アフリカ民族会議 – 世界史用語集

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ANCの成立と初期の活動

アフリカ民族会議(African National Congress, ANC)は、1912年に南アフリカ連邦で設立された政治組織であり、アフリカ先住民の権利を擁護し、人種差別的な体制に抵抗することを目的としていました。当初は「南アフリカ・ネイティブ会議」と呼ばれ、白人政権に対する請願や交渉を通じて、先住民の権利を求める穏健な活動を展開しました。

しかし、1913年に制定された土地法により、黒人の土地所有が厳しく制限されるなど、人種差別的な政策が強化されると、ANCは次第に政治的要求を強めるようになりました。1920年代から1930年代にかけては、大規模な労働争議や抗議活動にも関わり、黒人労働者の権利を守るための運動を広げていきました。それでも、この時期のANCはまだ比較的穏健な組織であり、合法的な政治活動の範囲にとどまっていました。

アパルトヘイト期の闘争と武装化

1948年に国民党政権が成立すると、アパルトヘイト(人種隔離)政策が本格的に制度化されました。これに対してANCは抵抗を強め、1940年代末から50年代にかけて若手活動家を中心に「アフリカ民族主義」が高揚しました。1944年にはネルソン・マンデラ、オリヴァー・タンボ、ウォルター・シスルらが「ANC青年同盟」を結成し、積極的な大衆運動を展開しました。

1952年には「不服従運動」を開始し、黒人住民に差別法令の違反を呼びかける非暴力抵抗を行いました。また、1955年には「自由の憲章」を発表し、人種平等と民主的権利の確立を訴えました。これは後の南アフリカ新憲法の理念にもつながる重要な文書となりました。

しかし、1960年のシャープビル虐殺事件で警察がデモ参加者を多数射殺すると、非暴力路線は限界を迎えました。政府はANCを非合法化し、指導者を逮捕・弾圧しました。これを受けてANCは地下活動に移行し、1961年には軍事組織「民族の槍(ウムコント・ウェ・シズウェ)」を結成して武装闘争を開始しました。マンデラもこの組織の活動に深く関わり、やがて逮捕されて終身刑を宣告されました。

国際的支援とマンデラの役割

ANCは地下活動の中で国際的な支持を獲得しました。特にアフリカ独立国や非同盟運動、国連などがANCを支援し、南アフリカのアパルトヘイト体制に対する国際的非難が高まりました。1960年代以降、国連は南アフリカに対する武器禁輸や経済制裁を呼びかけ、世界的な反アパルトヘイト運動が広がりました。

ANCの指導者の中でも、ネルソン・マンデラは象徴的存在となりました。彼は27年間の獄中生活を送りながらも闘争の精神を貫き、国内外で「自由の闘士」として広く支持を集めました。1980年代には国内の抵抗運動も再び活発化し、ANCはアパルトヘイト体制を揺さぶる大きな力となりました。

国際社会の圧力、経済制裁、国内の抗議運動が重なり、1990年にはマンデラが釈放され、ANCの非合法化も解除されました。その後、ANCは合法政党として活動を再開し、民主化交渉の中心的役割を果たしました。

民主化後のANC政権とその意義

1994年、南アフリカで初の全人種参加による選挙が実施され、ANCは圧倒的勝利を収めました。ネルソン・マンデラが大統領に就任し、アパルトヘイト体制は正式に終焉を迎えました。ANC政権は「真実和解委員会」の設置を通じて過去の人権侵害と向き合い、民族融和と民主主義の確立を進めました。

その後もANCは南アフリカの支配政党として長期にわたり政権を維持し、ターボ・ムベキやジェイコブ・ズマ、シリル・ラマポーサといった指導者を輩出しました。ただし、長期政権化に伴い、汚職や経済格差の拡大、失業率の高さなど新たな課題にも直面しています。こうした問題はANCの支持基盤に揺らぎをもたらしつつあります。

それでもANCは、南アフリカにおける自由と民主主義の象徴としての歴史的役割を担ってきました。植民地支配とアパルトヘイトという二重の抑圧を克服し、国際的連帯を背景に民主化を実現したANCの歩みは、アフリカ史と世界史の両面で極めて重要な意義を持つのです。