旧制度(アンシャン・レジーム) – 世界史用語集

旧制度(アンシャン・レジーム)とは、おおむねフランス革命以前、特に17~18世紀のフランスに広がっていた政治・社会・経済の秩序をさす呼称です。王権のもとに中央集権が進みながら、同時に地域や身分ごとの特権と慣習が重層的に残る――この一見矛盾した仕組み全体が旧制度です。身分(聖職者・貴族・平民)の区分、課税や司法の不均衡、官職の売買や年金の網、それを束ねる絶対王政の行政と軍事が基本骨格でした。要するに、〈王の国家〉と〈特権の社会〉が共存する世界観のことで、革命はこの二つの結び目を断ち切る試みだったと理解すると、全体像がつかみやすいです。

以下では、定義と時代的範囲、身分秩序と統治の仕組み、経済と生活世界の実像、そして危機と崩壊への道筋を順にわかりやすく説明します。

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定義・時代的範囲――「王の国家」と「特権の社会」の重ね合わせ

旧制度という言い方は、もともと革命側の自己規定から生まれた後景照明のことばです。革命以後の人々が、過去の体制を「古い(アンシャン)」ものとして総称し、差異に富む諸制度をひとつの像にまとめ上げました。具体的な時代範囲は、ブルボン朝の形成(16世紀末)から革命の勃発(1789年)までを中心としますが、起点をフロンドの乱後のルイ14世時代に置く説明や、ルイ16世の改革期まで広げる説明もあります。重要なのは、旧制度が「停滞した一枚岩」ではなく、17世紀の戦争国家化、18世紀の啓蒙と行政改革、植民地拡張など、絶えず動く内部をもっていたことです。

旧制度の核心は二層構造です。第一に、王権の伸長と行政の専門化です。常備軍・官僚制・財政機構・国家教会的秩序(ガリカニスム)が整備され、官職保持者のネットワークが王令を地方に浸透させました。第二に、社会の側では、身分・職能・地域ごとの「特権(プライヴィレージュ)」が法的・慣習的に承認され、税、司法、通行、行商、工業、教育などに独自の権利と免除が張り巡らされていました。国家は特権を温存・活用しつつ、その上に君主の統合を被せたのです。

身分秩序と統治――三身分・王権・司法と行政のからくり

社会は原則として三身分(第一身分=聖職者、第二身分=貴族、第三身分=平民)に区分されました。第一身分は教会十分の一税徴収権や教会裁判権などを持ち、国家からも政治的配慮を受けました。第二身分は封建的権利(領主裁判・領主税・狩猟権など)や多くの免税特権を保ち、軍や高位官職の伝統的な供給源でした。第三身分は都市市民(ブルジョワ)から農民まで幅広く、法的地位も経済力も多様で、自治都市やギルド、特許状による特権市民層も含みます。つまり第三身分は「一つの身分」というより、特権を持たない者の総和に近かったのです。

王権は「神意の地上代理人」として正統化されましたが、同時に法の技術によって制御されてもいました。高等法院(パルルマン)は王令登録権を通じて抵抗(拒否権的「異議申し立て」)を行い、法の名において政治的交渉が行われました。各州の身分制議会(ランデ)や特許状都市は、地方社会の利害を代弁し、王権はこれらの場を通じて賦課・動員を調整しました。地方統治の要は「監督官(アンタンダン)」で、財政・司法・治安・公共事業の総合監督として王権の手足となりました。

人事と財政の面で重要なのが「官職売買(ヴェナリテ)」です。多くの公職が売買取引の対象となり、購入者は俸給・年金・身分上昇(貴族化)・司法的権限を得ました。これは国家の恒常財源として有効でしたが、職の世襲化と既得権の強化を招き、行政の硬直化につながります。軍は常備軍化し、士官層は貴族が多くを占めましたが、下士官・兵士は農村出身者が中心で、戦費は国家財政を圧迫しました。

教会と国家の関係は、ローマへの信仰的忠誠を保ちながらも、王権の優越(ガリカニスム)を重視する並存体制でした。教会は教育・救貧・医療を担い、社会統合の要でしたが、啓蒙の進展とともに聖職者特権への批判が強まります。貴族もまた一枚岩ではなく、宮廷に仕える「上位貴族」と地方の「法服貴族・剣貴族」、新興の富裕市民とのあいだに流動がありました。

経済と生活世界――農村・都市・ギルド、文化と植民地の影

経済の土台は農業でした。人口の過半が農村に住み、年ごとの収穫に生活が左右されました。農民は地代、什一税、王税(タイユなど)、労役(コルヴェー)に応じ、領主権や慣行法が地域ごとに異なる複雑さを示しました。地主・自作農・小作人・日雇いなど階層差は大きく、貨幣化の進展は村の内部格差を拡大させます。飢饉や穀物価格の高騰は都市の騒擾を招き、治安と価格統制(穀物警察)の対象となりました。

都市では、商業・金融・手工業が発達し、ギルド(同職組合)が生産と教育、品質管理を担いました。18世紀にはギルド制の硬直化と外部企業の勃興(家内工業の外注や資本の前貸し)が併存し、「プロト工業化」と呼ばれる農村・都市連関が強まりました。交通・運河・道路改革は、国内市場の統合を促し、国王の重商主義(コルベール主義)のもとで関税・独占・製造所保護が進みました。他方で、内国関税・通行税による市場分断、度量衡の不統一など前近代的要素も残り、経済圏の統合は不完全でした。

文化面では、宮廷文化とサロン、出版・パンフレット、百科全書派に代表される啓蒙の公共圏が育ちました。宗教的寛容、自然法、社会契約、権力分立、財産・幸福追求の権利といった理念が、学者・官僚・法律家・商人をつなぎ、批判の言語を共有させました。とはいえ、検閲と特許状制度のもとで、言論は常に政治の監視下にあり、狭間で高度な「間接話法」が発達したのも旧制度の特徴です。

帝国の外縁も忘れてはいけません。カリブ海やインド洋の植民地は砂糖・コーヒー・染料などの世界商品で繁栄しましたが、その基盤はアフリカからの奴隷貿易とプランテーションによる強制労働でした。旧制度の豊かさは、旧制度的暴力の上に築かれた側面を持ちます。植民地経済で蓄積した資本と嗜好文化(砂糖・コーヒー・チョコレート・タバコ)は、国内の消費文化を変え、都市のカフェやサロンの社交を支えました。

危機と崩壊――財政破綻、改革の試み、そして革命へ

18世紀後半、旧制度は構造的な限界に直面します。最大の問題は財政です。戦争の長期化(七年戦争・アメリカ独立戦争支援)で国債が膨張し、効率の悪い税制と免税特権が歳入基盤を弱めました。税を払わない層(特権身分や特定都市)が多い一方で、負担は農民・平民に偏り、徴税請負(フェルミエ・ジェネラル)の中間搾取も反発を招きました。

改革派の大蔵卿たちは、自由主義的な穀物流通の緩和、ギルド制・内国関税の見直し、土地・所得に広く及ぶ新税の創設、官職の整理などを試みました。しかし、パルルマンや身分議会、特権層の抵抗に遭い、王権は「法の名」の壁を突破できません。王の権威は絶対であるはずなのに、実際には各種の法的手続きと既得権の網が意思決定を縛る――これこそが旧制度の強みであり、同時に限界でした。

穀物不作や価格高騰、失業の増大は、都市と農村で騒擾とパン買い暴動を誘発しました。啓蒙思想は批判の語彙を提供し、印刷物と社交の回路は不満を連結しました。最終局面で、王権は「特権を審問するため」と称して全国三部会の招集を決断しますが、これは身分秩序そのものを公開の場に晒すことを意味しました。1789年、第三身分の代表たちは「国民」に名乗り、法の源泉の所在を王から国民へ移す「球戯場の誓い」へと進みます。以後、身分的特権の廃止、教会財産の国有化、地方行財政の再編、度量衡の統一など、旧制度の部品は次々に解体・置換されました。

とはいえ、革命がすべてをゼロから作り直したわけではありません。県(デパルトマン)や国民軍、ナポレオンの行政裁判所・高等官僚制など、多くの制度は旧制度期の行政技術・人材・発想の延長線にあります。旧制度は、否定されながらも別の形で生き続ける「過去としての現在」でもありました。

まとめれば、旧制度(アンシャン・レジーム)は、中央集権化した王権と、社会の無数の特権が絡み合う二層構造の秩序でした。繁栄と文化の成熟、戦争国家としての動員力、啓蒙と改革への志を備えつつ、同時に特権と不均衡、暴力と排除、財政の脆弱さを内包していました。革命はその結び目を断ち切ろうとした試みであり、近代の国家と市民社会の設計図は、旧制度との対話から立ち上がったのです。