シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤) – 世界史用語集

「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」とは、18世紀後半のドイツ語圏で起こった、若い作家たちを中心とする文学運動を指す言葉です。直訳すると「嵐と衝撃」あるいは「疾風怒濤」となり、理性よりも激しい感情、秩序よりも自由な表現を重んじる姿勢をよくあらわしています。世界史や文学史では、啓蒙主義の理性中心の考え方に対する反発として説明されることが多く、のちのロマン主義につながる出発点の一つとして扱われます。

この運動を支えたのは、青年期のゲーテやシラーをはじめとする、当時の「若手」作家たちでした。彼らは、古典的な規則に従った整った文学よりも、激しく揺れ動く若者の感情や、社会に対する反抗、自然の中で感じる圧倒的な力などを、ありのまま表現しようとしました。なかでも、『若きウェルテルの悩み』や『群盗』といった作品は、当時の若者たちに強い共感と衝撃を与え、ヨーロッパ各地で大きな反響を呼びました。

シュトゥルム・ウント・ドランクは、それ自体が長く続く運動というよりは、1770年代前後に集中的に現れた「一時期の熱気」や「世代のムード」を指すことが多いです。しかし、その短い期間に生まれた作品や考え方は、その後のドイツ文学やヨーロッパ文化に深い影響を残しました。この解説では、まず「シュトゥルム・ウント・ドランク」とは何かという基本的なイメージを整理し、次に歴史的背景と代表的な作家・作品を見ていきます。さらに、文学的な特徴や繰り返し現れるテーマ、その後の時代への広がりについて説明していきます。

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「シュトゥルム・ウント・ドランク」とは何か

「シュトゥルム・ウント・ドランク」という名称は、もともとフリードリヒ=マクシミリアン=クリンガーという作家の戯曲『シュトゥルム・ウント・ドランク』の題名から広まりました。のちに文学史の中で、この時期の若い作家たちの傾向をひとまとめにして呼ぶラベルとして定着し、現在では運動の名称として使われています。日本語ではドイツ語を音写した「シュトゥルム・ウント・ドランク」と、漢字で意味をとらえた「疾風怒濤」の両方が用いられます。

この運動の中心となったのは、1770年代ごろのドイツ語圏で活動していた若い知識人たちです。当時のドイツは、現代のような統一国家ではなく、多数の小さな領邦国家に分かれていました。政治の面でも文化の面でも、フランスなどの大国に比べて遅れているという劣等感があり、同時に「自分たちらしいドイツの文化を作りたい」という願望も強まっていました。

一方で、18世紀ヨーロッパ全体をおおっていたのは「啓蒙主義」と呼ばれる理性尊重の考え方です。理性によって世界を理解し、人間社会を合理的に改善していこうとする姿勢は、多くの領域で重要な役割を果たしましたが、その一方で、感情や個性、直感といった要素が軽視されるきらいもありました。シュトゥルム・ウント・ドランクの作家たちは、こうした空気に窮屈さを感じ、「理性だけでは、人間の本当の姿はとらえきれない」と考えるようになります。

その結果、彼らが目を向けたのが、人間の激しい感情や、自然の荒々しさ、社会の規則からはみ出した人物たちでした。整った形式の詩や劇よりも、叫びや嘆き、興奮がそのまま文章になだれ込んでいくような表現が好まれました。また、「天才(ゲニウス)」と呼ばれる、常識や規則に縛られず、自分の内なる声に従って行動する人物像が理想とされました。これは、芸術家や思想家だけでなく、自由を求める若者一般の心情と重なり合うものでもありました。

シュトゥルム・ウント・ドランクは、後世のロマン主義とよく比較されます。両者とも、理性より感情、規則より自由を重んじる点で似ていますが、ロマン主義がより広範な芸術運動・思想潮流として19世紀に展開していくのに対し、シュトゥルム・ウント・ドランクはより限定された時期と世代のムーブメントであり、「若き日の反抗期」とも言える性格を持っています。その意味で、のちに古典的な大家となるゲーテやシラーの「青年期の作品群」と結びつけて覚えておくと理解しやすいです。

歴史的背景と代表的作家・作品

シュトゥルム・ウント・ドランクの背景には、ドイツの政治的分裂と社会の変化があります。18世紀のドイツは、多くの小国家や領邦に分かれ、それぞれの領主が支配していました。市民階級が徐々に力をつけつつあったものの、身分制度や権威主義的な統治は根強く残り、青年たちは自由を求めながらも、その可能性がなかなか開けない状況に置かれていました。

こうした中で、若い作家たちは、書物の世界で自由を求め、自分たちの感情や理想を激しい形で表現しようとしました。彼らの多くは大学で法律や神学を学びつつ、文学や哲学にも熱中していました。ヤーコプ=ミヒャエル=ラインホルト=レンツなどは、当時の社会的不公正を告発するような戯曲や小説を書き、現実の世界と文学の世界をつなごうと試みました。

この運動における最大のスターは、やはりヨハン=ヴォルフガング=フォン=ゲーテです。彼の若き日の戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』は、中世末期の騎士ゲッツを主人公にした作品で、中央集権化の進む時代に抗う「自由な騎士」を描きました。ゲッツは、法や秩序の名のもとに行われる不正に反抗し、自らの信じる正義に従って行動します。その生き方には悲劇的な結末も伴いますが、理想に殉じる姿が若い読者の心をとらえました。

さらに有名なのが、1774年に発表された小説『若きウェルテルの悩み』です。この作品の主人公ウェルテルは、感受性が鋭く、自然を愛し、芸術を愛する青年です。しかし、彼は親しい友人の婚約者ロッテへの叶わぬ恋に苦しみ、社会的な役割や仕事にもなじめず、次第に行き場を失っていきます。最後には自ら命を絶つという結末を迎え、この小説はヨーロッパ各地で大きな衝撃と共感を生みました。読者の中にはウェルテルの服装を真似る者まで現れ、「ウェルテル・ブーム」と呼ばれる社会現象が起こったことでも知られています。

もう一人の重要な作家が、フリードリヒ=シラーです。彼の初期の代表作『群盗』は、名門の家に生まれながら不当に追放された長男カールが、社会の不正に怒り、盗賊団を率いて権威に反逆する物語です。作品の中で、自由や正義を激しく求めるカールの台詞は、当時の若者たちの鬱屈した気分と響き合い、大きな人気を博しました。舞台公演では観客の興奮が爆発し、劇場が騒然となることもあったと伝えられています。

このほか、思想面ではヘルダー(ヘルダーリンとは別人のヨハン=ゴットフリート=ヘルダー)が重要な役割を果たしました。ヘルダーは、それぞれの民族や言語には固有の価値があり、古代ギリシアだけでなく、民衆の歌や伝承にも深い意味があると主張しました。これは、ドイツ独自の文化や民衆の力を肯定する考え方であり、シュトゥルム・ウント・ドランクの作家たちに大きな影響を与えました。

このように、シュトゥルム・ウント・ドランクは特定の「同盟」や組織を持つ運動ではなく、互いに影響し合う若い作家・思想家たちのゆるやかなネットワークでした。彼らをつなげていたのは、理性中心の啓蒙主義への不満、権威への批判、そして生き生きとした感情表現への情熱だったと言えます。

文学的特徴とテーマ

シュトゥルム・ウント・ドランクの作品には、いくつか共通する文学的特徴があります。第一に挙げられるのは「激しい感情表現」です。登場人物は喜びや悲しみ、怒りや絶望を、時に叫びに近い言葉で吐き出します。文章のリズムも落ち着いたものではなく、感情の高まりに合わせて急に早くなったり、強い言葉や感嘆符が連続したりすることが多く見られます。

第二に、「社会の規則や権威への反抗」が重要なテーマとして繰り返されます。貴族や官僚、父親など、当時の社会で権力を持つ人物が、形式的な法や道徳を振りかざし、個人の自由や感情を押さえつける存在として描かれることがよくあります。これに対して主人公は、自分の内なる正義感や愛情に従って行動しようとしますが、その結果として社会からはみ出し、悲劇的な運命をたどることが多いです。

第三に、「自然の描写」が非常に重要な役割を果たします。穏やかな庭園ではなく、嵐の海、荒れた山々、深い森といった、人間の手では制御できない自然が好んで描かれました。主人公たちは、そのような自然の中で、自分の内面の激しさと外の世界の荒々しさが共鳴するのを感じます。タイトルの「シュトゥルム(嵐)」も、「自然の嵐」と「心の嵐」の両方を象徴していると考えることができます。

第四に、「天才(ゲニウス)」という観念があります。ここでいう天才とは、単に頭の良い人ではなく、規則や伝統に縛られず、内面から湧き上がるインスピレーションに従って生きる人物像を指します。シュトゥルム・ウント・ドランクの作家たちは、芸術家をまさにそのような存在とみなし、彼らこそが新しい時代の価値を切り開くと考えました。そのため、既存の詩や戯曲の形式を打ち破り、自由な構成や口語に近い表現が追求されました。

また、「世代間の対立」もこの運動の重要なモチーフです。若者と年長者、息子と父親、自由を求める個人と秩序を重んじる社会という構図は、『群盗』や多くの戯曲・小説で繰り返し登場します。これは単に家庭内の葛藤を描いているだけでなく、新しい価値観を求める若い世代と、旧来の体制を守ろうとする世代との衝突を象徴しています。

こうしたテーマや表現は、今日から見ると「やや極端」「感情的に振れすぎている」と感じられることもあります。しかし、その極端さこそが、当時の若者たちにとってはリアルな切実さを持っていました。彼らは、進歩的であるはずの啓蒙主義の社会が、実際には身分制度や権威主義を温存している状況に苛立ち、そこから抜け出す道を模索していたのです。シュトゥルム・ウント・ドランクの文学は、その模索の叫びを、ありのままの形で言葉にしたものだといえます。

その後のドイツ文学・ヨーロッパ文化への影響

シュトゥルム・ウント・ドランクの運動としてのピークは、1770年代から1780年代初め頃までと比較的短いものです。その後、ゲーテやシラーは「ワイマール古典主義」と呼ばれるより調和的でバランスのとれた作風へと進んでいきます。彼ら自身が、若き日の激しい表現を振り返り、そこに込められた力を保ちながらも、より普遍的で落ち着いた美を追求するようになったのです。

しかし、シュトゥルム・ウント・ドランクで培われた「感情の尊重」「個性の重視」「自然への憧れ」といった要素は、その後のロマン主義へと確実に受け継がれていきました。19世紀ロマン主義の詩人や作家たちは、しばしばシュトゥルム・ウント・ドランクの作家を先駆者として読み返し、自らの表現のルーツをそこに見出しました。つまり、シュトゥルム・ウント・ドランクは、ロマン主義という大きな潮流の「予告編」のような役割を果たしたと言うことができます。

音楽の分野でも、「シュトゥルム・ウント・ドランク様式」と呼ばれる表現が後から名づけられています。これは、ハイドンや初期ベートーヴェンの一部作品などに見られる、激しい感情表現や劇的な対比を指す言葉として用いられることがあります。厳密な意味で文学運動としてのシュトゥルム・ウント・ドランクと同一ではありませんが、同じ時代に似た感情の高ぶりや社会の緊張が、異なる芸術領域に並行して現れていたことを示す例として興味深いです。

さらに、「シュトゥルム・ウント・ドランク」という言葉自体が、一つの比喩表現として広く使われるようになりました。激しい変化や感情の嵐が吹き荒れる時代や状況を、「まさにシュトゥルム・ウント・ドランクの時期だ」と形容することがあります。日本語でも「疾風怒濤の青春」「疾風怒濤の時代」といった言い回しがあり、大きな揺れ動きの中で自分の道を模索するイメージが重なっています。

このように、シュトゥルム・ウント・ドランクは、単に18世紀ドイツの一文学運動という枠にとどまらず、「若い世代が理性中心の社会や古い権威に反発し、自分たちの感情や個性を強く主張する」という普遍的な経験を象徴する言葉としても理解することができます。そのため、この用語にふれるときには、歴史的な事実としての運動の中身とともに、「どのような思いを抱いた若者たちが、その言葉の背後にいたのか」という点にも目を向けておくと、より立体的にイメージすることができます。