アシエントの起源と基本的意味
アシエント(Asiento)とは、スペイン語で「契約」や「取り決め」を意味する言葉で、16世紀から18世紀にかけてスペイン帝国が外国人業者や国家に対して、一定の特権や独占的権利を与える契約を指しました。中でも最も有名なのは「アシエント・デ・ネグロス(asiento de negros)」と呼ばれる、アフリカからアメリカ大陸への黒人奴隷供給契約です。
大航海時代以降、スペインはアメリカ大陸に広大な植民地帝国を築きましたが、現地の先住民人口が疫病や過酷な労働で激減したため、労働力の不足が深刻化しました。これに代わる労働力としてアフリカ人奴隷が大量に導入されることとなり、その供給を管理するために「アシエント」が制度化されたのです。
アシエントと奴隷貿易の展開
16世紀前半、スペイン王室は個別の商人にアフリカ人奴隷輸送の許可を与えていましたが、やがて組織的な契約制度へと発展しました。王室は特定の商人や外国企業に「年間何人の奴隷をスペイン領アメリカに輸送する権利」を独占的に与え、対価として巨額の契約金や関税を徴収しました。
このアシエント契約はしばしばポルトガル人商人に与えられました。なぜなら、ポルトガルは西アフリカ沿岸に要塞や交易拠点を持ち、奴隷供給ルートを実際に掌握していたからです。1580年から1640年のイベリア連合期には、スペインとポルトガルが同君連合を組んだため、ポルトガル商人がスペイン帝国領への奴隷供給を独占しました。
その後、17世紀以降になると、オランダ・フランス・イングランドなどもこの利益に参入し、しばしばスペインと競ってアシエント契約を獲得しました。これにより奴隷貿易は国際的に大規模化し、ヨーロッパ列強の植民地経済の基盤を支える構造が形成されました。
ユトレヒト条約とイギリスのアシエント獲得
アシエントの歴史における転機は、スペイン継承戦争(1701–1714)の講和条約であるユトレヒト条約(1713年)です。この条約で、イギリスの「南海会社(South Sea Company)」がスペイン領アメリカに黒人奴隷を供給する独占的権利を獲得しました。
イギリスにとってこれは単なる経済的利益だけでなく、スペイン領アメリカとの合法的な貿易拠点を得る戦略的意味を持っていました。アシエント契約により、南海会社は年間4,800人の奴隷を輸送する権利を得るとともに、限定的ながら商品貿易も許可されました。このことは、イギリスが大西洋世界における経済的優位を築く足がかりとなり、18世紀のイギリスの海上覇権確立につながっていきます。
しかし実際には、契約履行は困難であり、密貿易や腐敗が横行しました。さらにイギリスとスペインの間の緊張は続き、最終的に1739年の「ジェンキンスの耳の戦争」勃発により、アシエント体制は大きく揺らぎました。
アシエント制度の終焉と歴史的意義
18世紀半ば以降、国際関係の変化や奴隷貿易の自由化傾向によって、アシエントは次第に形骸化しました。特に1760年代以降、イギリスやフランスは自国植民地における奴隷貿易を独自に拡大し、スペインの管理下に置かれたアシエント制度は意味を失っていきます。最終的にアシエントは廃止され、奴隷貿易そのものも19世紀にかけて各国で段階的に違法化されていきました。
アシエント制度の歴史的意義は二つに整理できます。第一に、スペイン帝国の植民地経済とヨーロッパ列強の利害を結びつけた制度であったことです。アシエントは奴隷供給を通じてアメリカ植民地の経済(プランテーション農業、鉱山労働)を支え、大西洋世界の形成に寄与しました。第二に、アシエントは国際政治の重要な交渉対象となり、特にユトレヒト条約以降は列強間の力関係を象徴する存在となりました。
まとめ
アシエントとは、16世紀から18世紀にかけてスペイン王室が外国商人や国家に与えた独占的契約であり、とりわけアフリカ人奴隷の供給契約「アシエント・デ・ネグロス」が重要な意味を持ちました。この制度を通じて、アフリカからアメリカ大陸へ大量の奴隷が輸送され、大西洋世界のプランテーション経済が維持されました。
とりわけ1713年のユトレヒト条約によるイギリスのアシエント獲得は、国際政治史と経済史の分岐点の一つとされます。アシエントは最終的に18世紀後半に衰退しましたが、その歴史は「植民地帝国」「奴隷貿易」「大西洋世界の形成」という三つの重要なテーマを結びつける存在として、今日でも大きな研究対象となっています。

