アヴァール人の起源と登場
アヴァール人(Avars)は、6世紀半ばに東ヨーロッパの歴史に突如として現れた遊牧民族であり、ビザンツ帝国やスラヴ世界に大きな影響を及ぼしました。彼らは中央アジア方面から移動してきたと考えられていますが、その正確な起源については学術的に議論が続いています。モンゴル系、テュルク系、あるいはそれらの混合民族であるとの説が有力です。
彼らがヨーロッパ史に登場するのは、6世紀半ばのことです。東方のテュルク諸部族に圧迫され、西方に移動を余儀なくされたアヴァール人は、黒海北岸を経由してパンノニア平原(現在のハンガリー地方)へと進出しました。この地域は古くからフン人、ゲピド人、ランゴバルド人など多くの遊牧・移住民が拠点とした地であり、アヴァール人はその後継勢力としてこの地に定着しました。
ビザンツ帝国の史料によれば、アヴァール人は当初、強力な軍事力を誇る騎馬遊牧民として恐れられました。彼らは皇帝ユスティニアヌス1世の時代(6世紀)に初めてビザンツと接触し、傭兵や同盟者として利用される一方、しばしば帝国領を脅かす存在となりました。
アヴァール可汗国の成立と支配構造
アヴァール人は、6世紀後半からパンノニア平原を中心に「アヴァール可汗国」と呼ばれる遊牧国家を建設しました。この国家は、中央ユーラシアの遊牧政権に典型的な形態を持ち、可汗(カガン)を頂点とする強力な軍事貴族が支配しました。
アヴァール可汗国は、その支配領域にスラヴ人を従属させ、彼らを農耕民として組織しつつ、戦争や労役に動員しました。これにより、遊牧と農耕の複合的な経済基盤を築いた点が特徴的です。アヴァール人自身は騎馬軍事力を保持しつつ、従属民からの貢納によって経済的基盤を強化しました。
アヴァール人の軍事力は当時のヨーロッパにおいて非常に強力で、特に7世紀にはビザンツ帝国にとって大きな脅威となりました。彼らは東ローマ領バルカン半島に繰り返し侵入し、都市を攻撃しては多くの財宝や捕虜を得ました。
ビザンツ帝国との抗争と衰退
アヴァール可汗国の最盛期は、7世紀初頭に訪れます。特に626年には、アヴァール人はサーサーン朝ペルシアと同盟し、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを包囲しました。この「コンスタンティノープル包囲戦」は東ローマ帝国の命運を左右する大事件でした。最終的にビザンツは都市防衛に成功し、アヴァール人は大敗を喫しましたが、その存在感の大きさを示す出来事でした。
しかし、7世紀後半以降、アヴァール可汗国は次第に衰退していきます。その要因として、以下の点が挙げられます。
- 内部的には、支配層と従属スラヴ人の対立が深まったこと。
- 外部的には、フランク王国やブルガール人など新たな勢力の圧迫を受けたこと。
- ビザンツ帝国が軍事的に反攻し、バルカン半島の支配を回復していったこと。
特に8世紀以降、パンノニア平原ではスラヴ人の自立化が進み、アヴァール人の支配力は弱体化しました。そして9世紀初頭、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)による遠征を受け、アヴァール可汗国は壊滅的打撃を受けます。これによりアヴァール人の独立的な存在は終焉を迎えました。
アヴァール人の歴史的意義
アヴァール人は数世紀にわたり中央ヨーロッパに影響を及ぼした遊牧民族であり、その歴史的意義は以下の点に集約されます。
第一に、彼らはビザンツ帝国にとって重大な軍事的脅威であり、東ローマの外交・軍事政策に大きな影響を与えました。特に626年のコンスタンティノープル包囲は、東ローマ史の重要な転換点の一つでした。
第二に、アヴァール人はスラヴ人の歴史に決定的な役割を果たしました。彼らはスラヴ人を従属させつつ、移住や組織化を促し、スラヴ人の定住と拡散を助長しました。そのため、後のスラヴ国家形成においてアヴァール時代の経験は大きな影響を与えました。
第三に、アヴァール可汗国の存在は、ヨーロッパにおける遊牧国家の一典型として注目されます。ユーラシア草原地帯に成立した匈奴、突厥、ブルガール、マジャールなどの政権と同様、アヴァール人の国家も「遊牧と農耕の複合支配構造」を持っており、ユーラシア史の一環として理解することができます。
最終的にアヴァール人は9世紀に歴史の表舞台から姿を消しましたが、その支配構造やスラヴ人との関係は、中央ヨーロッパの歴史的基盤を形作る重要な要素となりました。
まとめ
アヴァール人は、6世紀から9世紀にかけて中央ヨーロッパを支配した遊牧民族であり、ビザンツ帝国やスラヴ世界に強い影響を与えました。彼らの可汗国はパンノニア平原に成立し、一時はコンスタンティノープルを脅かすほどの勢力を誇りましたが、内部矛盾と外部勢力の圧迫により9世紀に滅亡しました。
アヴァール人の歴史は、ヨーロッパにおける遊牧と農耕の接触、帝国と周辺遊牧民との関係、そしてスラヴ民族形成に大きな影響を与えたという点で、きわめて重要な意義を持ちます。彼らの盛衰をたどることは、ユーラシア世界のダイナミズムを理解するうえで欠かせないものといえるでしょう。

