イスラーム都市 – 世界史用語集

「イスラーム都市」とは、イスラーム教が多数派を占め、宗教・法・教育・福祉・経済の相互作用によって独特の都市空間と社会秩序が形づくられてきた都市を指す便宜的名称です。厳密に統一した「型」があるわけではなく、地域・時代・政治体制によって姿は多様です。それでも、金曜礼拝を担う大モスク(ジュアーミ)、連続した市場(スーク/バザール)、隊商宿や倉庫(カーン/カールヴァンサライ/フンドゥク)、浴場(ハンマーム)、学院(マドラサ)、施水施設(サビール)、寄進財産(ワクフ)を核とする公共インフラ、路地(ダルブ)と袋小路(サク)の網の目、そして市場監督(ヒスバ)などに象徴される共通の語彙が見いだせます。本稿は、この用語の射程を誤解なく押さえつつ、空間構造と社会の仕組み、地域差と具体像、近代以降の変容をわかりやすく整理します。

イスラーム都市は「宗教都市」以上の存在です。そこでは法(シャリーア)と法学(フィクフ)が家族・取引・慈善・市民的マナーに影響し、ワクフが教育・医療・道路・給水の維持財源となり、ウラマー(学者)と商人、職人ギルド、官僚・軍人が複雑に交わります。都市はまた、巡礼・学問・商業・政治のハブであり、礼拝の時間割が生活リズムを刻み、金曜礼拝の説教(フートバ)が公共圏の言論を駆動します。イスラーム都市という言葉を使う際には、単一の「神権都市」像に閉じない多元性を念頭に置くことが大切です。

研究上、この概念には議論が伴います。かつては「イスラーム都市モデル」として、中心の大モスクと直結するスーク、城塞(カルア)と行政区、同業者や宗派ごとの居住区(ハーラ)が同心円状に並ぶ図式が示されました。しかし、実際の都市は河川や地形、港市か内陸か、王朝の政策、移民の波、戦争や地震の復興によって姿を変えます。したがって本稿では、定型を押し付けずに、共通の装置と地域の個性を重ね合わせて描きます。

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用語と基本構造—大モスク・市場・城塞・ワクフ・ヒスバ

まず、空間の「核」を押さえます。大モスク(ジュアーミ)は金曜礼拝と説教の場で、都市共同体の象徴です。ここでは宗教だけでなく、改元や王の称号、赦免の布告など政治的メッセージも告知され、祭祀・教育・慈善の結節点となります。多くの都市で大モスクは市場軸(カサバ、スークの幹線)と連結し、祈りと商いが時間と空間で折り重なります。

市場(スーク/バザール)は、専門ごとの区画(皮革、金銀、香料、織物、書籍など)が連続し、アーケード化や屋根掛けによって日射と砂塵を避ける工夫が施されます。卸と小売、工房と店、倉庫と宿の機能が近接し、遠隔商人のための隊商宿(カーン/カールヴァンサライ/フンドゥク)が要所を固めます。市場秩序の監督を担うのがムフタシブ(ヒスバ=市場・公共道徳監督)で、計量・価格・衛生・通行の規範を取り締まりました。

城塞(カルア/チターデル)や城壁は、税関・兵営・倉庫とともに、都城の防衛と威信を表します。とくにアナトリアやマグリブでは城壁と門が都市景観の主役となり、関税や検問の拠点でもありました。門はしばしば市場軸の端点で、地方からの農産物や遊牧民の家畜が町へ流れ込み、逆に都市の工芸品や書物が地方へ広がりました。

公共インフラの資金を支えたのがワクフ(寄進財産)です。ワクフは商店・農地・浴場・水路などの収益を特定の公共目的(モスク、学校、病院、給水、道路、孤児救済)に永続的に充てる仕組みで、都市の「見えない財政」を担いました。寄進者の名は碑文や文書に刻まれ、宗教的功徳と社会的名誉、実利(家産防衛)を兼ねる制度として機能しました。

都市の統治は、裁判官(カーディー)、市場監督(ムフタシブ)、税務・治安を担う総督(ワーリー)や警吏(シュルタ)が分掌し、法学の諸学派と宮廷法(カーヌーン)が折衷されました。宗教と行政の二重構造は、地域慣行と帝国中央の合理を調停する装置でもあり、都市社会はその間隙で自律と交渉の余地を確保しました。

社会と日常の装置—ギルド・教育・水・住宅・公共圏

職人と商人は、ギルド(アスナーフ)や同業組合で編成され、価格・品質・弟子入り規範を共有しました。ギルドは宗教儀礼や祝祭にも参加し、都市祭礼・行列の担い手となります。賃労働や徒弟制、女性の市場参加も地域によって多様で、織物・染色や食品加工では女性の役割が目立つ都市もありました。

教育はモスク付属の初等教育から、ワクフに支えられたマドラサへと展開し、法学・神学・言語学・論理・数学・医学が教授されました。スーフィーのロッジ(ハーンカー/ザーヴィヤ)や読書サークルも、識字と倫理教育の場です。学者の推薦状(イジャーザ)は都市間の信用をつなぎ、学生・書記・説教師の移動が都市の知的循環を生みました。

水は都市の生命線です。地下水路(カナート)、揚水車(ノーリヤ)、公共給水所(サビール)、貯水槽(シスタン)などが、乾燥地の都市に潤いを与えます。ハンマーム(公衆浴場)は衛生と社交の場で、礼拝前の清めや婚礼前の儀礼、職人のネットワーク形成に重要でした。市場には給水と日陰、標識となる噴水や時計塔が設けられ、熱環境への細やかな適応が見られます。

住宅は中庭(サハン)を核とする造りが一般的で、外壁を閉じて路地に開口を絞り、採光・通風は内向きに確保します。プライバシーと家族生活の尊重、夏季の遮熱、冬季の日照確保に適した環境工学的な工夫です。路地は袋小路(サク)を多用し、近隣の安全と子どもの遊び場、相互監視を促しました。宗派・出自・職能・親族を軸にした近隣共同体(ハーラ)は、婚姻・葬儀・相互扶助の単位であり、自治の最小単位でもありました。

都市の公共圏は、モスクの講話、スークのうわさ、スーフィーの集い、そして近世以降のコーヒーハウス(カフヴァハーネ)や読書会で支えられます。朗唱と文字文化が交差し、書道・説教・詩・音楽が人々の時間を彩りました。金曜の説教は政治・倫理の教育媒体であり、地方の出来事や帝国の布告を都市へ伝えるニュース回路でもありました。

地域差と具体像—マグリブ、マシュリク、オスマン、イラン、南アジア、中央アジア、スワヒリ

マグリブ(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)のメディナでは、迷路状の路地、壁に囲まれた住宅、皮なめしや染色の職能区、城塞(カスバ)が都市景観を特徴づけます。フェズの伝統的大学とスーク、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場の見世物と市は、宗教・学術・娯楽が重なる典型です。城門とスークの組み合わせ、地区ごとのモスクと給水、ワクフによる福祉が緻密に網の目を作ります。

マシュリク(エジプト・シリア・イラク)では、カイロ旧市街の縦横に走る市(ハーン・ハリーリー周辺)、ダマスクスやアレッポの屋根付きスーク、要塞と大モスク、マドラサや霊廟群が有機的に連結します。ナイルやオロンテス、バラダ川の水利は、庭園・果樹・浴場文化を支え、市場のアーケードに快適な微気候を作りました。

オスマン帝国の都市は、皇帝寄進の複合施設(キュリエ)に特色があり、大モスク・学校・病院・施療所・浴場・市場をひとまとまりで建設して都市の重心を移動させました。イスタンブルでは金角湾を軸に官僚区・商業区・職人区が配置され、港湾と内陸を結ぶ物流が帝国全体の動脈となります。港町イズミルやアレッポでは外国商館の集積も顕著でした。

イランの都市は、サファヴィー期イスファハーンの王の広場(ナグシェ・ジャハーン)に象徴されるように、王宮・大モスク・市場・公園・橋梁が軸線計画で統合され、タイル装飾と樹木の並木が都市美をかたちづくります。キャラバンサライと庭園都市の伝統は、オアシス都市ヤズドやケルマンにも見られ、カナートが生活を支えました。

南アジアの都市では、ムガルのデリー(シャーハジャハーナーバード)やアグラに、城砦・大モスク・長大なバザール・豪商の邸宅群が展開し、庭園都市の美学(チャールバーグ)と大理石建築が宮廷文化を象徴します。港湾都市スーラトやマスリーパトナムは、国際交易と多宗教住民の混住で賑わい、行商・仲買・為替のネットワークが発達しました。

中央アジアでは、サマルカンドやブハラのレギスタン広場に面してマドラサが並び、タイルと煉瓦の幾何学が壮麗です。オアシスと砂漠の結節として、隊商・学者・匠が集い、交易と学問の二重の流れが都市を動かしました。

スワヒリ海岸の石造都市(ザンジバル、キルワ、ラモなど)は、珊瑚石の住宅と内庭、モスク、海商の倉庫、潮汐と季節風に合わせた港湾が特徴で、アラビア・ペルシア・アフリカ・インドの要素が重層しています。木彫の扉、香料と象牙の取引、イスラーム法廷が都市生活を規律しました。

近代以降の変容—行政改革、植民地都市計画、保存と現在の課題

19世紀、帝国の行政改革(たとえばオスマンのタンジマート)は、自治的な都市統治に市参事会・市長・近代警察・衛生局を導入し、街路拡幅や衛生・上下水道の整備を進めました。これにより、袋小路や曲がりくねった路地の一部が直線化され、旧市街と新市街の二重構造が生じます。

植民地下では、北アフリカやシリアで仏英の都市計画が「新市街(ヴィル・ヌーヴェル)」を旧市街に並置し、官庁街・並木道・鉄道駅・ヨーロッパ人居住区を設けました。旧市街(メディナ)は「伝統」の保全対象と見なされつつ、経済的周縁化や衛生問題が顕在化します。港湾では自由貿易と関税、領事裁判権、外国商館が都市空間を再編しました。

20世紀には、ワクフの国有化・再編、世俗的司法と宗教司法の再配置、急速な人口流入と郊外化、自動車交通の拡大が都市のスケールを変えました。大バザールやスークはショッピングモールや道路計画の圧力に晒されながらも、観光・卸売・婚礼用品・工芸の市場として生き残る力を示します。コーヒーハウスは新聞・ラジオ・衛星放送・SNSへと接続され、公共圏は書き言葉と映像・音のハイブリッドへと拡張しました。

文化遺産の保全と住民生活の両立は大きな課題です。世界遺産化や歴史地区の再生は、観光経済と雇用を生む一方、地価高騰や住民の追い出し(ジェントリフィケーション)、地域商いの均質化を招きやすいです。伝統的住宅の断熱・採光・自然換気の知恵は、持続可能な都市設計の資源として再評価され、日陰の回廊、路地の通風、中庭の蒸散冷却、屋根の反射率など、環境工学的知見と結びついて応用されています。

学術的には、「イスラーム都市」を固定モデルとして扱う視点は後退し、個別都市の歴史生態—地形・水・交易・王朝政策・ディアスポラ・宗派配置・災害—の重ね合わせとして再記述する方向が強まっています。イスラーム的制度(ワクフ・ヒスバ・マドラサ・ギルド)が、時代ごとにどのように国家法や市場、帝国・国民国家の枠組みと接続・断続したのかを追うことが、今日の都市を理解する鍵になっています。

総じて、イスラーム都市は、宗教的実践・法と倫理・商業と教育・慈善と娯楽が折り重なる「多層の交差点」です。大モスクと市場の近接、ワクフによる公共の持続、路地と中庭の微気候、ギルドと学者と官僚の三角関係、そして地域史が織りなす多様性が、その核心にあります。単純化を避け、具体の都市に耳を傾ける姿勢こそ、この用語を使う際の最良の作法です。