ザンジバル – 世界史用語集

ザンジバルは、東アフリカのタンザニア連合共和国に属する半自治地域で、インド洋岸のウングジャ島(通称ザンジバル島)とペンバ島、周辺の小島から成る諸島を指します。世界史的には、インド洋交易の十字路として、香辛料・象牙・金・奴隷などが行き交い、アラブ、ペルシア、アフリカ、インド、後にはヨーロッパの多様な人々が出会い、スワヒリ文化を育んだ場所として知られます。オマーンの影響下でザンジバル・スルタン国が成立し、19世紀には「香料の島」としてクローブ(丁子)の大生産地となりました。植民地期にはイギリス保護領となり、1964年の革命を経てタンガニーカと合併しタンザニアを形成します。今日のストーン・タウンはユネスコ世界遺産に登録され、迷路のような路地、彫刻扉、回廊付きの家々、モスクやヒンドゥー寺院が織りなす景観が、インド洋世界の歴史を今に伝えています。以下では、地理と環境、歴史の展開、社会・文化・経済、近現代政治と自治の枠組みという順で、ザンジバルの実像を分かりやすく整理します。

スポンサーリンク

地理・環境—インド洋モンスーンの舞台

ザンジバル諸島は、タンザニア本土のダルエスサラームやトゥウィガ周辺の沿岸から東方に位置し、最も大きな島がウングジャ島、次いでペンバ島です。海峡は浅瀬と潮流が入り組み、サンゴ礁が島々を縁取り、内側にラグーンを形成しています。季節風(モンスーン)がもたらす風と海流のリズムは、古来、アラビア半島・グジャラート・コロマンデル・マラバル海岸からの帆走を可能にし、インド洋交易のカレンダーを刻んできました。植生はココヤシ、バオバブ、マンゴーなどの樹木と、沿岸のマングローブ林が特徴的で、内陸には香辛料園(クローブ、ナツメグ、シナモン、コショウなど)が広がります。珊瑚石灰岩台地は、石造建築の材料としても用いられ、ストーン・タウンの白い壁と重厚な木彫扉は、海と森の資源の結晶です。

気候は熱帯性で、雨季(「長雨」・「短雨」)と乾季が明瞭です。モンスーンは農作と航海に直結し、香辛料園の収穫や、ダウ船(伝統帆船)の寄港時期を左右しました。豊かな漁場は、サバ科やカツオ、リーフフィッシュ、イカ・タコなど多様な水産資源を育み、沿岸の村々は潮汐と月齢に合わせて生活のリズムを刻みます。

歴史—スワヒリ都市国家からスルタン国、植民地、統合へ

ザンジバルの歴史は、スワヒリ文化圏の海上都市に共通する多層的な出自を持ちます。中世以来、アフリカ東岸には、アラブ・ペルシア系の移住者とバントゥ系在地民の通婚と交易活動を通じて、イスラームを背景にした都市国家群(キルワ、モンバサ、モガディシュなど)が発達しました。ザンジバルもその一角として、港市が独自の文字文化(アラビア文字によるスワヒリ語文書)と交易慣行を育み、東アフリカ内陸の象牙や奴隷、金、木材、香木と、インド・中東からの綿布、ビーズ、金属製品、香辛料を結ぶ結節点となりました。

16世紀にはポルトガルがインド洋航路を制し、要塞と関税制度を通じて東アフリカ沿岸を支配下に置きます。しかし17世紀になると、オマーンのヤアールバ朝がポルトガル勢力をおし戻し、マスカットを拠点に紅海から東アフリカを結ぶ交易網を再構築しました。18世紀末から19世紀にかけて、オマーンのブサイード朝は、ザンジバルと内陸(タンガニーカ高地、ニヤサ・タンガニーカ湖方面)を結ぶ象牙・奴隷の供給線を掌握します。スルタンのサイイド・サイードは1840年代に政治の中心をマスカットからザンジバルへ移し、クローブ栽培を大々的に奨励しました。湿潤な気候と世界的需要の高まりが相まって、ザンジバルは「香料の島」として繁栄し、アラブ系の荘園主とアフリカ系の労働(しばしば奴隷労働)が結びつくプランテーション経済が拡大します。

この繁栄は、同時に奴隷貿易の巨大な中継地としての側面を強めました。内陸のニャムウェジやヤオなどの交易者や勢力が捕縛した人々が、大湖沼地域から沿岸へと連行され、ザンジバル市場で売買され、アラビア半島、ペルシア湾岸、インド洋の島々へ送られました。19世紀後半、英国は反奴隷貿易の名目と帝国戦略を重ねながら、この地域への関与を深めていきます。条約と海軍行動、租借・保護条約を通じて、ザンジバル・スルタンの外交・関税権は次第に制限され、沿岸と島々は英独の勢力圏分割(ヘルゴランド=ザンジバル条約など)の対象となりました。

1896年には、スルタン継承をめぐる英側との対立が短時間の武力衝突に発展し、史上最短の戦争とも称される事件が発生します。英国の軍艦砲撃を受けた宮殿側が数十分で降伏し、以後、ザンジバルは英国保護下で統治機構の改革と奴隷制廃止の過程を歩みます。20世紀に入ると、奴隷制は法的に終息に向かい、労働は契約・小作・賃労働へと再編され、クローブを中心とする香辛料輸出はなおも重要な収入源であり続けました。

第二次世界大戦後、アフリカの民族自決の潮流が沿岸部にも押し寄せ、政治組織と民族・階層の対立が先鋭化します。1963年、ザンジバルは英国から独立(立憲君主制)しますが、翌1964年1月の革命で王制は打倒され、社会構造の急激な転換が図られました。同年4月には、タンガニーカと連合条約を結んで「タンザニア連合共和国」が成立し、ザンジバルは高度の自治を保つ半自治地域となりました。これは、海洋国家としての独自性と、東アフリカ広域の政治経済圏への参加を両立させる折衷的な選択でした。

社会・文化・経済—スワヒリの都、ストーン・タウンと香辛料

ザンジバルの文化的象徴は、何と言ってもウングジャ島の旧市街「ストーン・タウン」です。狭い路地に石造の家屋が密集し、バルコニーと回廊、幾何学模様の格子、コーラルラグーンの石を積んだ壁、そして複雑な金属打出しと木彫で飾られた扉が連なります。モスクの尖塔とドーム、礼拝時刻を知らせる声、インド系の寺院や商館、旧スルタン宮殿(現博物館)や「驚きの家(House of Wonders)」の壮麗なファサードは、イスラーム、インド、欧州、アフリカの意匠が混淆した独特の景観を成しています。スワヒリ語はここで成熟し、詩や年代記、商業文書が書かれ、音楽(タラブ)や婚礼儀礼、料理(ピラウ、ビリヤニ、ザンジバル・ピザ)に多文化の痕跡が息づいています。

経済の柱は、歴史的には香辛料と海運、近代以降は観光が加わりました。クローブは19世紀から20世紀初頭にかけて世界市場を席巻し、風乾された蕾の香りはザンジバルの代名詞となりました。ナツメグ、シナモン、カルダモン、黒胡椒などの栽培も行われ、香辛料農園(スパイス・ファーム)は現在、観光と教育の場にもなっています。漁業は、近海の小型漁船からダウ船による沿岸交易まで幅があり、乾物や塩蔵の伝統が生活に根付いています。観光では、歴史街区の散策、ダイビングやドルフィン・ウォッチング、白砂のビーチリゾート、香辛料ツアー、プリズン島(旧検疫島)などが人気です。

社会構造は、アフリカ系、アラブ系、インド系、コモロ系などの出自が重なり合い、職能や宗教、居住パターンに反映されてきました。イスラームが多数派ですが、キリスト教やヒンドゥー教、伝統的信仰も共存し、宗教祭礼と市場のリズムが日常を彩ります。衣装は、カンガやキコイ、カフタン、女性のヒジャブやブイブイ、男性のカンヂュなどが見られ、模様や色使いにはインド洋世界の交流が映し出されます。食文化では、香辛料とココナッツミルク、ライム、海産物が調和し、海の恵みと交易で得た食材が出会うテーブルが広がります。

近現代政治と自治—革命、連合、そして現在の課題

1964年の革命は、ザンジバル社会の階級・民族間の不均衡を背景に発生し、旧支配層の権威と土地所有の構造を崩しました。以後、ザンジバルは「革命政府(Revolutionary Government of Zanzibar)」を名乗り、連合政府(本土側)との二層構造で政治を運営しています。外交・国防・通貨などは連合政府の権限に属し、教育・保健・地方行政・文化など多くの分野はザンジバル側の自治に委ねられています。議会・大統領制の枠組みは持ちつつも、選挙をめぐる緊張や地域政党間の対立が周期的に表面化し、統治の正統性や包摂性が問われてきました。

経済面では、観光の季節性・外的ショックへの脆弱性が課題です。世界的な感染症や航空・燃料価格、気候要因に左右されやすく、雇用の安定性、若年層の機会創出、歴史街区の保全と商業開発のバランスが政策テーマとなっています。香辛料は依然としてブランド力を持ちますが、価格変動や小農の収益性、土壌管理・植栽更新、フェアトレードの仕組みづくりなど、持続可能性をめぐる課題も残ります。海面上昇と海岸浸食、サンゴの白化は、観光資源と漁業の双方に影響し、沿岸の保全と生活の両立が問われています。

文化遺産の保護も重要です。ストーン・タウンは、木造・石造の保存に高度の職人技と資材が必要で、住民の生活改善と観光需要に押されて原形が失われるリスクがあります。彫刻扉の再生、伝統建材の供給、住民参加の景観管理、無秩序な開発の抑制、公共衛生とインフラの改善など、多層の取り組みが継続課題です。他方、映画祭や音楽祭、文学イベントなど、文化活動が都市の魅力を高め、若い世代がスワヒリ文化の継承と再解釈に参画する動きも活発です。

地域安全保障の観点からは、インド洋の海上交通路と沿岸経済の安定が焦点になります。小規模漁業と違法漁業のせめぎ合い、麻薬・人身取引の抑止、海賊対策、海上保安体制の整備は、ザンジバル単独では完結しない課題であり、東アフリカ諸国や国際機関との協力が必要です。教育と医療へのアクセス、女性の社会参加と起業支援、伝統技能の継承と新技術(デジタル決済・観光予約プラットフォーム等)の導入は、地域社会のレジリエンスを高める鍵となります。

総合すると、ザンジバルは、インド洋世界の歴史・文化・経済の層が幾重にも重なり合う場所です。スワヒリ都市の迷路を歩けば、香辛料の香り、木彫扉の手触り、アザーンの響き、潮風とダウ帆の白さが、海の道が育んだ文明の厚みを体感させます。歴史は、交易と支配、抵抗と協働の連続であり、現在は、観光と保全、自治と連合、伝統と革新のバランスを探る過程にあります。ザンジバルを理解することは、アフリカ史とインド洋史、イスラーム史と植民地史、世界遺産保全と地域開発をつなぐ学びでもあります。過去の蓄積に敬意を払いながら、海と街の未来をどう描くか—それがこの島々の現在進行形の問いなのです。