきました。以下では、構造と聖所配置、成立伝承と歴史的変遷、宗教儀礼と象徴、管理と保護・近代の整備という観点から、カーバ聖殿の要点をわかりやすく解説します。
構造・位置・附属要素――「立方体」の周りにあるもの
カーバは大理石と花崗岩を主材とする直方体に近い建物で、四隅はおおよそ東(黒石の角)、北(イラクの角)、西(シリアの角)、南(イエメンの角)と呼ばれます。高さは十数メートル規模で、基壇には白い大理石が巻かれています。外壁上部には金色の雨樋(ミザーブ)が突き出し、屋根に降った雨水を北西側へ流します。出入り口は東側にあり、地表から高く持ち上げられているため、通常は可動式の階段を使って開閉されます(内部公開は限定的です)。
聖殿の周囲には、巡礼の導線と象徴を担う複数の要素があります。第一に、半円形の低い石囲い「ヒジュル・イスマーイール(ハティーム)」です。これは古代にカーバの基壇に含まれていた部分とされ、囲いの内側での礼拝は、カーバの内部で祈るのと同等とみなされます。第二に、東側に立つ「イブラーヒームの立ち所(マカーム・イブラーヒーム)」です。ガラス枠に収められた石面には足跡状の窪みがあり、巡礼はここで二礼を捧げます。第三に、「黒い石(ハジャル・アル=アスワド)」です。これは銀枠で東角の高さに嵌め込まれ、タワーフの開始点の標識でもあります。第四に、地下には「ザムザムの泉」があり、飲水と清めの水として重視されます。
カーバを覆う黒い覆布は「キスワ」と呼ばれ、金糸のカリグラフィでコーラン章句が刺繍されます。キスワは毎年巡礼季に合わせて新調され、旧キスワは分割して保管・下賜されます。覆布の上半には金文字帯(ヒザーム)が巻かれ、扉上には飾り布(サトル)が垂れます。これらの意匠は信仰の文言を可視化し、聖性を視覚的に強調します。
成立伝承と歴史的変遷――前イスラームからイスラームへ、そして修復の時代
イスラームの伝承によれば、カーバはイブラーヒーム(アブラハム)とイスマーイールが唯一神アッラーに捧げる聖所として建て、周囲に巡礼のための印を置いたとされます。アラビアの古代では、メッカは交易キャラバンの結節点であり、カーバは多神の偶像を祀る地域祭礼の中心でもありました。ムハンマドは生涯の後半、メディナで共同体を率いながら、当初はエルサレム方向に祈りましたが、のちに啓示に従ってキブラをカーバへ変更します。630年、ムハンマドはメッカへ入城して偶像を除き、カーバを唯一神信仰の中心として再聖別しました。
歴史的には、カーバは洪水・火災・武力衝突により複数回の損傷を受け、その都度修理・再建が行われました。預言者生前の若きムハンマドが、修復工事で「黒い石」を誰が据えるかをめぐる争いを、布に石を載せて各氏族代表が共に持ち上げる方法で調停した逸話は有名です。中世には930年、エジプト東方に拠点を置いたカルマト派(カラーマタ)がメッカを襲撃し、黒石を奪ってバーレーン方面へ持ち去る事件がありました。後年に石は返還されましたが、その際の損傷跡は今日の割れ目に反映していると伝えられます。
オスマン帝国期には、洪水被害を受けて16世紀後半から17世紀にかけて外装や屋根、基壇の強化が行われました。近代に入ってからも、豪雨と洪水への対策、周囲の大モスク(マスジド・ハラーム)の拡張、巡礼人口の増加に伴う導線整備が繰り返されています。20世紀後半以降、サウジアラビア王国は周辺の回廊・階層化通路(マターフ)の拡幅、空調・照明・清掃システムの更新を進め、近年は障がいのある巡礼者や高齢者の移動支援、群集安全対策の強化も行われています。
聖所の管理は、古くからカーバの鍵の保管・開閉儀礼を担う家系(一般にバヌー・シャイバ)が受け継ぎ、国家の宗教機関と協働して法と儀礼の秩序を保っています。ハラム(聖域)内では狩猟・伐採・戦闘の禁止など古くからの規定が維持され、非ムスリムの立ち入りは法的に禁じられています。これらの規範は聖域の静謐と象徴性を保つための枠組みです。
宗教儀礼と象徴――タワーフ、サアイ、祈りの向き
カーバを中心とする巡礼儀礼は、身体の動きと時間のリズムを通じて信仰を形にします。巡礼者はまず礼装(イフラーム)を整え、タワーフ(カーバの周囲を反時計回りに7周する巡回)を行います。開始点は東角の黒石で、可能であれば軽く触れたり、混雑時は遠くから手を挙げて挨拶の意を示したりします。タワーフの後、マカーム・イブラーヒームの近くで二礼(二ラクア)を捧げ、つづいてサファーとマルワの丘の間を往復するサアイ(7往復)を行います。これは預言者イブラーヒームの妻ハージャル(ハガル)が渇きの中で水を探し、ザムザムの泉を見出したという物語を想起させる儀礼です。
年に一度の大巡礼(ハッジ)では、さらにアラファート平原での立礼(ワクーフ)、ムズダリファでの夜の滞在、ジャムラートにおける悪魔投石(象徴的な石投げ)などの行程が続きます。これらは登場人物や場所の歴史的象徴に身を通して触れる行為であり、個人の悔悛と共同体の一体感を同時に強めます。巡礼の最後には動物犠牲の儀礼(クルバーニー)や髪を剃る行為があり、清めと再出発の意味が込められます。
カーバは日々の礼拝(サラート)の方角を定める「キブラ」の標です。創成期の共同体は当初、エルサレム(バイト・アル=マクディス)に向かって祈っていましたが、クルアーンの啓示によってカーバへと向きが改められました。それ以来、世界中のモスクの壁面やミフラーブ(祈りの窪み)はメッカ方向を指し示し、地図学・天文学・測量術はキブラの正確な算定に役立てられてきました。キブラの統一は、言語や習俗を異にするムスリム共同体を象徴的に結び、祈りを通じて世界を一本の線で結びます。
意味と評価――一体性の象徴、記憶と都市空間、保護と配慮
カーバ聖殿は宗教施設であると同時に、都市メッカの空間構造を規定する中心でもあります。聖殿を囲むマスジド・ハラーム(禁寺)は拡張を重ね、回廊・床面・礼拝スペースが増築されてきました。巡礼季には多国籍・多言語の人々が集い、礼拝の所作と言葉(タルビヤ、タクビール、タスビーフ)を共有します。ここで可視化されるのは、国家・民族・階層を越える一体性の感覚であり、カーバはその焦点として機能します。
一方で、群集安全、衛生、文化財保全、周辺の景観と生活の調和は常に重要な課題です。歴史的な建造物や碑跡の扱い、近代的な宿泊・交通インフラの整備、災害(洪水・火災・疾病)への備えは、聖所の尊厳と巡礼者の安全を同時に守るためのバランスを必要とします。近年は医療・救急動線、混雑予報の情報提供、バリアフリー導線、暑熱対策などが充実し、テクノロジーが宗教実践を支援する局面も増えました。
法と礼節の面では、ハラム(聖域)内の禁忌(狩猟・草木の採取・武力の行使の禁止など)と、イフラーム中の行動規範(香り、縫製衣の着用、爪・髪、夫婦関係の制限など)が重視されます。これらは自然と生き物を保護し、心身の集中を守るための知恵でもあります。非ムスリムの立ち入り制限に関しては、聖域の特別な宗教的地位に基づく規定であり、各国の旅行者は法令・標識に従う必要があります。
最後に、カーバ聖殿の価値は眼前の建築だけにあるのではなく、そこに向かう身体の動き、語り継がれた物語、共同体の記憶の総体に宿ります。黒い覆布、石の角、足跡の石、泉の水、反時計回りの流れ——これらの要素は、何世代にもわたり繰り返される実践の中で意味を深め、世界の果てからでも「同じ方向を向く」という経験を可能にしてきました。カーバは、イスラームの信仰を形づくる「座標軸」であり、人びとの時間と空間を結ぶ静かな中心なのです。

