「ザミンダール(zamindar)」とは、南アジアの歴史において土地と農民からの収入(地税・地代)を取りまとめ、国家へ納入する責務や各種の在地統治権限を担った有力者を指す語です。時代によって実態が変わりますが、要するに「国家と村落のあいだに立ち、税の徴収・治安・軍役・司法の一端を担った在地エリート」であり、近世ムガル帝国期には地域秩序の要、植民地期には法的に保護された地主(ランドロード)へと再定義されました。ザミンダールは単一の身分ではなく、王権との関係、軍役の負担、土地・水利の管理権、宗教・儀礼の後援など、多面的な権利と義務の束として現れます。以下では、用語の射程、成立と変容、制度的な位置づけ、地域差、社会的役割、そして研究上の注意点を、できるだけ分かりやすく整理します。
用語の意味と射程――「土地の保持者」という語の幅
「ザミンダール」はペルシア語由来の複合語で、「土地(zamin)+保持者・権限者(-dar)」の意味を持ちます。中世インド・イスラーム王朝の行政語彙のなかで広く用いられ、ムガル帝国(16〜18世紀)では、村落の徴税・治安・軍事動員を実務的に担う在地の有力者を総称することが多かったです。彼らは、単なる地主というより、慣行法(カスタム)に基づく村落秩序の媒介者であり、王権の収租システムの末端を組織する役割を負いました。
もっとも、ザミンダールはいつも同じ性格ではありません。王朝・地域・環境に応じて、(1)半独立的な小領主、(2)国家の委任を受けた収税官・治安責任者、(3)市場と結びついた徴税請負人、(4)宗教施設の寄進者・祭礼のパトロンなど、さまざまな顔を見せます。とくにムガル帝国の行政体系では、ザミンダールは「帝国の外」にある反権力というより、「帝国の内」に組み込まれた在地の支柱として位置づけられ、徵発や治安維持の責任を負い、違反時には懲罰の対象にもなりました。
ムガル期のザミンダール――徴税・治安・軍役を担う在地エリート
ムガル帝国は、広大な領域を維持するため、土地と生産を把握する調査、標準化された収租単位、台帳制度を整備しました。しかし最終的な徴収や現場の調整は、村落社会に根差した人々なしには機能しません。ここで要となったのがザミンダールです。彼らは耕作者から選定税率に基づいて地税を取りまとめ、一定割合を帝国財政へ納入し、残余を家臣団の維持や治安経費、儀礼経費に充てました。
ザミンダールには軍役義務が課されることが多く、必要時には騎兵・歩兵を動員して防衛や反乱鎮圧にあたりました。農耕と水利の管理、境界の紛争調停、交易路の保護、祭礼や公共工事の主催など、在地の「日常政治」を取り仕切るのも彼らの役目でした。村落の代表や長老(ムカッディム、パテール等)、文書・会計の専門職と連携し、租税の割付や徴収時期の調整を行うことで、国家の負担と農民の生活を接合しました。
同時に、ザミンダールは文化的パトロンとしても機能しました。寺院・モスク・サトラ(修行施設)・宿駅・タンク(貯水池)への寄進、年中行事の資金提供、詩人・学僧・音楽家の保護などを通じ、地域社会の精神的・文化的中心を支えました。こうした行為は、支配の正統性を可視化する象徴政治であり、在地の合意形成を促す装置でもありました。
植民地期の再定義――恒久和約と「地主」への法的変換
18世紀後半、ムガル帝国の権威が衰退するなかで、ヨーロッパ東インド会社が沿岸部から内陸へ影響力を広げました。ベンガルを制したイギリス東インド会社は、歳入(レヴェニュー)の安定確保を最優先課題とし、1793年に恒久和約(Permanent Settlement)を導入します。この取り決めは、ザミンダールに対して毎年一定額の税を「恒久」に課し、その納入を厳格に義務づける一方、土地から上がる超過収入をザミンダールの利益と認めるものでした。
この結果、ザミンダールは伝統的な在地エリートから、英国法秩序のもとで保護される「土地権利の主体」へと転換しました。所有権に近い強い権能(設定・譲渡・抵当・相続)を与えられ、税の不履行時には土地が競売にかけられる合理化も進みました。これにより、ザミンダール間の財産の集中と分散が市場メカニズムを通じて加速し、都市の商人や金融家が土地を取得して新たなザミンダール層に編入される現象も生じました。
ただし、英領インド全域が同じ方式に統一されたわけではありません。南西インドでは耕作者と国家が直接に納税関係を結ぶリヤートワーリー(Ryotwari)制、北・中部の一部では村落単位で負担を分けるマハルワーリー(Mahalwari)制が採用されました。ザミンダールの法的変換がもっとも強く進んだのはベンガル・ビハール・オリッサであり、他地域では在地慣行と植民地行政の妥協によって多様な折衷形態が生まれました。
ベンガルの恒久和約下では、ザミンダールは中間請負人(パタニ・タルクなど)を挟んで徴収を再委託し、村落の耕作者(リヤート)に地代を課しました。地税が公定で固定される一方、人口増と市場価格上昇による差益は主としてザミンダール側に帰属し、農民との格差が開きやすい構造が生まれました。インディゴ(藍)栽培やアヘン・黄麻など商品作物との関係では、前貸し契約や作付義務を通じて、ザミンダールと商人金融が結びつく局面が多く見られました。
権利の束としてのザミンダール――所有・徴税・使用・管理の重層
ザミンダールを理解するには、「権利の束(bundle of rights)」という視点が有効です。土地をめぐる権利は、(A)徴税権・割付権、(B)使用・収穫の権利、(C)境界・水利・林野の管理権、(D)転用・譲渡・抵当の権能、といった複数の層から成り立ちます。ムガル期には(A)(C)を中心に、慣行法と奉仕義務に裏打ちされた「人格的な」権威として現れましたが、植民地期には(D)が強化され、紙の上で取引可能な「物権」としての性格が前面化しました。
この重層性は、紛争の温床にもなりました。耕作者の占有継続権(オキュパンシー・ライツ)や再分配慣行、共同体の共有地の扱い、洪水・河道変化による新生地(チャール)の帰属など、細部での解釈が食い違い、訴訟が頻発しました。他方、権利の重なりは社会の緩衝材としても働き、凶作時に徴収を猶予したり、共同体が補完し合う余地を残す役割も果たしました。ザミンダールの裁量は、抑圧にも救済にも振れ得るという二面性を持っていたのです。
在地社会の実務では、ザミンダールの下に、村役(ムカッディム、パトワーリー)、会計役(カヌンゴー)、収税請負(タルクダーリー)など、多層の中間職が配置されました。彼らは播種暦と徴収期の調整、収穫の見積、量目の標準化、集荷と輸送、治安と訴願の受付などを担い、在地秩序を日々の運用で支えました。ザミンダールはこの網の目の結節点として、上下の交渉を取りまとめるリーダーだったといえます。
社会と文化における役割――パトロネージ、都市文化、ジェンダー
ザミンダールは経済だけでなく、社会・文化のパトロンでした。邸宅では音楽や舞踊、詩の朗誦、劇が興行され、宗教施設・学校・道路・貯水池の建設が支援されました。祭礼の主催と慈善は名望を高め、地域共同体を結びつける糊の役割を果たしました。19世紀には印刷出版や新聞、近代学校への出資も増え、都市文化の形成に寄与しました。彼らの美術工芸の蒐集や発注は、織物・銀器・象嵌・ミニアチュール絵画の需要を支え、工房の存続に影響を与えました。
ジェンダーの観点からは、ザミンダール家の女性が相続・持参金・信託(ワクフ)を通じて土地権益を保持し、宗教・慈善の後援者として地域に影響した例が少なくありません。女性が代理人を用いて訴訟を行い、地代徴収や教育施設の運営に関わる事例も確認されます。公的場面では不可視化されがちですが、家族と財産の管理において女性の役割は無視できない重さを持っていました。
地域差と周辺概念――タールクダーリー、ジャーギール、デーシュムフほか
ザミンダールと似た在地権力は各地に存在し、呼称や法的位置づけは多様でした。北インドではタールクダー(talukdar)が徴税請負と領主的権限を併せ持つ場合があり、デカンではデーシュムフ(deshmukh)やデーシャパーンデー(deshpande)が村落の調停・会計を担いました。南インドにはポリガール(poligar)と呼ばれる軍事的在地権力が知られます。ムガル帝国の官僚的土地給与であるジャーギール(jagir)は、徴税権の付与という点でザミンダールと接点があるものの、本質的には官僚と軍人への給与制度で、私的・世襲の在地権とは区別されます。
さらに、ベンガルの恒久和約下では、ザミンダールの下にパタニ・タルクなどの再分割権が重ねられ、実際の徴収は多段階の委託によって行われました。こうした多層構造は、徴収効率を高める一方、上納の遅延や過酷な取り立てを生む要因にもなりました。地域差を無視して「ザミンダール=地主」と短絡するのではなく、在地慣行・作物・水利条件・市場距離などの環境差と結び合わせて具体的に理解する必要があります。
独立後の廃止と残存影響――法改正と社会ネットワーク
インド独立後、各州はザミンダーリー的権利の廃止を掲げ、1940年代末から1950年代にかけて土地改革法が施行されました。ザミンダールの徴税権は撤廃され、テナント保護や地代規制、上限面積の設定、余剰地の再分配が進められました。これにより、法制度上はザミンダールの支配は終息に向かいましたが、社会ネットワークや教育・資本・政党との結びつきは容易には解体されず、旧家が政治家・実業家・教育パトロンとして地域に影響力を保持する例は少なくありませんでした。
パキスタンやバングラデシュでも、同様にザミンダーリー的権利の解体が進められましたが、デルタの地理・移民・都市化の速度など、環境要因に応じて成果や課題は大きく異なりました。土地改革の理念と現実のあいだの距離、裁判・行政の遂行力、記録管理の精度が、帰結を左右した点は各地域に共通します。
史料・研究の視点――台帳・訴訟記録・地図から読む
ザミンダール研究では、複数種類の史料を突き合わせる読みが重要です。ムガル期の行政地誌(たとえば収租台帳や地方誌)、村落の勘定帳、寺社・モスクの寄進記録、植民地期の測量地図(カダストル)や恒久和約関連文書、裁判所の判例・訴訟記録、新聞・広告、私的書簡などが手がかりになります。台帳の数字と現地の慣行は必ずしも一致せず、形式知と実践知のズレを具体的に追うことが、ザミンダールの実像に迫る近道です。
研究史では、ザミンダールを搾取的地主とみなす評価と、在地社会の調停者・公益のパトロンとみなす評価が並存してきました。近年は、権利の束としての可変性、国家と市場のはざまでの交渉、ジェンダーやカースト・コミュニティとの関係、気候・水利といった環境要因の組み込みなど、より多面的な枠組みで再検討が進んでいます。単純な善悪ではなく、条件と運用の違いが帰結を分けたこと、そして時代とともに語の意味そのものが変化したことへの注意が求められます。
以上のように、ザミンダールは、王権と村落を結びつける在地の要であり、時代によって徴税官・小領主・地主・文化パトロンと姿を変えながら、南アジア社会の基盤に深く関わってきた存在です。名称は同じでも、権利の構成と責務の中身は地域と時代で大きく異なります。制度名や法文だけでは掬いきれない、現場の運用と人間関係の層を視野に入れることで、ザミンダールという用語ははじめて具体的に理解できるようになります。

