円銭(環銭) – 世界史用語集

「円銭(えんせん)/環銭(かんせん)」は、中国古代を中心に広く東アジアで流通した、丸い形状の金属貨幣を指す総称です。とくに戦国時代から秦・漢を経て主流となった、中央に孔(多くは四角い孔=方穿)を穿った円形銭をイメージするのが一般的です。刀銭(刀の形)や布銭(鍬の形)など、道具を模した多様な貨幣が併存していた時代に対し、円銭は「抽象的で扱いやすい輪(リング)状の貨幣」という発想で、携帯性や規格化に優れ、のちの通貨制度の核になりました。日本の世界史学習では、前段の貝貨・刀銭・布銭と並べて「円銭(環銭)」が取り上げられ、秦の半両、漢の五銖、唐の開元通宝といった代表的銭貨へ連なる系譜の起点として理解されます。以下では、呼称と定義、成立の背景と歴史的展開、製造技術と流通の仕組み、地域的波及と比較、そして用語上の注意点を、できるだけ平易に整理して説明します。

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呼称と定義――「円銭」「環銭」「圜銭」が示すもの

「円銭」は、その名の通り「円い銭(コイン)」を意味します。日本語の「円」は形状を示す一般語であり、必ずしも近代の通貨単位「円(えん)」とは関係しません。「環銭」は「輪(環)」の形を強調した言い方で、中央に孔のあるリング状の貨幣全般を含むニュアンスが強いです。史料や研究書では「圜銭(えんせん)」と書かれることもありますが、これも基本的には円形銭の意で、表記の違いは語源・書き癖の差に過ぎません。いずれも厳密な学名ではなく、形態を軸にした便宜的総称だと理解すると分かりやすいです。

円銭の特徴は、(1)円形の郭(外縁)と、(2)中央の孔(穿ち穴)、(3)表裏の銘文(国名・年号・額面・吉語など)の組み合わせにあります。孔は初期には丸孔の例もありますが、戦国~漢以降は方孔が一般的になり、のちに「天円地方(天は円く地は方)」という宇宙観と結びつけて説明されるようになりました。もっとも、方孔の採用は思想というより、鋳造・紐通し・識別の実用上の便宜が大きかったと考えられます。孔に紐を通して束ね(貫=1000文のなどの概念は時代により増減します)、持ち運び・決済を効率化できたからです。

また、「環銭」という語は、戦国時代の地域貨幣の一種として、刀銭・布銭と並ぶカテゴリー名として用いられることがあります。この文脈では、まだ全国統一的な貨幣ではなく、諸侯国ごとに重さ・直径・銘が異なる円形銭の総称です。したがって、円銭=ただちに「漢代の五銖銭」と同一視するのではなく、「多様な円形貨幣群のなかで、秦漢を境に規格化が進む」という歴史的推移で捉えるのが適切です。

成立の背景と歴史的展開――貝貨・刀銭・布銭から秦漢の規格銭へ

中国古代の貨幣史は、自然物の貝貨(カウリーシェル)から始まり、やがて青銅を素材にした人工貨幣が各地で生まれました。春秋・戦国期には、地域の経済と文化に応じて、刀を模した刀銭、鍬・鋤を模した布銭、そして抽象的な円形の環銭が併存します。刀銭・布銭は具体的な道具の形を模すため識別性が高い反面、製造の手間や携帯性に難がありました。これに対し、円銭は「少ない金属で薄く作り、数をそろえやすい」「中央の孔で束ねられる」「鋳造の規格化に適する」という実用的利点があり、徐々に比重を高めていきます。

戦国後期には、各国が税制や軍備を強化するなかで、貨幣の統一と規格化が重要課題になりました。秦は商鞅変法以降、度量衡や道路網の整備を推し進め、貨幣についても重量基準を明確化します。前221年の始皇帝による統一ののち、秦は全国通用の「半両銭」を制定しました。これは円形・方孔の基礎形を持ち、以後の中国貨幣の原型となります。半両の「両」は重量単位を指し、「半両」は本来の規格上の重量を示しますが、実際には時期・場所で実重に幅がありました。それでも、「円形・方孔・銘文」の三点セットが全国規格として共有された意義は大きく、刀銭・布銭の時代に終止符を打つ象徴的転換でした。

漢代に入ると、武帝期を中心に「五銖銭」が長期にわたり標準貨幣となります。五銖の「銖」も重量単位で、銭の品質・重さを規格化することで、租税・軍需・市場流通の管理を容易にしました。後漢末には私鋳や軽量化が進み品質が低下する局面もありましたが、基本形は東晋・南北朝期の多様な私鋳銭を経ながらも、中国の硬貨文化の骨格として生き続けます。隋の五銖、唐の「開元通宝」に至って、銘文の表記が年号・吉語型へと洗練され、書法の美と権威性が貨幣にも付与されました。こうして「円銭」は、単なる実用品から、国家の顔としての象徴性を帯びた統一銭へと成熟していきます。

この間、円銭の普及は東アジア全体に波及しました。朝鮮半島では高麗・朝鮮王朝で中国銭(唐宋銭、明銭)が大量に流入し、自国鋳造も行われました。日本でも奈良時代に和同開珎(708年)が鋳造され、円形・方孔の「円銭型」が受容されます。ベトナム(大越)でも宋型銭の影響下で諸王朝の通宝が鋳造されました。円形・方孔・銘文というセットは、地域差を伴いながらも「共通の貨幣デザイン」として東アジア文化圏の経済・記号体系に溶け込んだのです。

製造技術と流通の仕組み――鋳造、規格、束ねて払う

古代の円銭は、基本的に青銅(銅・錫・鉛の合金)を材料に、鋳型(范)で量産されました。土や石、青銅で作った母型に蝋型・土型を組み合わせ、枝のように多数の銭胚(ゲートにつながった未仕上げのコイン)を一度に鋳込みます。冷却後、枝から一枚ずつ切り離し、孔と縁(郭)を整える工程を経て完成です。銘文は母型に彫るため、同一シリーズの字画がほぼ揃うのが特徴で、書体の違いが年代比定や鋳局の推定のヒントになります。

規格面では、直径・厚み・重量・銘文の統一が重要でした。秦漢の国家は、度量衡の統一と合わせて貨幣の基準を示し、私鋳や軽量化を取り締まる法を整備しました。とはいえ、戦乱や財政難の時期には、地方や私的勢力が粗悪な軽量銭を大量に鋳造し、相場が乱れることもしばしばです。こうした混乱に対抗するため、王朝はときに旧銭の回収・新銭の改鋳を断行しました。開元通宝のような「新しい顔」を持つ統一銭の登場は、政治的リセットと経済秩序回復の宣言でもありました。

流通の仕組みとして、方孔に紐を通して一定枚数を束ねる方法が発達しました。古典的には千枚で「一貫」とされますが、実際の計数は地域・時代・銭質で揺れ、紐銭にすると厚みや欠けで枚数が合わないことも多々ありました。市場では、秤量(重さで量る)と枚数数えの併用が行われ、高額取引では銀塊(銀錠)などと交換率を定める「複本位」的な運用も見られます。つまり、円銭は小額決済の潤滑油として機能し、金銀や絹布など他の価値媒体と体系を分担しながら、日常の市場を支えたのです。

デザイン面では、円形・方孔という実用形の上に、書法と象徴が重ねられます。唐以降の通宝銭では、楷書・隷書・行書などの書風が採られ、皇帝の年号や吉語が選ばれました。これは貨幣が権威の媒体であると同時に、審美の対象にもなっていくことを意味します。後代の収蔵・鑑賞文化(泉貨収集)は、この美意識の延長にあります。

地域的波及と比較――日本・朝鮮・ベトナムへの展開、他文明との対照

円銭型貨幣の東アジア的広がりは、単なる模倣ではなく、制度的・社会的文脈に応じた再解釈でした。日本の和同開珎は、中国の則天武后期の銭を参照しつつも、律令国家の租税・俸給・市場統制のために導入されました。その後、朝廷の財政難や私鋳銭の流行で一時的に銭貨の信認が落ち、絹・米などの物品貨幣が復権する局面もありますが、中世末には明清銭の大量流入で再び銭貨経済が拡大します。朝鮮半島でも、宋銭・明銭の流入と自国鋳造が併存し、貨幣制度は中国との交易・朝貢関係に深く結びついて発展しました。ベトナムは独自の年号通宝を鋳造しながら、中国銭を併用する柔軟な運用をとりました。

他文明との対照では、ギリシア・ローマの打刻貨幣(ストライク・コイン)と、東アジアの鋳造銭の違いが際立ちます。西洋古典世界は金銀の打刻で高額決済に強く、肖像・神像の表現力で政治宣伝を行いました。東アジアは青銅鋳造による小額通貨の大量供給で市場の隅々を潤し、年号・吉語・書法で国家権威を表しました。素材・技術・デザインの違いは、社会の決済構造と政治文化の差を反映しています。もっとも、宋以降の紙幣(交子・会子)や銀の流通拡大により、東アジアでも高額決済の手段が多様化し、円銭は小額決済の基盤として位置づけられるようになります。

用語上の注意と史料の読み方――「環形貨幣」の広狭、偽銭・私鋳への目配り

「円銭(環銭)」という言葉は便利ですが、使い方には注意が必要です。第一に、広義の「環形貨幣」には、中央孔が小さく、ほぼ指輪状の早期リング貨や、銘文のない素環(無文環)なども含み得ます。これらは地域的・時代的に多様で、純粋な貨幣というより、装身具や儀礼具と重なるものもあります。狭義の「円銭」は、銘文をもち、市場で一般流通した円形・方孔の銭貨を指す、と区別しておくと誤解が減ります。

第二に、銘文の読みと年代比定です。「半両」「五銖」「開元通宝」などの銘は分かりやすいのですが、南北朝~五代の群小王朝や地方政権の銭は銘文が類似し、区別が難しいものが少なくありません。さらに、後代の模鋳・私鋳や、収集市場向けの贋作も存在します。考古資料では、出土状況(層位・伴出品)や金属成分、鋳痕の観察が不可欠です。文献史料だけに頼らず、実物の物質情報を重視する姿勢が大切です。

第三に、経済史の文脈です。円銭の量と質は、租税の取り立て、軍事動員、都市の市場規模、交通の整備に直結します。たとえば、良質な統一銭が潤沢に供給されると、市場統合が進み、地域間取引のコストが下がります。逆に、悪銭の氾濫や銭荒(銭不足)は、物価騰貴や交換の停滞を招きます。貨幣の「顔(銘文・書体)」の変化だけでなく、「量(供給)」「質(品位)」「制度(鋳造権・検査)」の三要素をセットで見ると、円銭の歴史が立体的に理解できます。

最後に、日本語教育における「刀銭・布銭・円銭」の三分類は、概念整理として有用ですが、実際の現場はもっと混ざり合っています。地域と時代によって、刀銭と円銭が併流したり、布銭の系譜が細々と生き残ったりすることがあります。秦漢期の統一銭で一気に全土が切り替わったわけではなく、既存の貨幣文化が時間差で置換され、両替や割増しレートの慣行がしばらく続くのが普通でした。単純な直線的発展モデルではなく、併存と過渡の視点を持つことが重要です。

小括――「円い銭」がもたらした定着力

円銭(環銭)は、形の単純さ、製造のしやすさ、携帯と計数の容易さによって、東アジアの貨幣文化の標準を形づくりました。半両・五銖・開元通宝へと続く統一銭の系譜は、国家の統治技術と市場の拡大を結びつけ、税・俸給・軍需・商業の共通言語として機能しました。円形・方孔・銘文という基本設計は、日本・朝鮮・ベトナムにも根づき、近世の大量流通銭の時代を支えます。やがて近代の機械打刻貨幣や紙幣が主役となっても、東アジアの貨幣イメージの深層には、紐で束ねた円銭の記憶が長く残り続けました。用語として「円銭(環銭)」を用いるときは、形態の総称としての便利さと、時代・地域での多様性の双方に目配りをしながら、実物資料と制度史を照らし合わせて理解するのが望ましいです。