親衛隊 – 世界史用語集

「親衛隊(しんえいたい)」という言葉自体は、本来は君主や政権指導者を直接護衛する精鋭部隊を指す一般名詞です。歴史上、ローマ皇帝の近衛隊やフランス皇帝ナポレオンの近衛軍、ロシア帝国の近衛連隊など、多くの国家に「親衛」的性格をもつ部隊が存在しました。しかし、世界史教育において「親衛隊」と言う場合、とくに重要なのはナチス・ドイツの武装組織「SS(エスエス、親衛隊)」です。ここでは主に、ナチ党およびヒトラー個人の護衛部隊として出発し、のちに警察・軍事・強制収容所運営などを一体化させた強力な抑圧機構へと変貌したナチス親衛隊について解説します。

ナチス親衛隊は、正式には「ドイツ親衛隊(Schutzstaffel)」と呼ばれ、「保護部隊・護衛隊」という意味を持ちます。1920年代半ば、ヒトラーの私的護衛部隊として結成された小さな組織は、ハインリヒ・ヒムラーの指導のもとで急速に拡大し、1930年代にはナチ党内のエリート組織として位置づけられました。1934年の「長いナイフの夜」で突撃隊(SA)の指導部が粛清されると、親衛隊は党内・国家内での地位を大きく高め、政敵の弾圧や秘密警察(ゲシュタポ)、強制収容所システム、さらには軍事部門である武装SSなどを統括する巨大な権力機構となりました。

以下では、まずナチ親衛隊の起源と成立、つづいて組織構造と役割(一般SS・武装SS・強制収容所など)、さらに弾圧とホロコーストにおける親衛隊の役割、最後に戦後の評価と歴史的意義について順に見ていきます。

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ナチス親衛隊の起源と成立

ナチス親衛隊の起源は、1920年代初頭のヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の中に求められます。当時、ナチ党は街頭での宣伝や政治集会を活発に行っており、その護衛と敵対勢力からの防衛のために「突撃隊(SA)」と呼ばれる準軍事組織を持っていました。SAは多くの下層中産階級や失業者を吸収した大衆的組織であり、その暴力性と独自の政治的野心は、やがてヒトラー自身にとっても脅威となっていきます。

このような状況の中で、ヒトラーの身辺警護と忠誠心の高い精鋭部隊を必要とする声が高まりました。1925年、ヒトラーは自分の私的護衛隊として小規模な「親衛隊(SS)」を組織します。当初の親衛隊はわずかな人数の私兵グループにすぎず、主な任務はヒトラーの警護と党大会などの儀礼における護衛でした。しかし、その選抜基準はSAよりも厳格で、忠誠心・規律・身分や「人種的」条件(ナチス独自の人種主義的基準)が重視されました。

親衛隊を大組織へと育て上げたのが、1929年に親衛隊全国指導者となったハインリヒ・ヒムラーです。ヒムラーは、親衛隊を単なる護衛部隊から、ナチス国家の中核を担う「エリート・オーダー(騎士団)」へと変えることを目指しました。彼は、親衛隊員に対してナチス・イデオロギーへの徹底した信仰とヒトラーへの絶対的忠誠を要求し、厳しい訓練と規律を課しました。また、親衛隊員の「血統」を重視し、祖先調査や「アーリア人」優越思想を徹底させることで、ナチスの人種政策の実験場ともなっていきます。

1933年にナチスが政権を掌握すると、親衛隊の役割は大きく拡大しました。ヒムラーは、バイエルン州警察長官などの地位を兼ねて警察組織に浸透し、やがて秘密国家警察(ゲシュタポ)や刑事警察を親衛隊の指揮下に置いていきます。こうして親衛隊は、党の私兵組織から国家の治安機構を掌握する組織へと変貌し、のちの恐怖政治の基盤を築きました。

1934年の「長いナイフの夜」は、親衛隊の権力拡大にとって決定的な出来事でした。突撃隊(SA)の指導者レームらがヒトラーにとって脅威とみなされると、ヒトラーは親衛隊に命じてSA指導部を一斉に逮捕・殺害させます。この粛清により、突撃隊は政治的に無力化され、ナチ党内の実力組織としては親衛隊が圧倒的な地位を占めるようになりました。この時点から、親衛隊は「政権の護衛部隊」を超え、対内弾圧と人種政策の中核機関としての道を歩み始めます。

組織構造と役割―一般SS・武装SS・収容所部隊

ナチス親衛隊は、時間とともに巨大で複雑な組織へと発展しましたが、大きく分けて「一般SS」「武装SS(ヴァッフェンSS)」「親衛隊髑髏部隊(トーテンコップフ)」などの部門に分かれていました。

一般SSは、党内のエリート組織として、政治的・イデオロギー的任務を担いました。彼らは制服を着用し、党大会・儀礼・集会などで秩序維持と威圧的な雰囲気づくりを行い、同時に警察機構や行政への人材供給源ともなりました。親衛隊本部は、情報・警察・人種政策・占領地統治など多岐にわたる部局を持ち、特にラインハルト・ハイドリヒが指導した「帝国保安本部(RSHA)」は、ゲシュタポや治安警察、情報機関を統合した恐怖支配の中枢でした。

武装SSは、親衛隊の軍事部門として編成された部隊で、当初は少数の儀礼的護衛部隊に過ぎませんでしたが、第二次世界大戦が進むにつれて大規模な戦闘部隊へと拡大しました。武装SSは、ナチス・イデオロギーへの忠誠と戦闘能力を兼ね備えた「政治的兵士」を志向し、最初はドイツ人志願兵を中心として編成されました。しかし戦局が悪化するにつれ、オランダ・ベルギー・フランス・バルト三国・ウクライナほか各地の志願兵・徴集兵も取り込まれ、国際色豊かな部隊となっていきます。

武装SSは、一部では精鋭部隊として高い戦闘能力を誇りましたが、その一方で戦時国際法を無視した残虐行為や住民虐殺にも深く関与しました。東部戦線では、パルチザン掃討や「治安維持」の名のもとに、多数の民間人が犠牲となっています。武装SSの一部部隊は、占領地でのユダヤ人虐殺や強制移送にも協力し、軍事組織でありながらホロコーストの実行部隊としての性格も帯びました。

親衛隊髑髏部隊は、強制収容所および絶滅収容所の管理・警備を専門とする部門でした。制服に髑髏章を付けていたことからこの名で呼ばれ、ダッハウ・ブーヘンヴァルト・アウシュヴィッツなどの収容所の運営を担当しました。髑髏部隊員は、収容者に対する暴力と非人道的処遇の日常化の中で、極端な倫理崩壊を経験し、多数の殺人・拷問・虐待に手を染めました。

このように、親衛隊は単一の組織ではなく、党エリート組織・秘密警察・軍事部隊・収容所管理機構などを内包する複合的な支配機構でした。その上に立つヒムラーは、内務大臣や警察長官の地位も兼ね、「警察国家」と「党独裁」を結びつけるキーパーソンとして振る舞いました。

弾圧とホロコーストにおける親衛隊の役割

ナチス政権下での親衛隊の最も暗い側面は、政治的弾圧とホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)への深い関与にあります。ナチス政権成立直後から、親衛隊とゲシュタポは、共産党・社会民主党・労働組合・キリスト教系反対派・知識人など、政権に批判的な勢力の逮捕・尋問・収容所送りに積極的に関わりました。特別裁判所や人民法廷と連携し、法的手続きの名を借りた政治裁判が行われました。

さらに、ナチスの人種主義政策の実行にも親衛隊は中心的な役割を果たしました。ユダヤ人だけでなく、ロマ(ジプシー)、精神障害者、同性愛者、政治犯、戦争捕虜など、「国家の敵」や「劣等人種」とされた人びとが、強制収容所・絶滅収容所に送り込まれました。とくに第二次世界大戦中、占領地ポーランドやソ連など東ヨーロッパ地域では、親衛隊の特別行動部隊(アインザッツグルッペン)が後方地域に展開し、銃殺・ガス車などによる大量殺戮を行いました。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ、トレブリンカ、ソビボル、マイダネクといった絶滅収容所は、多くが親衛隊の管理下に置かれました。そこでは、ユダヤ人のシステマティックな殺害がガス室や強制労働、飢餓・病気を通じて実行され、親衛隊はその企画・運営・監督を担いました。一部の親衛隊員は、解放直後に逃亡を試みたり偽名で暮らしたりしましたが、戦後の裁判でその犯罪責任が問われることになります。

親衛隊のイデオロギー教育は、こうした暴力行為を「政治的義務」「人種的使命」として正当化する役割を持っていました。隊員たちは、ユダヤ人やその他の標的集団を「非人間化」するプロパガンダに晒され、自分たちの行為を「祖国防衛」「民族の浄化」として理解するよう教え込まれました。この過程は、普通の人間がどのようにして残虐行為に加担しうるのかを考えるうえで、現代の歴史学や社会心理学の重要な研究対象となっています。

戦後の評価と歴史的意義

第二次世界大戦の敗北後、親衛隊は連合国側によるニュルンベルク裁判で組織そのものが「犯罪的組織」と認定されました。これは、個々の隊員の犯罪だけでなく、組織としての目的・活動内容が国際法上の重大な犯罪に当たると判断されたことを意味します。その結果、親衛隊の元隊員は、戦争犯罪・人道に対する罪・迫害などの容疑で多くが裁かれました。

とはいえ、戦後の混乱や冷戦構造の中で、全員が処罰されたわけではありません。多くの元親衛隊員が偽名で逃亡し、南米などに移住したケースもありましたし、西ドイツやオーストリアで一般市民として生活を続けた者もいました。1960年代以降、アイヒマン裁判やアウシュヴィッツ裁判などを通じて、改めて親衛隊の犯罪が国際的な注目を浴びるようになり、歴史的記憶としての「ホロコースト」が世界的に問題視されるようになりました。

歴史的意義として第一に挙げられるのは、親衛隊が「近代国家の行政・警察・軍事機構を統合した全体主義的抑圧装置」の典型例だという点です。親衛隊は、党の私兵組織から出発しながら、国家の警察権と軍事力を掌握し、「合法性」を装いながら反対派の抹殺と人種差別政策を実行しました。このことは、形式的な法制度や官僚機構が存在していても、それが民主的統制から切り離されれば巨大な暴力装置になりうることを示しています。

第二に、親衛隊の歴史は、「普通の人びと」が極端なイデオロギーと組織文化の中で、どのように加害者へと転じていくのかという問題を投げかけます。多くの親衛隊員は、もともと特別な「怪物」ではなく、社会の中流や下層出身の一般市民でした。彼らが、職業としての命令服従や出世欲、仲間との連帯、プロパガンダによる洗脳などの中で、次第に人間性を麻痺させていった過程は、現代社会における倫理教育や権力のあり方を考えるうえで重要な教訓を提供します。

第三に、ナチス親衛隊は、現代における極右・ネオナチ運動のシンボルとしても問題視されています。親衛隊の記章や制服、黒い装束は、一部の極右グループによって「反体制」や「白人至上主義」の象徴として用いられることがあります。多くの国では、こうしたナチス関係のシンボルの使用を法律で制限し、歴史の美化や歪曲を防ごうとしています。

世界史の学習で「親衛隊」という用語に出会ったときには、(1) 1920年代にヒトラーの護衛部隊として発足し、ヒムラーのもとで拡大したナチス親衛隊、(2) 一般SS・武装SS・収容所部隊などの複雑な組織構造、(3) 政治弾圧とホロコーストへの深い関与、(4) 戦後に犯罪組織と認定されたことと、その歴史的教訓、といったポイントをあわせて思い浮かべるとよいです。そのうえで、「親衛隊」が単なる軍事的精鋭部隊ではなく、イデオロギーと官僚機構が結びついた近代的暴力装置の象徴であることを意識すると、この用語の持つ重みがよりはっきり見えてきます。