アター – 世界史用語集

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アターの語源と基本的意味

「アター(ʿaṭāʾ, عطا)」とは、アラビア語で「贈り物」「施し」「給付」を意味する言葉であり、イスラーム世界の政治・社会制度において特に給与・俸給制度を指す用語として広く用いられました。イスラームの初期、正統カリフ時代(7世紀)には、征服地から得られた戦利品や課税収入をもとに、兵士や官僚に対して支給される国家的な給付が「アター」と呼ばれました。

この語は単に物質的な贈与を意味するだけでなく、イスラーム共同体(ウンマ)の結束を維持し、支配秩序を安定させるための仕組みを象徴するものでもありました。そのため「アター」は、宗教的・倫理的側面と政治的・経済的側面の双方を含む重要な概念でした。

初期イスラームにおけるアター制度

イスラーム国家が急速に拡大した正統カリフ時代、カリフたちは征服地からの収入をどのように分配するかという問題に直面しました。カリフ・ウマル(在位634–644年)の時代には、戦利品や課税(ジズヤやハラージュ)をもとにした体系的な配分制度が確立され、それが「アター」と呼ばれました。

アターの特徴は、単なる給与ではなく、共同体への貢献度や血統に応じた差等が設けられていたことです。例えば、預言者ムハンマドに近しい家族や、最初期の信徒たちは高い額のアターを受け取りました。一方、新たにイスラームに改宗した人々や、征服地出身の兵士は低額または限定的な支給を受けました。このためアターは、信仰と忠誠を政治的秩序に組み込む装置として機能しました。

さらに、この制度は常備軍の形成にも直結しました。従来の部族的戦士集団が戦利品を求めて従軍していたのに対し、アター制度は定期的な給付を行うことで兵士を組織的に国家に結びつけ、軍事力の安定的維持を可能にしました。これはイスラーム国家の軍事的強化における画期的な仕組みといえます。

ウマイヤ朝・アッバース朝における展開

ウマイヤ朝(661–750年)の時代になると、アター制度はより大規模に整備されました。ただし、その運用は次第に不平等を生み出しました。アラブ系の古参イスラーム教徒(アラブ人征服者)には高額のアターが与えられた一方、非アラブ系のムスリム(マワーリー)には差別的な扱いが残され、これが不満の要因となりました。この不満はやがてアッバース革命の一因ともなります。

アッバース朝(750–1258年)では、アターは国家財政の基盤として維持されつつも、軍事制度が変化しました。特に9世紀以降、トルコ系奴隷軍人(マムルーク)が台頭すると、彼らはアターに代わり「イクター制(軍事用地の分与)」によって養われることが多くなります。こうしてアターは徐々に縮小し、給与の一形態として存続しながらも、中世イスラーム世界の財政・軍事制度の中で役割を変えていきました。

アターの歴史的意義

アター制度は、初期イスラーム国家が拡大し、広大な領土を統治する上で不可欠な仕組みでした。その意義は以下のように整理できます。

  • 共同体統合の手段:信仰共同体(ウンマ)の成員に対し、忠誠と信仰を物質的給付で結びつけることで、国家の安定を図った。
  • 軍事力の維持:戦士に対する定期的な俸給制度を整えることで、常備軍の基盤を築いた。
  • 社会的不平等の源:血統や改宗の早さに基づく差等支給が、社会的不満を生み出し、後世の反乱や政治的変動の一因となった。
  • 後世制度への影響:アターは、後に発展するイクター制やワクフ制度など、イスラーム世界の財政・軍事・宗教制度の前段階として位置づけられる。

まとめ

「アター」とは、初期イスラーム国家における給与・給付制度を意味し、戦士や信徒に対して国家財源から支給される物質的恩恵を指しました。これは単なる生活補助ではなく、イスラーム共同体の統合や軍事力の維持に直結する制度であり、初期イスラーム国家の安定に決定的な役割を果たしました。

ウマイヤ朝・アッバース朝を経てその性格は変化しましたが、アターはイスラーム世界の統治と軍事を考える上で避けては通れない概念です。現代の研究においても、アターは「宗教共同体がいかに制度化され、国家権力と結びついたか」を理解する上での重要な鍵とされています。