『神学大全』とは、中世ヨーロッパを代表する神学者トマス・アクィナスが書いた、大規模で体系的なキリスト教神学の書物です。ラテン語の原題は「スンマ・テオロギアエ(Summa Theologiae)」といい、「神学の要約」「神学の全体像」といった意味を持ちます。その名の通り、神とは何か、人間とは何か、世界はどのように存在しているのか、どのように生きることが善いのか、といった根本的な問いを一つの枠組みの中で整理しようとした、巨大な知的プロジェクトでした。
『神学大全』は、単に信者向けの信心書ではなく、「信仰を理性によってできるかぎり説明しよう」という姿勢にもとづいて書かれています。信仰の前提を受け入れつつも、なぜそう信じるのかを論理的に検討し、異論や反対意見にも答えようとする構成になっているのが特徴です。そのため、神学の入門書であると同時に、哲学的な思索の書としても長く読み継がれてきました。
この書物は三つの大きな部(「第一部」「第二部」「第三部」)から成り、それぞれがさらに細かい問いに分かれています。そこでは、神の存在証明、世界と人間の本性、人間の行為と徳、イエス・キリストによる救い、秘跡(サクラメント)など、キリスト教信仰の中心的テーマが網羅的に扱われています。問いを提示し、反対意見を紹介し、そのうえで著者の立場を示すという形式は、スコラ学的な議論の典型例です。
『神学大全』はもともと、当時の修道士や学生の教育に役立てるために書かれました。すでに高度な哲学教育を受けている専門家だけでなく、学びの途上にいる人びとが、キリスト教神学の全体像をつかめるようにすることが目的だったとされています。その意味で、『神学大全』は中世カトリック教会の「標準教科書」の役割も果たしていました。
トマス・アクィナスの死後も、『神学大全』はカトリック神学の中心的な参考文献として扱われ、近代に入ってからも再評価が進みました。現代でもなお、哲学や倫理学、宗教思想史を学ぶうえで避けて通れない古典とされています。神学に関心のある人だけでなく、「理性と信仰」「宗教と哲学」の関係を考えるうえでも重要な書物が、この『神学大全』なのです。
著者トマス・アクィナスと執筆の背景
『神学大全』を理解するうえで、その著者であるトマス・アクィナスの人物像と、当時の歴史的背景をおさえておくことが重要です。トマス・アクィナス(1225頃〜1274)は、イタリア出身の修道士・神学者で、ドミニコ会に属していました。彼はパリ大学などで学び、のちに同大学で教鞭をとりながら、神学と哲学の両面で大きな業績を残しました。
十三世紀の西ヨーロッパでは、アリストテレス哲学の著作がアラビア語やラテン語を通じて広く知られるようになり、「ギリシア哲学」と「キリスト教信仰」をどう調和させるかが大きな課題となっていました。自然科学的な世界観や論理学を含むアリストテレスの思想は、当時の人々にとって非常に魅力的である一方、キリスト教の教えと矛盾するのではないかという不安も呼び起こしました。
トマス・アクィナスは、この緊張を解きほぐそうとした人物のひとりです。彼は、正しく理解された哲学的真理は、真の信仰と矛盾しないと考えました。なぜなら、世界を創造した神は、自然法則や人間理性の源でもあるとみなされるからです。そのためトマスは、アリストテレス哲学の概念や論理を積極的に取り入れながら、キリスト教の教義を再整理しようとしました。
『神学大全』は、そのような試みの集大成にあたります。トマスは、若い修道士や学生に向けて、信仰の内容を体系的に理解させるための教科書としてこの書を構想しました。すでに彼は、より専門的で難解な著作も書いていましたが、『神学大全』では、できるだけ分かりやすく論を展開することを心がけたとされています。
ただし、『神学大全』はトマスの生前には完成しませんでした。第三部の途中で執筆が中断され、トマスはそのまま亡くなってしまいます。のちに弟子たちが、別の著作などをもとに補いを行い、「第四部」に相当する部分をつけ加えましたが、それでもなお、完全な意味での「完成版」ではないといわれます。それでも、この書物が後世の神学に与えた影響は非常に大きく、「未完でありながら古典」として受けとめられてきました。
『神学大全』の構成と内容
『神学大全』は、全体として三つの大きな部分に分かれています。第一部(Prima Pars)、第二部(Secunda Pars)、第三部(Tertia Pars)です。第二部はさらに前半(第一二部:Prima Secundae)と後半(第二二部:Secunda Secundae)に分かれており、テーマごとに整理された巨大な体系を形づくっています。
第一部では、主として「神」と「創造」を扱います。ここでは、神の存在証明、神の属性(全能・全知・善など)、三位一体の教義、天使や悪魔の存在、世界の創造、人間の本性などが論じられます。特に有名なのは、いわゆる「五つの道」と呼ばれる神の存在証明です。これは、運動、原因、可能と必然、価値の段階、目的論といった五つの観点から、世界の存在の背後に第一原因としての神が必要であると論じようとしたものです。
第二部では、「人間の行為」と「徳」「幸福」が中心テーマになります。前半の第一二部では、人間の自由意志や善悪の判断、幸福とは何か、道徳法則とは何かといった、倫理学的で哲学的な議論が展開されます。トマスは、人間は究極的には「神を直観すること」によって真の幸福に至ると考えつつ、この世の具体的な行為における善悪の基準についても詳細に論じました。
後半の第二二部では、具体的な徳(美徳)や悪徳が個別に扱われます。信仰・希望・愛といった「神学的徳」、知恵・勇気・節制・正義などの「枢要徳」、さらにそれぞれに対応する悪徳が体系的に整理されているのが特徴です。ここは、倫理学や人格論の観点からも重要な部分であり、後世のキリスト教的道徳観や西洋倫理思想に強い影響を与えました。
第三部では、「キリスト」と「秘跡」が主題となります。イエス・キリストの位格と働き(受肉・受難・復活など)、人間がどのように救いにあずかるのか、教会が行う洗礼・聖体・婚姻などの秘跡の意味と効果が論じられます。キリストが真の神であり真の人でもあるという教義を、哲学的概念を用いて説明しようとする点に、トマス神学の特色がよく表れています。
『神学大全』の議論の進め方には一定の形式があります。まず「問題(クエスティオ)」が提起され、その中に複数の「問い」が含まれます。各問いについて、まず反対意見がいくつか紹介され、次に権威ある聖書や教父の言葉が引用されます。そのうえで、「私はこう答える(Respondeo dicendum)」という形で著者自身の見解が述べられ、最後に先に出した反対意見に一つひとつ回答していきます。
この形式は、一見まわりくどく感じられるかもしれませんが、さまざまな立場を公平に取り上げ、その上で自分の考えを明らかにするための工夫でもあります。トマスにとって神学とは、単に結論を押しつけるのではなく、異論や疑問と真剣に向き合いながら、理性的に信仰の内容を掘り下げていく対話的な作業だったといえます。
中世以降への影響と評価
『神学大全』は、トマス・アクィナスの死後、ゆっくりとしかし着実に権威を高めていきました。中世末には、大学教育の場で広く用いられるようになり、多くの神学者が『神学大全』への注釈書を執筆しました。トマスの考えに賛成する立場だけでなく、批判的な立場からの議論も含めて、『神学大全』が神学的・哲学的議論の共通の土台となっていたといえます。
近代に入ると、啓蒙思想や科学の発展により、キリスト教神学の権威が相対化されていきます。その流れの中で、『神学大全』も「時代遅れ」とみなされることが一時期ありました。しかし十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、カトリック教会内部でトマス神学を再評価する動きが生まれ、教皇もトマスを模範的な神学者として高く位置づけました。その結果、『神学大全』は再び神学校や大学の標準的テキストとして重んじられるようになります。
この「トマス復興」は、単に昔の教えをそのまま復元するというよりも、近代哲学や科学の成果を踏まえつつ、『神学大全』に見られる基本的な考え方を現代的に読み替えようとする試みでもありました。自然と超自然、理性と信仰、自由と秩序といったテーマを、トマスの枠組みを手がかりにして改めて検討しようとする動きは、現在まで続いています。
また、『神学大全』は神学の内部だけでなく、哲学や倫理学、法思想にも影響を与えました。たとえば「自然法」の考え方は、人間の理性によって認識できる普遍的な道徳法則が存在するとするもので、近代以降の人権思想や法哲学の発展にも深く関わっています。トマスの自然法論は、『神学大全』第二部で体系的に展開されており、その議論は現在もなお参照され続けています。
さらに、『神学大全』が備える「問答形式」「異論の紹介と応答」というスタイルは、単なる神学書の枠をこえて、「議論の仕方」のモデルとしても注目されています。一方的に自説を述べるのではなく、先に想定される反論を丁寧に取り上げ、それに答えることで自説を鍛える方法は、現代の論文執筆やディベートにも通じる態度です。
もちろん、『神学大全』の内容は、中世ヨーロッパという特定の歴史的・文化的状況の中で書かれたものです。そのため、現代の価値観から見ると受け入れがたい前提や記述も少なくありません。それでも、この書物が何世紀にもわたって読み継がれてきたのは、そこに人間や世界、善と悪、幸福と救いといった普遍的なテーマについて、真剣に、しかも徹底的に考え抜こうとする姿勢があるからだといえます。
『神学大全』は、最初から最後まで読み通すにはあまりにも膨大で、専門的な部分も多い書物です。しかし、その一部にふれるだけでも、中世の知識人がどのように「信仰」と「理性」を結びつけようとしたのか、その努力の痕跡を感じ取ることができます。宗教の有無にかかわらず、人間の知的探究の歴史に関心を持つ人にとって、『神学大全』は今もなお豊かな刺激を与えてくれる古典的作品なのです。

