更新世 – 世界史用語集

更新世(こうしんせい、英: Pleistocene)は、地球史の第四紀の前半に当たる時代区分で、おおよそ約258万年前ごろから約1万1700年前ごろまでを指します。地球規模の寒暖の揺れが大きく、氷期と間氷期が繰り返されたこと、人類(ヒト属)が誕生して文化と技術を段階的に発達させたこと、大型哺乳類の多様化と地域ごとの絶滅が進んだことが大きな特徴です。私たちが目にする多くの地形、たとえば扇状地、段丘、U字谷、モレーン、ローム層、砂丘、落葉広葉樹と針葉樹の帯状分布などは、この更新世の気候リズムと氷河の働きによって形づくられました。海面は数十メートル単位で上下し、現在は海の底にある陸橋(ベーリンジアや対馬海峡の陸化など)が現れては消え、人と動植物の移動の道になりました。更新世を理解することは、気候と生物、地形と人類史の結びつきを一枚の地図の上で見通すことにつながるのです。

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地質年代の位置づけと定義――第四紀前半の「揺れ幅の大きい地球」

更新世は、地質時代の区分で「新生代・第四紀」の前半に置かれ、後半の完新世(こんしんせい、Holocene)へと続きます。区切りは、海底堆積物や氷床コアに記録された気候指標(酸素同位体比など)が急変する層準を基準とし、国際層序委員会の決定により、更新世の開始は約258万年前ごろ、終わりは約1万1700年前ごろと定義されています。更新世はさらに古期・中期・後期に細分され、氷期の張り出し方や海水準の高さ、動物相の構成、石器文化の段階などに対応するかたちで、地理学・考古学・古生物学が横断的にこの時代を扱います。

更新世の別名として「氷河時代」という言い方が広く用いられます。ただし、厳密には更新世全体が寒いわけではなく、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が交互に訪れ、その繰り返しの総体が更新世の特徴です。氷期には北半球の大陸氷床(ローレンタイド氷床・スカンジナビア氷床など)が大きく拡大し、間氷期にはそれが縮退して、人間を含む生物の生息域と移動経路が変化しました。この「サイクル性」が更新世の鍵語です。

地球全体のエネルギーバランスは太陽活動や温室効果ガスの濃度、海陸分布、火山活動など多くの要因に左右されますが、更新世の寒暖リズムの主要因としては、地球の公転軌道と自転軸の傾きの周期的揺らぎ(ミランコビッチ・サイクル)が重視されます。歳差運動(約2万年周期)、地軸傾斜(約4万年周期)、離心率(約10万年周期)が重なり、日射量の地域差・季節差を変化させ、氷床の成長と融解、海洋循環、植生帯の南北移動を駆動しました。更新世は、この宇宙規模のメトロノームに合わせて、地表の環境が大きく揺れ動いた時代と言えます。

気候・海水準・地形――氷河と風が刻んだ風景の由来

氷期には、極圏から中緯度にかけて大陸氷床が拡張し、山岳地域には谷氷河が発達しました。氷は重力に従ってゆっくりと流れ、岩盤を削り取り、細かい岩粉(ロックフラワー)まで砕いて輸送します。その結果、氷の通った谷は断面がU字型に広がり、谷の出口や氷の末端にはモレーン(堆石堤)が段丘状に積み上がりました。氷河の下で削られた岩盤には、氷に押し流された礫や砂が擦りつけた条痕(ストリア)や羊背岩が残ります。日本アルプスやスイスの山岳地には、こうした氷河地形の典型がよく観察されます。

氷期には大量の水が氷として陸上に固定されるため、海水準は最大で100メートル前後低下しました。これにより、大陸棚が広く露出し、現在は海底に没している浅海域が草原やツンドラになりました。東アジアでは、対馬海峡や台湾海峡の一部が狭く浅くなり、陸橋のような役割を果たした時期がありました。北東アジアと北米の間には「ベーリンジア」と呼ばれる広大な陸化域が現れ、動物と人類の移動路になりました。間氷期に入って氷が融けると、海面は急速に上昇し、海岸線は現在に近い位置へと戻っていきます。世界各地の海岸段丘や砂丘、内湾の堆積物は、こうした海水準変動の履歴を物語っています。

氷が支配的だった地域以外でも、更新世の気候は地形と土壌を変えました。乾燥した寒冷期には、周氷河作用(凍結と融解の繰り返し)により、岩盤が割れ、岩屑の斜面や周氷河地形(ソリフラクション・ストライプ・アイスウェッジなど)が形成されます。風は氷河から運ばれた細粒の粉(ローム・黄土)を広域に飛ばし、黄土高原や日本の関東ローム層のような地層が厚く蓄積しました。火山活動の活発な地域では、火山灰がローム層と交互に堆積し、考古学の年代指標としても用いられます。更新世の風景は、氷・水・風・火の力が交互に筆を入れた重ね書きの画面なのです。

生物相と人類進化――大型哺乳類の興亡とヒト属の拡散

更新世の生物界は、寒冷と乾燥に適応した大型哺乳類(メガファウナ)が各地で栄えた時代でした。マンモス、サイ(ケナガサイ)、オーロックス(野生牛)、ヘラジカ、サーベルタイガー、ナマケモノ(南米の巨大地上性種)など、地域ごとに多彩な動物群が形成され、草原・ツンドラ・疎林がそれらの舞台となりました。氷期の終わりには、こうした大型哺乳類の一部が急速に姿を消し、地域ごとに絶滅が進みました。要因は複合的で、急速な気候温暖化による生息地の縮小、人類による狩猟圧、火の利用と景観改変などが相互に作用したと考えられています。

人類史の視点から見ると、更新世はまさに「ヒト属の時代」です。約250万年前ごろに石器を使うヒト属(ホモ)が現れ、原初的な礫石器(オルドワン)から、手斧に代表されるアシュール文化、さらに後期の細石刃・骨角器へと、技術は段階的に複雑化・精緻化しました。火の管理、衣服の着用、住居や洞窟利用、長距離の資源移動、象徴的表現(洞窟壁画や装身具)といった行動の革新も更新世に育ちました。後期には解剖学的現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカで進化し、ユーラシアへ拡散する過程で、ネアンデルタール人やデニソワ人など他のヒト族と交雑し、遺伝的痕跡を現代人へ残しています。

更新世の人類は、狩猟採集と採集経済を基本に、氷期の厳しい環境に合わせて柔軟に移動と季節利用を行いました。動物群の回遊に合わせてキャンプを張り替え、川や海で魚介を採り、根菜や野生穀物を集め、火で調理し、石や骨・角で道具を作りました。氷期のピークには、氷床の南縁に沿って比較的温和な「避難所(レフュジア)」が形成され、間氷期にはそこから生物と人々が再び広がりました。日本列島でも、シカやイノシシ狩猟を基盤とする石器文化が展開し、更新世末には磨製石斧や微小石刃、釣針・銛頭の原型となる骨角器が現れ、海岸線の変動に合わせて資源利用の幅が広がりました。

地域史への影響と完新世への移行――地形・資源・文化の土台

更新世の遺産は、後続する完新世の人類社会に深く刻み込まれています。まず地形面では、氷河・河川・海岸の作用で形成された段丘や沖積平野が、農耕に適した土地を提供しました。関東平野・濃尾平野・江戸前島のような平地や、信濃川・天竜川の段丘は、完新世の海面上昇で湿地化と塩水遡上が進む一方、後に治水と干拓によって耕地へと変わり、古代から近世にかけて地域社会の骨格となります。黄土高原の厚いロームは畑作を支え、同時に水食(浸食)に弱い土壌として保全と生産の両立を課題にしました。

資源面では、氷期に淘汰された森林と草原のモザイクが、薪炭・木材・狩猟・牧畜の基盤を作りました。石材や火山ガラス(黒曜石)、頁岩、チャートなどの石器原料は、更新世末の交易・移動ネットワークに沿って流通し、後の交易路と文化圏の原型を提供しました。海面の上下で露出・没水を繰り返した沿岸地帯は、貝塚や旧砂丘として考古学的記録を残し、古環境の復元の手がかりになります。

文化的には、更新世末の「後氷期的」温暖化が、定住化の前提を整え、完新世に入ると、一部地域で農耕・牧畜が発明・拡散しました。気候の安定化は、播種と収穫の予測可能性を高め、貯蔵・集落・儀礼の発達へとつながります。もっとも、地域によっては更新世からの揺らぎが尾を引き、乾湿の振幅が大きいエリアでは、遊牧・移牧・広域移動が長く続きました。更新世の「可変性に適応する文化」が、完新世の「安定に投資する文化」と並存し、交差したことを理解することが重要です。

最後に、更新世研究の方法にも触れておきます。年代測定は、火山灰層の同定、放射性炭素(^14C)の年代、光ルミネッセンス法、氷床コアや深海コアの同位体解析など、多様な手段を組み合わせます。花粉分析や珪藻・有孔虫の群集解析、樹木年輪の延長系列、古DNAの解析は、過去の気候と生物相を高解像度で復元する助けになります。こうした学際的手法が、更新世の気候リズムと生物・人類の応答を一本のストーリーに編み上げています。

総じて、更新世は、氷と風と海と人が織りなす動的な時代でした。寒冷化と温暖化の波に合わせて、生物は分布を変え、人は技術と社会の形を編み替えました。今日の私たちが立つ大地の輪郭、川と海の位置、森と草原の境、さらに言えば大陸間にまたがる人類の多様性の布置までもが、更新世の長いリズムの産物です。そのリズムを理解することは、現在の気候変動を過去のスケールの中に位置づけ、未来を考える手懸かりを与えてくれるのです。