ウル・ナンム – 世界史用語集

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ウル・ナンムの生涯と即位

ウル・ナンム(Ur-Nammu、生没年は紀元前2112年頃 – 紀元前2095年頃)は、古代メソポタミアにおけるウル第三王朝の初代王であり、同王朝を創設した人物です。彼はシュメール地方を再統一し、長期にわたる混乱期を収束させることで、紀元前21世紀初頭に繁栄の時代をもたらしました。即位以前、ウル・ナンムはウルクの王ウトゥヘガルの将軍として仕えていましたが、やがて彼に取って代わって王位に就き、ウルを都とする新たな王朝を開きました。

この時期のメソポタミアは、アッカド帝国の崩壊後、小規模な都市国家が互いに抗争を繰り返す分裂状態にありました。ウル・ナンムは巧みな軍事力と政治的手腕によって、ラガシュ、ウルク、エリドゥなどの主要都市を統合し、中央集権的な支配を確立しました。彼の支配は、軍事的征服だけでなく、宗教的権威を利用した正統性の強化によっても支えられました。

統治政策と法典の制定

ウル・ナンムは、後世に「世界最古の成文法典」と呼ばれるウル・ナンム法典を制定したことで特に知られています。この法典は、ハンムラビ法典(紀元前18世紀頃)よりも約300年早く成立したもので、主に社会秩序の維持と経済活動の安定を目的としていました。現存する法文は断片的ですが、盗難や暴行、婚姻、財産権に関する規定が記され、罰則は多くの場合、金銭による賠償であり、後の「目には目を」式の報復法よりも穏やかな性格を持っていました。

さらに、彼は大規模な土木事業にも取り組み、運河の整備や神殿の再建を進めました。特に、ウルのジッグラト(聖塔)の建設は彼の時代に始まり、宗教的中心地としてのウルの地位を強固にしました。これらの事業は経済の活性化や社会統合にも寄与し、王権の威信を高める重要な手段となりました。

軍事活動と領土拡大

ウル・ナンムの治世は、軍事的成功によっても特徴づけられます。彼は北方のアッシリアやエラム方面への遠征を行い、交易路の確保と防衛に努めました。特に、東方のエラムとの抗争は重要であり、ウル第三王朝の影響力をメソポタミア東部にまで及ぼす結果となりました。彼の統治下で、王国の境界は広がり、物資や文化の交流が活発化しました。

しかし、晩年には遠征先で戦死したと伝えられています。史料によれば、彼はエラム方面での戦闘中に命を落とし、その後、息子シュルギが王位を継承しました。ウル・ナンムの死は突然であったものの、その遺産は後継者によって引き継がれ、ウル第三王朝はさらに繁栄を極めていきます。

歴史的意義と評価

ウル・ナンムの最大の功績は、分裂状態にあったシュメールを再統一し、安定した行政と法制度を確立したことです。彼の法典は人類史上最古の体系的法律文書の一つとして評価され、当時の社会構造や価値観を知る貴重な資料となっています。また、彼の治世における土木事業や宗教建築は、都市文化の発展に大きな影響を与えました。

さらに、彼の政治理念は「王は神の代理人として人民を守る存在」というシュメール的世界観に基づき、武力だけでなく、法と秩序によって統治する姿勢を示しました。これにより、後のメソポタミア諸王にも大きな影響を与えたと考えられています。今日、ウル・ナンムは「法の王」「統一者」として古代オリエント史に名を刻む存在であり、彼の業績は考古学的発掘と粘土板文書によって今もなお研究が進められています。